かもめもかも

かもめのつぶやきメモ

『ジェーン・エア (上)』

 

 仮にも翻訳小説好きを自認するならば、
未だに『ジェーン・エア』を読んだことがないというのはマズイでしょう。
とは、前々から思ってはいた。

なにしろ英米文学には、
主人公の少女がこの物語に夢中になる場面があったり、
あきらかにこの小説に影響を受けているといわれていたりする作品が沢山あって、
そういうものを目にするたびに、
「読まなくてはなあ~」とは思っていたのだ。

ストーリーならなんとなく知っている。

両親を早くに亡くして親戚の家に引き取られた少女がそこでいじめられ
やがて寄宿学校に入れられて辛い思いをしながらも成長し
家庭教師として勤めたお屋敷の主人と恋に落ち、
いざ結婚!というときになって夫となるべき男に重大な秘密があることを知り
途方に暮れて路頭に迷い、
人の好意に助けられ再び生きる気力を取り戻し
なんだかんだの末に、1度は諦めたはずの相手と結ばれる……

今ではよくありそうなそんな話が、
1800年代半ばには、色々な意味で
とてもセンセーショナルな物語として
読む者を驚愕させたのだということも。

なまじ何となく知っているだけに
なかなか手が伸びなかったこの作品を今回初めて読んでみた。

読んでみるあたっては、例によって例のごとくどの訳で読むかと悩むのはお約束だ。

今回は、新潮文庫の大久保康雄訳と光文社古典新訳文庫小尾芙佐訳を
いずれもKindle無料サンプルで読み比べてみて決めることに。

まずは意地悪な叔母さんが幼いジェーンに向かってはなつ言葉から

光文社古典新訳文庫
「ジェイン、わたしはね、そんなふうに口答えをする子は嫌いです。子供が目上のものにそんな態度をとるなんてぜったい許されることではありませんよ。どこかほかへいってちょうだい。気持ちよく話ができるようになるまでその口を閉じておおき」

 

新潮文庫
「ジェーン、わたしは理屈をこねたり、すぐにつっこんできたりする子は嫌いですよ。それに、子供のくせに、そんなふうに、大人に口答えするなんて、ほんとうに何ということでしょう。どこかどの辺に腰をかけて、愉快に口がきけるようになるまで黙っていらっしゃい!」


果たしてあなたはどちらがお好み?

続いては問題。


右手のほうは緋色のカーテンにさえぎられてなにも見えない。左のほうは透明な硝子窓が南風は防いでいるもの、陰鬱な十一月の昼の風景まだ閉め出してはくれない。本の頁を繰りながら、ときおり冬の午後の景色に目をやった。遠くには青白い霧と雲が、近くには濡れた芝生と突風にあおられる灌木の林、雨は絶え間なく横なぐりに吹きつけ、風がひゅうひゅうと悲痛な声を上げて吹き抜けていく。

 


深紅の帳の襞(ひだ)が右手の視界をさえぎり、左側には透明な窓ガラスがあってわたしを守ってくれたけれど、荒涼たる十一月の日からわたしを引きはなしはしなかった。書物のページをめくりながら、ときどきわたしは、冬の午後の風景に目を注いだ。はるか彼方には青白い霧と雲がただよい、近くには、ぬれた芝生と、嵐にうたれた灌木が見え、小(お)やみなく降る雨は、長い悲しげな音を立てて通りすぎる疾風に、はげしく吹き立てられていた。


AとB、どちらが光文社古典新訳(小尾訳)でどちらが新潮(大久保訳)か?

そして、私は結局どちらの版を読むことにしたか?

答えは下巻レビューにて?!

               (2016年04月25日 本が好き!投稿

『とにかく、トッポッキ』

 

とにかく、トッポッキ (K-BOOK PASS 3)

とにかく、トッポッキ (K-BOOK PASS 3)

  • 作者:ヨジョ
  • 発売日: 2021/03/20
  • メディア: 単行本
 

 ヨジョ(요조)さんというアーティストは
「期待を裏切らない」というか
いつも予想の斜め上をいく感じが新鮮。

彼女のことを知ったのは
「K-BOOKフェスティバル 2020 in Japan」のトーク&ライブの レポート記事

この記事の中で彼女の芸名が
太宰治の小説『人間失格』の主人公、大庭“葉蔵”に由来するものだと知って
俄然興味を持ったのだった。

なんといっても 『人間失格』だ。
若い頃から愛読してきた私ではあるが、
まさかあの“葉蔵”にちなんだ芸名をつけるアーティストがいるなんて
想像したこともなかったし!

それで彼女の配信する YouTubeチャンネルを覗いてみると、
(韓国語がわからないのであくまで印象にすぎないが)
切なく響くギターの音色と甘く優しい歌声があり、
とても楽しげに本を片手に語るトークありで、
(これは波長が合いそうだな。)と何だかうれしくなったのだった。

そんな彼女のエッセー『とにかく、トッポッキ
なんでもいろんな人がいろんなテーマで書いている
『とにかく、○○』シリーズの1冊なのだそうだけれど、
(いったいなぜトッポッキなのか!?)と思いつつ、
読み始めてみて驚いた。
韓国にはそんなにたくさんトッポッキ屋があったのか!?

昔、韓国フリークの姉の案内でソウルに遊びに行ったとき
ツアーなどではいかないようなところにもあちこち連れて行ってもらったのだけれど
トッポッキ屋には寄らなかったなあ、などと思いつつ、
あの店、この店のトッポッキをのぞき込む。
そこでチーズをトッピングするのか!
それは絶対美味しいぞ!などと、ゴクンとつばを飲み込む。
だがしかし、甘い辛いはある程度想像できても、
小麦餅と米餅の違いや切り方によって食感がどうかわるのかなんてことは
やはり、実際に食べ比べてみなければぴんとこない。
今度行ったら絶対に食べてみるぞ!と、硬く心に誓うのだった。

そういう悔しさ(?)はありつつも、
トッポッキの向こうに、共に味わう彼氏や友だちや仕事仲間の顔があったり、
誰にも気兼ねすることなく、一人で味わうときの心持ちであったり、
見え隠れす様々なものがあってこそのトッポッキエッセイ。

隅々まで味わって、お腹いっぱい!といいたいところだが、
トッポッキ食べたさに、やたらとお腹がすいてしまうのだった。

2021年3月の読書

3月の読書メーター
読んだ本の数:16
読んだページ数:4570
ナイス数:555

あるヴァイオリンの旅路: 移民たちのヨーロッパ文化史あるヴァイオリンの旅路: 移民たちのヨーロッパ文化史感想
書評サイト本が好き!を通じてのいただきもの。一挺のヴァイオリンに惚れ込んだ著者はその素性を調べるべく、様々なプロに逢いそのアドバイスを受けながら、フュッセン、ミラノ、ロンドン、ウィーン、ヴェネツィアへと探索を続ける。結果語りあげたのは、楽器作りに適した木材の産地、特定の地域で楽器作りの職人たちが排出されたわけ、そうした職人たちがヨーロッパ各地に散らばった経緯等々、ヴァイオリンという楽器そのものの歴史であり、その背景にうかびあがる、小氷期と呼ばれる気候変動の影響や疫病や戦争などヨーロッパの歴史でもあった。
読了日:03月31日 著者:フィリップ・ブローム
丸い地球のどこかの曲がり角で丸い地球のどこかの曲がり角で感想
気がつけば、足に絡みついた何かに引っ張られ、底なし沼に引きずり込まれてしまいそうな気分になるのに、いっそのこと引きずり込まれてしまった方が、楽になるかもしれないとさえ思ってしまうほどなのに、なぜか後味は悪くなく、前向きな気分にすらなっているなんとも不思議な読み心地。 1篇1篇がこんな短い作品の中で、ここまでにこんがらがった人の気持ちと、複雑な人生そのものを描き出せるものなのかと思うぐらい密度の濃い作品群。
読了日:03月29日 著者:ローレン・グロフ
山の人魚と虚ろの王山の人魚と虚ろの王感想
美しい夢なのか、それとも悪夢なのかさえもわからずに、ただ物語の中を漂い続けた。あるいはもしかすると、この本を読んでいるということ自体が夢なのかもしれないなどと頭の片隅で考えながら。
読了日:03月28日 著者:山尾悠子
セヘルが見なかった夜明けセヘルが見なかった夜明け感想
著者はトルコ東部出身。少数民族にルーツをもつクルド系の作家で、法律家で人権活動家で政治家でもある。解説を合わせても140Pほどの薄い本の中に、冤罪やテロや児童就労など深刻な社会問題が詰まっているが、語り口はおだやかでユーモラスですらある。だからこそ尚更、厳しい現実が特別なことではなく当たり前の日常である事が伝わってくる。それにしても「セヘル」。こんなにも胸が痛く苦しいのは、信じられないような残酷な結末と地続きの現実が世界中の多くの女性たちを取り巻いているからか。被害者でありながら責められるという現実が。
読了日:03月26日 著者:セラハッティン・デミルタシュ
グレゴワールと老書店主 (海外文学セレクション)グレゴワールと老書店主 (海外文学セレクション)感想
老人介護施設で働く青年が、元書店主だったという老人の導きで、本を読む喜びだけではなく、人と人が心を通わせることの素晴らしさを学んで成長していく物語は、「本に魅せられた人々の物語」としては正統派といえるだろう。病気を抱えた老人であったり、学業についていけなかったり、性的マイノリティであったり、移民であったりと様々な社会的弱者が登場し、そうしたもろもろが否定されることなく、あたたかく包み込まれていくという点においても読み心地の良い物語だった。
読了日:03月24日 著者:マルク・ロジェ
もう耳は貸さない (創元推理文庫)もう耳は貸さない (創元推理文庫)感想
バック・ジャッツシリーズ第3弾。身体の自由がきかず、認知症も進んできた89歳の元刑事が、今回も主役をはるときいては読まずにはいられない。かつて彼が手がけた事件をベースに「死刑」をめぐる問題をはじめ、「人権」とは「正義」とは、という問いかけはズシンと心に響く。同時に、バック・ジャッツと彼の家族の人生と、名実ともにバックとともに歩み、彼を支え続けてきた妻ローズの深刻な病のことなど、時にユーモアを交えながらもシリアスに描かれていくあれこれからも目を離すことができず、今回も完全にノックアウトされてしまった。
読了日:03月22日 著者:ダニエル・フリードマン
恥さらし (エクス・リブリス)恥さらし (エクス・リブリス)感想
「あのころのわたしは、滑稽なほど世界を相手に胸を張り、世界を打ち負かして無傷でいられると信じていた」(「ナナおばさん」)そんな若さが痛々しくもまぶしくもあるチリの作家のデビュー短篇集。貧困や格差という社会のひずみ、働く女性の苦難、母と娘の関係など、地球の裏側にもやはり、同じような問題が存在し、同じように閉塞感を抱えて生きている人たちがいるという現実を、読み手につきつけるような物語たちは、それだけに生々しさが強烈で、読み手によって好き嫌いがはっきり分かれそうでもあるが私はこれ読後に残る余韻を含めとても好き。
読了日:03月17日 著者:パウリーナ・フローレス
火の娘たち (岩波文庫)火の娘たち (岩波文庫)感想
1年近くかけて、少しずつ、少しずつ読んできた。なにしろ文庫ながら容易に自立する分厚い本なのだ。おまけに収録作品も小説・戯曲・翻案・詩と多岐にわたっている。一気に読んでしまってはそれぞれの印象が薄まってしまいそうな気もして一つ、また一つと読み進めていった。訳者の野崎歓氏は、ネルヴァルを卒論で扱って以来、四十年近く読み続けて少しも飽きないという。その思いは、巻末に収録された充実した解説はもちろん豊富な訳註にも反映されていて読み応えのある1冊になっている。
読了日:03月15日 著者:ネルヴァル
ひきこもり図書館 部屋から出られない人のための12の物語ひきこもり図書館 部屋から出られない人のための12の物語感想
『絶望図書館』や『絶望書店』でお馴染みの名アンソロジスト頭木弘樹が集めた“ひきこもり”文学集。“ひきこもり”という言葉から連想しがちな暗いイメージではなく、“ひきこもった”ことで向かい合わざるを得なかったあれこれを描いているバラエティ溢れる作品が並んだ、一度ならず二度三度と訪れてみる価値のある図書館にしあがっている。最初に萩尾望都作品を読んだおかげ(?)で、朔太郎もポーもハンガンも脳内モー様バージョンで楽しく読んだ。
読了日:03月12日 著者:萩尾 望都,萩原 朔太郎,フランツ・カフカ,立石 憲利,星 新一,エドガー・アラン・ポー,梶尾 真治,宇野 浩二,ハン・ガン,ロバート・シェクリイ,上田 秋成
小僧の神様・城の崎にて (新潮文庫)小僧の神様・城の崎にて (新潮文庫)感想
先日読んだ「月の家の人びと」の舞台が、かつて志賀直哉が住んでいた山科の家だったことからの派生読書。志賀が山科をどういう風に描いていたかを確認したくて手に取った。細い土橋、硝子戸、池庭のある一軒家。志賀は、大正十二年十月から同十四年四月までの約二年間山科に住んでいた。家のイメージを膨らますのには役に立ちはしたが、かの地での体験をもとに書かれた「山科の記憶」は「瑣事」「痴情」「晩秋」との連作で、作家が自分の半分の歳頃の若い女性と浮気をする男のエゴ満載の作品だった。
読了日:03月10日 著者:志賀 直哉
月の家の人びと月の家の人びと感想
(山科ってどこ?)というぐらい土地勘がなく、まったく知らない人たちの物語が、どうしてこんなに郷愁を誘うのでしょうか。そしてあの、時折、庭に現れる不思議な人たちはいったい……。この本をきっかけに、久々に志賀直哉を再読しました。この本を読んでいたら、ふと懐かしくなって、本棚から朽木祥さんの『引き出しの中の家』をひっぱりだしました。そしてこの本を読み終えた後も、作中に登場し、巻末にも収録されているクリスティーナ・ロセッティの『望み』という詩の一節が、頭の中で繰り返し朗読されています。
読了日:03月08日 著者:砂岸 あろ
ポーの一族 秘密の花園 (1) (フラワーコミックススペシャル)ポーの一族 秘密の花園 (1) (フラワーコミックススペシャル)
読了日:03月06日 著者:萩尾 望都
人之彼岸 (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ 5051)人之彼岸 (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ 5051)感想
郝景芳の第二短篇集の全訳。AIをめぐるエッセイ2篇と、短篇6篇が収録されている。エッセイはかなり難解だが、意外にも短篇の方は読みやすい。元々AIものはもちろんSF自体にも疎いので、収録作品が目新しいとか、○×に似ているとかいった評価は下せないが、いずれもAIをテーマにしていながらも人情味溢れる作品群で読みやすかった。お気に入りは、どんな病人でも嘘のように回復させてしまうという病院の謎に迫る「不死医院」。人工知能業界のエジソンといわれる人物に意識不明の重症を負わせた事件の真相にせまる「愛の問題」も○。
読了日:03月05日 著者:郝 景芳
失われた時を求めて 5 第三篇「ゲルマントのほうI」 (古典新訳文庫)失われた時を求めて 5 第三篇「ゲルマントのほうI」 (古典新訳文庫)感想
この巻のいちばんのお気に入りは、サン・ルーの所属する隊で行われているいう戦史講義の「美しい証明」をめぐるあれこれ。(p250~)
読了日:03月03日 著者:プルースト
途上途上
読了日:03月01日 著者:谷崎 潤一郎
シロクマといっしょにお引っ越し!?シロクマといっしょにお引っ越し!?感想
いつだって苦悩を抱えた子どもたちの元へと旅するシロクマ、ミスターP。シリーズ第三弾の本作では、北国に。 シロクマの本領(?)発揮の雪の中での活躍ぶりとともに訳者苦心(?)のダジャレの嵐にも注目だ!
読了日:03月01日 著者:マリア ファラー

読書メーター

『あるヴァイオリンの旅路: 移民たちのヨーロッパ文化史』

 

あるヴァイオリンの旅路: 移民たちのヨーロッパ文化史

あるヴァイオリンの旅路: 移民たちのヨーロッパ文化史

 

“一度は音楽家を志し、若いころはそれにすべてを賭けたものだったが、どんなに意志が強くても努力しても自分にその才能がないことを、結局は悟るしかなく、それで歴史家になり作家になったのだ”という著者が著した本書は、小説ではなく、一つの楽器だけを頼りにたどる“ある情熱の歴史”だ。

あるとき著者は、知人のヴァイオリン職人の工房で一挺のヴァイオリンと出会う。
そのヴァイオリンにはルネサンス期ミラノのヴァイオリン職人テストーレのラベルが貼られてはいたが、どうやらそのラベルは偽物で、その特徴から南ドイツのフュッセンで修行した職人の作品ではないかと思われた。

ヴァイオリンの音色に魅了された著者は、テストーレ製ではないものの素晴らしい造りであることは間違いない一挺のヴァイオリンの素性を調べてみたいという衝動を抑えきれずに、探索の旅に出ることを決意する。

資料にあたり、楽器作りのプロや鑑定家、木材の専門家など、様々な人物に逢い、そのアドバイスを受けながら、フュッセン、ミラノ、ロンドン、ウィーン、ヴェネツィアへと探索を続ける著者はやがて、この名もなき製作者に呼び名までつけてその出自に迫ろうと試みるのだ。

その探索の過程をまとめた本書が語りあげるのは、一挺のヴァイオリンのルーツに留まらない。
楽器作りに適した木材の産地、リュートからはじまって弦楽器が少しずつ変化していった過程、特定の地域で楽器作りの職人たちが排出されたわけ、そうした職人たちがヨーロッパ各地に散らばった経緯。
ページをめくることで次第に明らかになっていくのはヴァイオリンという楽器そのものの歴史であり、その背景にうかびあがる、小氷期と呼ばれる気候変動の影響や疫病や戦争でもある。

こうした歴史語りの合間にところどころ挟み込まれる、バッハやヴィヴァルディなど巨匠たちにまつわるエピソード、ヴァイオリン名器をめぐる詐欺事件の顛末や、著名なヴァイオリニストにまつわるちょっとした話、著者自身のヴァイオリンをめぐる思い出なども興味深く、折々に著者が試し弾きするバッハの「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ」の調べをバックに読者は探索の旅を堪能することができる。

そんなわけで、この本を読んでいる間中、一挺のヴァイオリンと共に、贅沢な時間をすごすことができた。
もっとも本を読みながら、ハイフェッツをはじめ、家にあった「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ」のCDを片っ端から聞き比べてみた結果、演奏家の解釈や、古楽器との違いはともかく、自分がヴァイオリンの音色から様々な情報を聞き取ることができるような耳を全く持ち合わせていないという事実を、改めて認識せざるを得なかったことは、少々残念なことではあったけれど。 

『丸い地球のどこかの曲がり角で』

 

丸い地球のどこかの曲がり角で

丸い地球のどこかの曲がり角で

 

 ここ北国でもようやく根雪が溶けてきて
雪の下から、いろいろなものが出てくる出てくる。
マスクや片方だけの手袋などというのは定番で
時にはジャンパーみたいにどうしてこれが?と首をかしげたくなるようなものも。

先日、足を取られたのはロープで、
たぶん雪囲いに使われていた物が
どこかの庭から飛んできたものなのだろうが、
一瞬、蛇かと思って、凍り付いてしまったのはおそらく、
ページをめくっている間に何度も
旧約聖書の一節が頭に浮かんできたこの本を、
読みかけていたからだ。
私は、おまえと女との間に、おまえのすえと女のすえとの間に、敵意を置く。

といっても、この本の中に、
聖書の文言が引用されているわけではなく、
敬虔なキリスト教徒が登場するというわけでもない。

原題が“Florida”だというこの本には、
フロリダという場所自体がモチーフになっている11の短篇が収められている。

フロリダという土地を私は全くといって良いほど知らないのだが、
ページの間から浮かび上がってくるフロリダは、
湿地が多く、様々な爬虫類が生息していて、
陽射しが強く、時折ハリケーンがやってきて、
根強い人種差別が横たわり、
決して治安が良いとは言えなさそうだ。

もっとも登場する人たちが皆、
なんだかとても生きづらそうなのは、
決して土地柄のせいだけではないのだろうが。

爬虫類学者に本屋に作家、
大学教授を目指していたはずのホームレス、
父親に、母親に、子ども、
あるいはまたかつてそのどれかであったはずの人たち。
どの作品でも登場人物たちのごく近いところにある死。
そして広義でも狭義でも浮かび上がるネグレクト。

気がつけば、足に絡みついた何かに引っ張られ
底なし沼に引きずり込まれてしまいそうな気分になるのに、
いっそのこと引きずり込まれてしまった方が
楽になるかもしれないとさえ思ってしまうほどなのに、
なぜか後味は悪くなく、
前向きな気分にすらなっている
なんとも不思議な読み心地。

1篇1篇がこんな短い作品の中で、
ここまでにこんがらがった人の気持ちと
複雑な人生そのものを描き出せるものなのかと思うぐらい
密度の濃い作品群だ。

『セヘルが見なかった夜明け』

 

セヘルが見なかった夜明け

セヘルが見なかった夜明け

 

 1973年生まれの著者は、トルコの東アナトリアのエラズー出身。
少数民族ザザにルーツをもつクルド系の作家で、
法律家でもあり、人権活動家でもあり、政治家でもある。
2014年には大統領選に出馬し、
落選はしたものの自身が共同党首をつとめる政党の躍進させ
人気と知名度を上げた。
2016年11月にテロ教唆・支援の疑いで身柄を拘束され、
現在も刑務所に収監されているが、
創作活動を続けるだけでなく、
2018年にはなんと獄中から大統領選挙に立候補をしたという。

そういう作家が書いた本だと事前に聞き知っていたので、
薄さと装丁に騙されることなく
ある種の覚悟を持って読み始めたつもりの短篇集だったのだが、
巻頭作でいきなり脱力。

「我々の内なる男」などというなにやらいかめしいタイトルの物語なのに
刑務所の屋根に巣をかけた雀の夫婦の話なのだ。
いやはや寓話にしたって雀だもの。
情けない雀の夫にムッとしつつも、
ふっと肩の力を抜いた。

そのまま2作目に移ると
工場で働く22歳の女性「セへル」が現れ、
彼女の恋の行方を追うことになるのだが……。

セヘルがなぜ夜明けを見ることができなかったのか。
正直これはきつかった。

こんなにも胸が痛く苦しいのは
遠い国の異なる宗教、異なる価値観を持った人たちの中にあって
今なおセヘルと同じような苦しみを味わう女性たちがいるからというだけでなく、
その信じられないような残酷な結末と地続きの現実が
世界中の多くの女性たちを取り巻いているからだ。
被害者でありながら、責められるという現実が。

セヘルに別れを告げた後も
彼女のことを忘れることができず、
新たなページをめくる勇気を持つまでに数日を要した。

それでも再び読み始めれば
それぞれが読み応えのある作品で
冤罪やテロや児童就労など、深刻な社会問題を扱いながらも
語り口はおだやかで、ユーモラスですらあって、
だからこそ尚更、
そういう厳しい現実がなにも特別なことではなく
当たり前の日常である事が伝わってくる。

12篇の最後におさめられている「歴史の如き孤独」
1篇の傑作小説を通じて、
都会で暮らす娘が疎遠になっていた父の秘密に触れる物語に
心を慰められた。

『グレゴワールと老書店主』

 

グレゴワールと老書店主 (海外文学セレクション)
 

 学生の80%が合格するという試験を落として、
バカロレア(高等学校教育修了認証)を取得することができなかったグレゴワールは、
就職も進学もままならず、
母親のコネで老人介護施設で働くことになった。

介護士といっても見習いで、給料は最低賃金を下回り、
厨房や洗濯場など、人手が不足しているところに借り出される雑用係だったが、
これはなかなかきつい仕事だった。

だから元書店主のムッシュー・ピキエが
日に一時間ほど、本を読んでくれないかとお持ちかけて来たとき
学校での悲惨な体験が頭をかすめたものの、
きつい肉体労働を1時間減らせることができるならと乗り気になったのだ。

ムッシュー・ピキエの部屋の床面積は8メートル×8メートル。
さながら洞窟のように4つの壁は上から下まで3000冊の本で埋まっている。
7年前、彼は家も車も書店も、総てを売り払ってこのホームに越してきた。
なによりも辛かったのは多くの蔵書と別れることだったという。
そんなムッシュー・ピキエが、なんとしてもこれだけはと、
無理を通して持ち続けてきた3000冊の本。
それさえも、老人は、
パーキンソン病の進行で手が震え、緑内障で目がよく見えなくなってきているために
読むことも手に取ることも難しくなってきているのだった。

ムッシュー・ピキエに頼まれて、彼の道案内に従って、
おそるおそる朗読をはじめたグレゴワールは、
サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』から始まって様々な本に出会い、
本と本を朗読することに魅せられていく。

やがてグレゴワールの朗読は、
彼自身とムッシュー・ピキエだけでなく
周囲の人々の心にも響き始める。

結果として、老人は青年に
本を読む喜びだけではなく、
人と人が心を通わせることの素晴らしさをも伝えるのだ。

「本に魅せられた人々の物語」としては正統派といえるだろう。

病気を抱えた老人であったり
学業についていけなかったり
性的マイノリティであったり
移民であったりと
様々な社会的弱者が登場し、
そうしたもろもろが否定されることなく、
あたたかく包み込まれていくという点においても
読み心地の良い物語だった。