かもめもかも

かもめのつぶやきメモ

『ダフォディルの花』

 

ダフォディルの花:ケネス・モリス幻想小説集

ダフォディルの花:ケネス・モリス幻想小説集

 

 翻訳家の中野善夫さんが飯野浩美さんと共訳した新刊が、例によって例のごとく国書刊行会から出て、装画も林由紀子さんだと知った時、これもまたきっと美しくて分厚い本に違いないと思った。
しかもケネス・モリスだという。

もう随分前の話だが、ル=グウィンが『夜の言葉』という本の中で、ファンタジー分野の名文家として、トールキン、エディスン、モリスをあげているのを読んで、トールキン好きの私としては、他の2人の作品も是非とも読んでみなくてはと思って探してみたものの、エディスンは今ひとつ肌に合わず、モリスはその邦訳作品にたどり着けなかったのだった。

正直に言えば、そんなことはしばらく前まですっかり忘れていたのだけれど、この本の話題を目にするようになって思い出し、今度こそ絶対読まねばと思っていた。

そうして読んでみた本は、これがもう、ちょっと言葉で表現できないほど美しかった。

どこをどう紹介すれば、この美しさが伝わるだろうかと考えるも、どこもかしこもと迷ってしまうのでランダムに頁を開いてみる。

開いたのは269頁

 広大な空から太陽は姿を消したが、まだ夜は華やかな星々を引き連れて姿を現すには至っていない頃、その空の下では、大西洋が夢を見ながらのんびりうねっていた。

「人魚の悲劇」(中野訳)の冒頭だ。

続いて開いたのは195頁

 峠に立てば、人の世はすべて背後に去り、前方はむろん、どちらを見ても山の神秘の世界だった。正面の谷の向かい、暗く仄かに浮かび上がる山々は森に覆われ、彼方には、青玉の空に咲いた百合のあえかな花びらのごとく、雪を被った山巓に入り日が淡紅と浅緋と青の彩りを刷いていた。

「白禽の宿」(館野訳)

どうだろう、少しは伝わっただろうか。

それにしても「あえか」などという言葉に遭遇したのは、まだいとあえかなるほどもうしろめたきにというあの源氏物語藤裏葉のくだりを読んだとき以来ではなかろうか?

訳者お二人の隅々まで気を配った言葉の選び方はこれ、原文の雰囲気を伝えるための苦心に違いないと想像しながらいちいちうっとりしてしまう。

もちろん美文だというだけではない。

収録された29の物語は、様々な神話や伝説、時には音楽をもモチーフにして築きあげられていて、この1冊で、様々な国を旅した気分にも、迫力ある音楽に耳を傾けたような気にもなることができる。

それがヨーロッパや中東の…というだけならまだ想像できなくもないが、インドや中国を舞台にした物語もまたすばらしく、1879年にウェールズに生まれたという作家の頭の中はいったいどうなっていたのだろうかと、創作の背景に思いをはせもした。

およそ2週間ほどかけて読み終えはしたものの、〆切さえなければ、もっとゆっくり浸っていたことだろう。
いつ読んでも、どこから読んでも楽しめる本だとわかったからには、またいつでも再読できる場所に置いて楽しむことにしようとも思う。


最後に、一人でも多くの皆さんを夢の世界に誘うべく、どれほど楽しみ、興奮して読み進めたか、某所でのつぶやきを日記風に紹介してみよう。


<読み始めて2日目>
おおっ!まだ読み始めたばかりだけれど、これいいわあ!物語に酔いしれながら、古今東西、本で旅する世界旅行!という感じ
美しい本!装丁だけでなく、中身も!

<4日目>
インド、イラン、サウジアラビアギリシャラップランドと美しく幻想的な風景に魅せられながら旅をしてきた。今度はどこへ連れて行ってくれるのかしら。

<5日目>
結末は予測がついてもなお魅せられる壮麗な龍の絵姿!!

<7日目>
美しい言葉で綴られた物語にありがちな、幻想世界におきざりにされたようなつかみ所のなさはなく、どの物語も最後はきっちりピリオドが打たれる。それでいていつまでも夢の中にいるようで。

<9日目>
物語を読み終えて、バッハを聴き、バッハを聴き終えてから、再度物語を読んでみた。なんと贅沢なひととき!

<11日目>
読み終えるのがもったいなくてゆっくり読もうと思っていたのに、これもステキ!これもいい!と読み進めるうちにとうとう終わりが見えてきた。でもいいか。また何度でももどってくれば。

『食べることと出すこと』

 

食べることと出すこと (シリーズ ケアをひらく)

食べることと出すこと (シリーズ ケアをひらく)

  • 作者:頭木 弘樹
  • 発売日: 2020/08/03
  • メディア: 単行本
 

 “絶望名人”でお馴染みの頭木弘樹さんの本を読んだ。

今回はアンソロジーや名言集ではなく、潰瘍性大腸炎を患った著者自身の体験をもとに書かれている本だと聞いていたから、難病への理解を促すような闘病記なのだろうと思っていた。

読んでみると確かにそういう側面はあったのだが、それに止まらず、「食べること」と「出すこと」というとても個人的なことが、他者や社会とどうつながっているかなど、いろいろと考えさせられる本だった。

病人であるにもかかわらず、周囲から明るくふるまうことを求められる。
お見舞いは見舞われる側ではなく、見舞う側のお気持ちに左右されがち。
食べたら大変なことになるから食べられないのに、周囲からは「少しくらいいいでしょ」「ちょっとだけでも食べてみて」などとしつこく勧められる。
「食べることは受け入れること」だという「文化」があって、「食べないこと」「食べられないこと」が、人間関係に大きな影響を及ぼす。

そうした実体験を踏まえて、食物を制限する宗教の教義は、同じものを食べる人たちをまとめ、他と分断するものなのでは…といった考察も興味深い。

要所要所で紹介される古今東西様々な文学作品からの引用文も読み応えがあり、片っ端からメモを取りたくなってくる文学案内の側面もある。

潰瘍性大腸炎という病が著者にもたらした過酷な体験は、読者にこの病気への理解を促すだけでなく、自分の理解が及ばない事情が相手にあるかもしれないのだと、常に心すべきという簡単なようでとても難しい課題をも突きつける。

装丁から受ける印象どおりのユーモアとある種の軽さを備えながらも、真面目で深い洞察力に満ちた読み応えのある1冊だった。

2020年10月の読書

10月の読書メーター
読んだ本の数:14
読んだページ数:4136
ナイス数:506

彼女の名前は (単行本)彼女の名前は (単行本)感想
『82年生まれ、キム・ジヨン』の著者チョナムジュが、2017年の1年間に新聞や雑誌に書いた短いフィクションやエッセイに手を入れてた28篇を収録した短篇集。労働争議や大学総長選出をめぐる騒動など、時事問題が絡んでいる作品も多いが、詳しく知ろうと思えば丁寧な註釈もついているし、小さな文字は苦手だと註釈を読み飛ばしたとしても、十分に堪能できる作品でもある。「今」を切り取った韓国の話ではあるが、セクハラも「嫁」問題も、派遣労働も貧困も、日本でもあるあるの事案がいっぱいで、読んでいて胸が苦しくなるほどだった。
読了日:10月28日 著者:チョ ナムジュ
ほんやく日和 19ー20世紀女性作家作品集 vol.1ほんやく日和 19ー20世紀女性作家作品集 vol.1感想
関西圏で活動する翻訳者が集まって結成された『同人倶楽部 ほんやく日和』による同人誌で、この第1号は2019年11月に初版が発行されていたのだが購入しそびれ、第二刷をようやく手に入れた。ブックレットサイズの冊子なので、仕事鞄にしのばせるなど気軽に携帯できるのがいい。全部で8作品、短い作品ばかりなので、隙間時間に読むことも出来る。寝る前にちょっとだけ~のつもりで読み始めて、疲れて寝落ちしてしまったとしても、痛い思いをすることがないのもいい。但し、作品によっては、ゾクッと眠気が吹っ飛ぶものもあるので要注意!?
読了日:10月28日 著者:翻訳同人誌を作ろうの会
私のなかのチェーホフ (群像社ライブラリー)私のなかのチェーホフ (群像社ライブラリー)感想
チェーホフからもトルストイからもその力量を認められていた作家の短編と回想録にチェーホフからの手紙も収録。これを読んだ後チェーホフの『かもめ』を読むと、あの人の苦悩、この人の葛藤、あの人の諦め、この人の希望にも…と、あちこちにリジヤの影が見える気が。解説によるとこの回想録の真偽をめぐっては、関係者や研究者の間でも意見が分かれているらしいが、少なくても私は、チェーホフの作品を十二分に理解し読み解くだけでなく、自分の中にとりこんで作品にまで昇華してしまうリジヤ・アヴィーロワの才能に圧倒された。
読了日:10月26日 著者:リジヤ アヴィーロワ
ディディの傘 (となりの国のものがたり6)ディディの傘 (となりの国のものがたり6)感想
どうやら文学も「進化」するものらしい。わかったような気になってなにかを語りたくはないが、おそらく何も言う必要はないのだ。ただただ圧倒されたということ以外には。
読了日:10月23日 著者:ファン・ジョンウン
文学こそ最高の教養である (光文社新書)文学こそ最高の教養である (光文社新書)感想
なんといっても、この本の一番の読みどころは、訳者がなぜその作家のその作品を選んだのかというところ。編集部はまず、翻訳家に「なにを訳したいか」と聞く。翻訳家は、思い入れのある作品を、思い入れがあるからこそ先行訳にはいろいろと気になる点がある作品を訳してみたいと答える。読み応えのある「読書ガイド」に見られる熱さは、そういう作品を手がけているからこそのものなのだろう。
読了日:10月21日 著者:駒井稔,光文社古典新訳文庫編集部
夏物語 (文春e-book)夏物語 (文春e-book)感想
私はこの作品が好きで、それもかなり好きで、どこがどうとはっきりいうことが出来ずにもどかしいけれど、なんだかすごいと思っている。
読了日:10月19日 著者:川上 未映子
サラエボの鐘サラエボの鐘感想
アンドリッチの新刊が出ると聞いて久々に手にした本。やはり表題作「サラエボの鐘--1920年の手紙」が強烈だ。 あるいはそれは“後付け”の印象にすぎないのかもしれないが。 新刊、この本の収録作品とどれぐらいかぶっているのかも気になるところ。
読了日:10月18日 著者:イヴォ アンドリッチ
かもめ (集英社文庫)かもめ (集英社文庫)感想
リジヤ・アヴィーロワの『私のなかのチェーホフ』を読んでいたら、これは絶対再読しなければという気になって、本棚の奥から引っ張り出してきた。いやはやこれはまいった。以前読んだときと全く印象が変わってしまった。すごい『かもめ』すごいぞ。でもこれってチェーホフのというより、読者に『かもめ』を読み解いてみせたリジヤの才能なのかも!?
読了日:10月15日 著者:チェーホフ
第九の波 (韓国女性文学シリーズ8)第九の波 (韓国女性文学シリーズ8)感想
是非とも読みたいと思っていた本を,書評サイト本が好き!を通じていただいた。冒頭からひと癖もふた癖もありそうな人物が次々登場するゾクゾクするようなサスペンスであるだけでなく、炭鉱の町特有のじん肺問題や原発誘致をめぐるあれこれに、労働争議カルト教団の暗躍も加わって、間違いなく社会派の物語でもある。同時にとてもせつないラブストーリーでもあって…。とても読み応えのある、忘れがたい物語だった。
読了日:10月14日 著者:チェ・ウンミ
メイドの手帖 最低賃金でトイレを掃除し「書くこと」で自らを救ったシングルマザーの物語メイドの手帖 最低賃金でトイレを掃除し「書くこと」で自らを救ったシングルマザーの物語感想
あるいはこの瞬間にも誰かが運に見放されて、DV男から必死の思いで逃げ出して、進学するつもりだった大学を諦め、たったひとりで子どもを育てることになるといった、それまで思いも寄らなかった人生を歩み始めることを決断せざるをえなくなっているかもしれない。おそらく他者を思いやる気持ち以上に、私たちに必要なのは想像力だ。あるいはもしかすると、その不運は自分や自分の大切な人に降りかかってくるかもしれないのだと。そんなことを改めて考えさせられた本。
読了日:10月12日 著者:ステファニー・ランド
私人―ノーベル賞受賞講演私人―ノーベル賞受賞講演感想
再読。ヨシフ・ブロツキー(Ио́сиф Бро́дский)は、1987年にノーベル文学賞を受賞したロシアの詩人だ。1972年6月4日にソ連から国外追放され、1980年にはアメリカの市民権を得た。文庫より一回り大きいがハードカバーで、解説を入れても60ページちょっとのごくごく薄い本に 収録されているのは、そのものずばり、ノーベル賞受賞講演の内容だ。これがまあ全く以ておそれいる。繰り返し、繰り返し読むことを求まれられるほど濃厚で迫力があって、何度読んでも、そのたびに思わず息を呑んでしまうのだ。
読了日:10月09日 著者:ヨシフ ブロツキイ
キャラメル色のわたし (鈴木出版の児童文学 この地球を生きる子どもたち)キャラメル色のわたし (鈴木出版の児童文学 この地球を生きる子どもたち)感想
クレメンティソナチネ ハ長調 作品36 第1番の調べにのせて語りあげられる、アイデンティティに悩む10代前半の女の子イザベラの物語。両親の離婚、人種問題など、子どもであっても避けて通れない、社会の様々な問題に正面から向き合って、容赦なく描き出す。毎度のことながら“鈴木出版の児童文学 この地球を生きる子どもたち”シリーズは本当に質の高い良書揃い。子どもたちはもちろん、大人のあなたにもお勧めだ。
読了日:10月07日 著者:シャロン・M・ドレイパー
忘却についての一般論 (エクス・リブリス)忘却についての一般論 (エクス・リブリス)感想
一人の女性の物語のようでいて実は群像劇で、狭い空間の話のようで世界の歴史を語っていて、物語はいつも予測を裏切り、彼女は眠りながら眠っている夢を見る。それでもやはり目覚めるとそこには厳しい現実が。フェルナンド・ナモーラ文芸賞や国際ダブリン文学賞を受賞しているというこの作品は、稀代のストーリーテラーとして知られる現代アンゴラ作家による傑作長篇とのこと。評判を裏切らない読み応えでおそらくこの先何度も読み返すことになるだろう作品。同じ作者による“ボルヘスの生まれ変わりのヤモリが語り手”だという作品も是非読みたい。
読了日:10月05日 著者:ジョゼ・エドゥアルド・アグアルーザ
「世界文学」はつくられる: 1827-2020「世界文学」はつくられる: 1827-2020感想
“「世界文学」とはなにか”と題される序章からはじまる本書は、比較文学や翻訳研究が専門の著者による学術論文集。「世界文学」という呼び名でいったいなにが名指しされ、なにがどう読まれてきたのか。日本とソヴィエト、アメリカにおける「世界文学」のありかたを、主にその地域で発行された「世界文学全集」や「世界文学アンソロジー」のような叢書やアンソロジーをとりあげて、翻訳、出版、政治、教育などの観点から分析し、その理念やあり方の歴史的意味を探っていく。一見硬そうではあるけれど、中身はこれすこぶる面白かった。
読了日:10月01日 著者:秋草 俊一郎

読書メーター

図書新聞 第3469号 

今号の読みどころはなんといっても巻頭記事

フランス革命の影の主役――死刑執行人・サンソンの苦悩の生涯
対談 西川秀和×安達正勝
オノレ・ド・バルザック著『サンソン回想録――フランス革命を生きた死刑執行人の物語』(国書刊行会)をめぐって

 

安達さんが訳されたバルザックの『サンソン回想録』は、先日書評サイト本が好き!の献本にもあがっていたから、私の周りにも注目している方が多いことと思うが、西川さんの方も最近『サムソン家回顧録』の個人翻訳を手がけられてネット販売もされているとのことだったので、その違いにも興味があった。

 

両者の違いについては、『サンソン回想録』はバルザックが4代目当主シャルル・アンリ・サンソンに成り代わって書いたものであるのに対し、『サンソン家回顧録』の方は6代目当主によって書かれた一族の話だとのこと。

『サンソン家回顧録』の原著は全6巻と長く、西川さんの翻訳はその約3分の1に縮約した英語版を元にしたものだそう。

一族の話ではあるが、やはり、4代目のシャルル・アンリ・サンソンについての記述が多いとのことで、この部分はフランス語の原著から省略なしに全訳したとの説明だった。

お二人の対談を読むと『サンソン回想録』への期待がますます高まる。
回顧録の方も興味はあるのだけれど、私家版にまで手を出すときりがないかと躊躇してしまうのが正直なところ。

 

その他の注目記事はというと、まずは岡和田晃氏による『「世界文学」はつくられる』評。

 

「世界文学」はつくられる: 1827-2020

「世界文学」はつくられる: 1827-2020

 

 岡和田氏もやはり、ソヴィエトの「世界文学全集」をとりあげたところに注目していて、そうそうそうなの!そこが本当に面白いの!と膝を打つ。

 

鳥羽耕史氏が紹介する『戦争をいかに語り継ぐか』(NHK出版)も気になったし、宇野木洋氏が読み解く、閻連科『丁庄の夢』(河出書房新社)がなぜいま新装版で登場したのかという理由も興味深かった。


澤田直氏が紹介するエリック・ヴュイヤールの『その日の予定』(岩波書店)も、気になってはいたのだけれど、と読みたい本のリストに改めて入れた。

もちろんジョディ・カンター/ミーガン・トゥーイー『その名を暴け』(新潮社)も、読まなきゃいけないとわかっている。

 

本が好き!とのコラボ企画で紹介されているのは、休蔵さんの『魔宴』レビュー。

次選としてRokoさんの『本のリストの本』とごんべえさんの『分裂国家アメリカの源流』があがっていた。

 

絶対読むと決めているものの、財政難の折、図書館にリクエストするべきかそれとも…と迷っていたあの本やっぱり買うべきか……。

『彼女の名前は』

 

彼女の名前は

彼女の名前は

 

 本書は 『82年生まれ、キム・ジヨン』の著者チョナムジュが、2017年の1年間に、新聞や雑誌に書いた短いフィクションやエッセイに手を入れてた28篇を収録した短篇集で、原書は韓国で2018年に刊行されている。

そういうものだから、労働争議や大学総長選出をめぐる騒動など、時事問題が絡んでいる作品も多いが、詳しく知ろうと思えば丁寧な註釈もついているし、小さな文字は苦手だと註釈を読み飛ばしたとしても、十分に堪能できる作品でもある。

28篇の作品総て、主人公は女性で、いずれの女性も、誰かの娘であったり、妻であったり、母であったり、恋人であったり、部下であったりする。
だがその前に、自分自身であろうとする女たちの物語でもある。

「今」を切り取った韓国の話ではあるが、セクハラも「嫁」問題も、派遣労働も貧困も、日本でもあるあるの事案がいっぱいで、読んでいて胸が苦しくなるほどだ。

もしもこの本に(韓国は生きづらそうだな。日本とは違うんだな…)といった感想を抱いたとしたら、たぶんあなたに足りないのは想像力だ。

自分が「見たことも聞いたこともない」ことは、「他の人の周りにも存在しない」と思うのは早計だ。

現に私だって……と、思わず自分語りを始めたくなるが、いざ口を開こうとすると、あるかもしれない影響があれこれ思い浮かんで、思わず語るのをためらうことも。

なにもかも随分前のことなのに、自分の中で未だに消化できていなかったことにいまさらながら気づいたりもした。

それでもやはり、次に続く人たちのためにも、この本の登場人物たちのように、ありったけの勇気をふりしぼって声を上げていかなければならないのだと改めて思う。

私と同じように胸の痛みを感じるであろうあなたにお薦めするのはもちろんのこと、「韓国っていろいろ大変なんだなあ」と悪気なく思ってしまいそうなあなたにも、「声をあげることが難しい問題だからこそ、自分の目や耳には届いていなかっただけかもしれない」という想像力を持ちながら、読んでみて欲しい1冊だ。

 

  *******

ここまでが、本が好き!にアップしたレビューで、ここからは書かなかったことだ。

 

この本を読んでいたら、日立男女差別裁判の原告団の皆さんの顔が思い浮かんだ。

義母に連れられて自分の名前が書かれたのし付きのタオルを持って、相方の実家のご近所のに挨拶回りをしたときのことも。

そんなしきたりがあることに驚いて固まった私をみて、(これはまずい!)と思ったらしい相方が「自分も一緒にいく」と言ったときの、「なんで?」と驚いたお義母さんの顔も。

一つの話を読む毎に、様々なことが思い浮かんだが、そういうことは、レビューの書かなかった。

それはたぶん、自分の中で消化し切れていないことがあったせいでもあるし、身バレをおそれてのこともあるし、私の特別な記憶を書き込むことで、そのレビューを読んだ人に、先入観を与えてしまうことを恐れたからでもあるし……。

 

それでも、本を読み終えた後も、レビューを書いた後も、あれこれと思い返すとともに、あれこれと考えることをやめることができずにいる。

 

『ほんやく日和 vol.1』

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Twitterでみかけて、とても気になっていた『ほんやく日和 19-20世紀女性作家作品集 vol.1』をようやく読んだ。

 

関西圏で活動する翻訳者が集まって結成された『同人倶楽部 ほんやく日和』による同人誌で、この第1号は2019年11月に初版が発行されている。

 

上京の折にでも御縁があれば……と思ってはいたが、入手できないまま、あっという間に完売に。

(残念だなあ)と思っていたら、第2集の発売を期に重版したというので、今回からオンラインショップでも取り扱ってくれるという「タカラ~ムの本棚」さんに頼んで早速送って貰った。

 

ブックレットサイズの冊子なので、仕事鞄にしのばせるなど気軽に携帯できるのがいい。
全部で8作品、短い作品ばかりなので、隙間時間に読むことも出来る。
寝る前にちょっとだけ~のつもりで読み始めて、疲れて寝落ちしてしまったとしても、痛い思いをすることがないのもいい。
但し、作品によっては、ゾクッと眠気が吹っ飛ぶものもあるので要注意!?

 

以下、【訳者/作品名/著者】で、収録作品の紹介と簡単な感想を。
(※敬称は省略させていただく)

 
●小谷祐子訳/「窓の下」/ケイト・グリーナウェイ詩・絵
可愛らしい挿絵に添えられた詩に、子どもの頃、愛読したマザー・グースの絵本を思い出す。
一見簡単そうにみえて、こういう詩の訳が一番難しそうだなあ~と思いながら、思わず声に出して読んでみた。
読んでみると(ここに息継ぎの為のスペースがあったらいいなあ)(ここにひと文字プラスされれば、より読み上げやすくなるんだけれどな)などと思うところが幾つかあった。
もっともそれは、私が音読して感じただけのことなので、原文と照らした場合、NGなのかもしれない。

 

●やまもとみき訳/「動物の子ども図鑑 その1」/イーディス・ブラウン・カークウッド文/M・T・ロス絵
やーこれは、動物好きにはたまらない。
思わず“スプリングボック”を調べてしまった。
私なら、あの動物をどう紹介するかしら~などと、考えるのもまた楽しい。

 

●岡本明子訳/「不法侵入」/ルーシー・モード・モンゴメリー
さすがモンゴメリー、完成度の高い短編だが、そこはモンゴメリー、正直なところ私はこの「正しさ」がちょっと苦手かも。

 

●井上舞訳/「気高い犬」「染めもの屋の犬」「セミ・デタッチドハウスの怪」/イーディス・ネズビット
はじめてのイーディス・ネズビット、訳者が本書とは別に「怪奇短篇集」も出していると聞いていたので、ちょっと腰を引き気味にこわごわ読んでみたところ、さほど怖くなく、三作ともそれぞれ違った雰囲気ながら、いずれもキリッと引き締まった面白さが。短篇集も読んでみたい。

 

●まえだようこ訳「川の渡り」/ガートゥルード・アザートン
いやしかし、これは……さあ。
言えないよ。言えやしないよ。
言えやしないけれど……

寝付きの良いのが自慢な私が……。
くー、まんまとしてやられた!?

 

●朝賀雅子訳「ひとり目の妻の結婚指輪」/ジュリアナ・ホレイシア・ユーイング
おとぎ話のエッセンスをこれでもかとつぎ込んで、いったいどうやって収集をつけるのか!?と思ったら、ちゃんと収まるさすがのトリ!

 

うん。面白かった。
続いてvol.2も読むぞー♪

『私のなかのチェーホフ』

 

 リジヤ・アヴィーロワは、チェーホフからもトルストイからもその力量を認められていた作家だそうだが、晩年につづった回想録『私のなかのチェーホフ』は、その内容から波紋を呼んだ作品でもあったようだ。

本書の構成は、冒頭にアヴィーロワの短編が3つ、その後、チェーホフの戯曲『かもめ』の初演についてのアヴィーロワの短評が、さらにページをめくるとチェーホフがアヴィーロワに宛てて書いた手紙数通が収録され、とりに表題にもなっている「私のなかのチェーホフ」と題された回想録となっている。

なるほど、最初にアヴィーロワの作品を読むことで、私のように初めて彼女の作品に触れる読者にも、作家が優れた書き手である事が証明され、チェーホフの手紙を読むことで二人が彼女がとても親しかったのだということが納得できるようになっているのだな…などと考えつつ、回想録を読みはじめると……。

いやはやこれは、なんともはや!!
そうかそうなんだ。
あの作品、あの手紙が収録されていたわけは、それだけではなかったのか!


1889年1月、リジヤは、近所に住む姉から「すぐに来て、かならずよ。チェーホフが来てるの」という走り書きを受け取った。
ペテルブルグ新聞の編集発行人である義兄は、「この娘はあなたの作品を空で言えますよ」「ファンレターだって書いているはずだが、内緒にしていて白状しないんです」などといいながらチェーホフに彼女を紹介した。
小説家を志していた彼女は、あこがれの作家と言葉を交わし、高揚した気分のまま帰宅するが、待っていたの乳母のそばでぐずる乳飲み子と、盛大に嫌みをいう夫。
あれほど晴れ晴れと世界を照らしていた喜びが、ひっそりと羽をたたんでしまったのだった。

それから3年後、二人は再会する。
リジヤは27歳。既に三人の子持ちで、家事と育児の合間に執筆を続け、書いたものが掲載されるようにもなっていた。

そんな彼女に5歳年上で未婚のチェーホフは言う。
三年前に会ったとき、知り合ったのではなくて、長い別れの後で再びめぐり逢ったという感じが、あなたはしなかったですか

チェーホフ!たらしか!?たらしなのか!?

二人は見つめ合い、やがて文通をはじめる。

子どもたちが健康でかんしゃく持ちの夫の精神状態が落ち着いているときには、今味わっているのが最高の幸せだと思いもした。文学上の成功もうれしかったし、チェーホフとの文通も続き、あれこれとアドバイスもうけていた。
もちろん、上手くいくときばかりではなく、それほど書けていたわけでもなかったが。


こんな風に綴られた独白を読めば、共感する女性も多いことだろう。
だかしかし、ことはそれだけに留まらない。

急速に接近したと思うと慌てて距離をおく二人の関係は、時には師弟で、時には友人で、時には恋人同士のようでもあったが、二人の間には常に、越えられない高い壁、三人の子どもがいるリジヤの家庭があった。

それでも抑えきれない思いの丈をぶつけたリジヤに対しチェーホフは、今度の舞台であなたにしかわからない形で返事をするというのだ。

彼が戯曲を書いたその舞台こそ『かもめ』だった!!

この本を読んでいたら、これは絶対再読しなければという気になって、本棚の奥から引っ張り出してきて『かもめ』を再読したのだが、いやはやこれはおそれいった。
本当にびっくりだ。
以前読んだときと全く印象が変わってしまったのだ。
すごい、すごいぞ『かもめ』!!
でもこれって“チェーホフの”というよりも、読者に『かもめ』を読み解いてみせたリジヤの才能なのかもしれないという気がしないでも!?

『私のなかのチェーホフ』を読んだ後『かもめ』を読むと、あの人の苦悩にも、この人の葛藤にも、あの人の諦めにも、この人の希望にも……という具合に、あちこちにリジヤの影が見える気がしてきてしまったのだ。

訳者の解説によると、この回想録の真偽をめぐっては、チェーホフの妹は否定的だったというし、関係者や研究者の間でも意見が分かれているらしいが、少なくても私は、チェーホフの作品を十二分に理解し読み解くだけでなく、自分の中にとりこんで作品にまで昇華してしまうリジヤ・アヴィーロワの才能に圧倒された。