かもめもかも

かもめのつぶやきメモ

『すべてきみに宛てた手紙』

 

引き出しの奥から、昔使っていたノートが出てきた。

読書記録といえるほどきちんと整理されたものではなく、
気に入った言葉とか、気になる関連書籍の題名とか、
そんなものを片っ端から走り書きした
そのノートをめくっていたら、
この本のタイトルと共に、いくつかの言葉が転がり出てきた。


●どうしてか読みさしになる。
そうであって、それきりになってしまうのではなく、
その後も気もちののこってゆく本があるという詩人は、
失われた時を求めて』の鈴木道彦訳に出会って、
それまでの読み方が間違っていたのだと気づいたという。


アーレント過去はけっして死にはしない。
過ぎ去りさえしないのだ
というフォークナ-の言葉を
好んで引用した。(p117)


一つの心が壊れるのをとめられるなら
わたしの人生だって無駄ではないだろう

エミリ・ディキンソンの詩の一節(p134)


文字をつかって書くことは、
目の前にいない人を、
じぶんにとって無くてはならぬ存在に変えてゆくことです。

  (後記より)


こうしたメモだけでは、
なんのことだか今ひとつわからないものもあれば、
メモだけで、
あれこれいろいろ思い出して感慨にふけるフレーズもある。

懐かしくなって、久々に本を開く。
いずれも、目の前にいない「きみ」に宛てて書かれている
詩人からの手紙形式のエッセーは、
これらの言葉の宛て先である「きみ」が、
あなたであればうれしいと思います。

と結ばれていて、
なんだか、ひさしぶりに
懐かしい人から手紙を貰ったような気がしてきた。

『ヤーガの走る家』

 

 わたしの家には、鳥の足がはえている。
 家は、年に二、三度、夜中にすっくと立ち上がり、猛スピードで走り出す。百キロ走るときもあれば、千キロのときもある。そして似たような場所にばかり、すわりこむ。暗い森の奥だったり、冷たい風がふく荒れ地だったり。町のはしにある工場跡に隠れていたときもある。



こんな書き出しで始まるものがたりの主人公はマリンカ。
祖母のバーバとカラスのジャックと一緒に鳥の足を持った「ヤーガの家」で暮らしている。

この家には、あの世とこの世の境界を守る秘密の「門」があって、バーバはその門の番人なのだ。

毎夜、訪ねてくる死者たちを、美味しい料理と楽しい音楽でもてなしては、門の向こうの世界へ送り出すのがバーバの仕事で、マリンカもそれを手伝っている。
いずれバーバのあとを継ぐべく、修行中の身なのだ。

でも本当のことをいえばマリンカはずっと、一夜限りのもてなし相手の死者ではなく、生きている人たちと友だちになって、思いっきり遊んでみたかった。

だから、バーバのいいつけに背いて、あんなことをしてしまったのだ。



スラヴ民話に登場する魔女「バーバ・ヤーガ」をモチーフに、家族の愛情や友だちとの絆、進むべき道を自ら選び自分の足で歩いて行くことの意味を織り交ぜながら、少女の葛藤と成長を描いたファンタジー

マリンカをとりまく、ユニークで魅力的な面々も楽しい。
とりわけ私のお気に入りは、愛情たっぷりで忍耐強く、拗ねたところもかわいい、もう一人(?)の主役ともいえるマリンカが暮らす「ヤーガの家」!


一つだけ残念なことをあげるとすれば、バーバ・ヤーガ伝説と異国情緒をひきだすためか、ふんだんにロシア料理やロシアの飲み物クワスが登場し、読み手の胃袋を刺激してくれるのだが、これらの料理が「変わったたべもの」扱いで、今ひとつ美味しそうに読めなかったこと。
ロシア料理を知らない読者にも、あれはどんな味なんだろう!是非とも食べてみたいものだ!と、思わせるようなシーンがもう少しあれば、もっとよかったんだけどなあ。

それはさておき、この本のバックミュージックはもちろん、ムソルグスキーの『展覧会の絵』9. 鶏の足の上に建つバーバ・ヤーガの小屋をお薦めします!

2021年8月の読書

8月の読書メーター
読んだ本の数:20
読んだページ数:4717
ナイス数:670

映画ノベライズ ハニーレモンソーダ (集英社オレンジ文庫)映画ノベライズ ハニーレモンソーダ (集英社オレンジ文庫)感想
#ナツイチ 長篇漫画が原作の映画版ノベライズなので、おそらくいろいろすっ飛ばしそぎ落としているのだろう、あらすじに近いものになっていて、展開や設定に無茶ぶりだろうとおもわれるところもなくはないが、甘酸っぱい青春ラブストーリーではあった。概ね楽しみはしたが、陰湿ないじめのシーンが、恋や友情を結びつける必須アイテムみたいな扱いになっている点は気になった。「いじめ」は格好悪いだけじゃない、それ自体が罪だという意識が希薄な気がして、映画でのそのあたりの描かれ方はどうなっているのかも気になるところ。
読了日:08月31日 著者:後白河安寿,村田真優,吉川菜美
赤い魚の夫婦赤い魚の夫婦感想
現代メキシコを代表する作家の作品をはじめて日本に紹介する短篇集と聞いて、期待値高めで手にした本は、比較的薄い本にもかかわらず、いろんな意味で予想を超える読み応えたっぷりの1冊だった。収録作品は全部で5篇。「魚」「ゴキブリ」「猫」「菌類」「蛇」と、それぞれの物語の中で人間以外の生き物が重要な役割を果たしている。インパクトはゴキブリと戦う「ゴミ箱の中の戦争」が最も強烈だが、いずれの作品も読み終えた後までじわじわくるものがあって忘れがたい。
読了日:08月30日 著者:グアダルーペ・ネッテル
後宮の検屍女官 (角川文庫)後宮の検屍女官 (角川文庫)感想
第6回角川文庫キャラクター小説大賞とをダブル受賞した“中華風後宮”ミステリー。幽鬼の噂で混乱した後宮への夜警支援は表向きで実は密命を帯びている計算高い宦官と、出世を望まず三度の飯より寝ることが好きで、いつか城を辞して適当な検屍官たらしこみ検屍の現場で働くことを密かに夢見る女官とが、タッグを組んで、難事件に挑む物語。これはなかなかの意欲作。もしも続きが出たら、きっと手を伸ばしてしまうだろうな。
読了日:08月28日 著者:小野はるか
ハムレットの母親ハムレットの母親感想
ハイルブランの6冊目の評論集とのことで、1950年代に書かれた表題作「ハムレットの母親」の他に、1972年から1988年代後半、すなわち著者の言葉をひけば「公然たる献身的なフェミニストとしての生活のあいだ」に書かれた20編の論文が収録されている。『ハムレット』を、オルコットの『若草物語』を、メイ・サートンの回想録を、ヴァージニア・ウルフやドロシー・L・セイヤーズの諸作品を読み解くフェミニスト批評はワクワクするほどの面白さ。またまた読みたい本のリストがぐんと伸びてしまった。
読了日:08月26日 著者:キャロリン・G. ハイルブラン
屍の街: 大田洋子 原爆作品集屍の街: 大田洋子 原爆作品集感想
いやもうこれは、買ってよかった。本当に読み応えのある素晴らしい作品集だった。こういう本は、ぜひとも読み継がれて欲しいから、多くの図書館に収蔵してもらいたいところ。
読了日:08月24日 著者:大田洋子
作家の秘められた人生 (集英社文庫)作家の秘められた人生 (集英社文庫)感想
#ナツイチ 読みながら(この作家、どんな作品を書いていたのかしら?)と検索しそうになって、ハッ!と思いとどまる。これフィクションだったじゃないか!(ああそうきたか!)と、分かったつもりになっていたのに、どんでん返し!?(そうだったのか!)と、納得しかけると、またもや、思わぬ方向に舵がとられ、思いっきり翻弄されて、(ええっ!?そっちか!)(今度こそ!?)と、作者の思うつぼにどっぷりはまって、翻弄されまくり……。終わってみれば、なんとこんなところにヒントが!?初めてのギヨーム・ミュッソ、堪能いたしました。
読了日:08月23日 著者:ギヨーム・ミュッソ
骸骨:ジェローム・K・ジェローム幻想奇譚骸骨:ジェローム・K・ジェローム幻想奇譚感想
すごく読みたかった本を書評サイト本が好き!を通じていただいた。ユーモラスな語り口の怪談あり、由緒正しい正統派の怪奇小説あり、奇跡譚あり、恋愛譚あり、SFもあって、妖精譚もある、この1冊でいろんな味が味わえて、一気に読むのはもったいないが、一気に読んでも飽きがこないので、ページをめくる手が止められない!そんな短篇集。とりわけお気に入りはラストを飾る「ブルターニュのマルヴィーナ」!かつて行き過ぎた悪戯が原因で追放された妖精が、現代に蘇り英国にやってくるこのファンタジーがもう素晴らしい!
読了日:08月20日 著者:ジェローム・K・ジェローム
探偵は御簾の中 検非違使と奥様の平安事件簿 (講談社タイガ)探偵は御簾の中 検非違使と奥様の平安事件簿 (講談社タイガ)感想
期間限定一巻丸ごと無料公開で読了。役付の夫に代わって妻が事件を推理する安楽椅子探偵ものかと思っていたのだが、さにあらず。政略結婚したカップルのラブコメディという感じ。まあ夫婦の機微を語るには、二人はまだまだ若すぎるのかも。
読了日:08月18日 著者:汀こるもの
殺人ゲーム (角川文庫)殺人ゲーム (角川文庫)感想
Twitterのプレゼント企画に当選してKADOKAWAさんから戴きました。タイトルから凄惨なシーンも覚悟して読み始めましたが取り越し苦労で、じっくり腰を据えて考えるタイプの心理ゲームを堪能。
読了日:08月18日 著者:レイチェル・アボット
氷柱の声氷柱の声感想
高校二年の時、東日本大震災にあった主人公は、それなりに充実した毎日を送っているが、折ある毎に「震災の影」が…。いいやそうではない。そうではないのだ。主人公も主人公に連なるあの人もこの人も、震災をなかったことにはできないが、それをいうなら程度の差こそあれ、あなたも私も、誰もがあの震災をなかったことになどできないではないか。作家はいわゆる“震災を乗り越え前向きに生きる若者たち”を描いたのではない。ただ率直に自分と、自分と同世代の日常を書いたのだ。そしてそれはしなやかさや温かさが感じられる物語だった。
読了日:08月16日 著者:くどう れいん
曲亭の家曲亭の家感想
当代きっての人気作家曲亭馬琴の嫡男に嫁いだ女性を主人公に、大長編里見八犬伝執筆の舞台裏に迫る物語。独裁的な舅に常に振り回されて、「八犬伝」のことを恨めしくさえ思っていたお路が、人々がなぜ、読物、絵画、詩歌や芝居など、衣食住に全く関わりのないものを、求めるのかを悟るとき、読者もまた、「そうそうそうなの!」とお路と作者に喝采を送ることになるのだが、それでもやっぱり「嫁」の立場としては、お路に深い同情をよせずにはいられなかった。
読了日:08月15日 著者:西條奈加
kaze no tanbun 夕暮れの草の冠kaze no tanbun 夕暮れの草の冠感想
岸本佐知子さんやっぱりいいな、「メロンパン」。滝口悠生さんの「薄荷」はどこか懐かしい感じが好き。でもやっぱりこの短文シリーズでは、一冊目の『特別ではない一日』が一番面白かった気が。読者がすれてしまっただけかもしれないけれど。
読了日:08月14日 著者:西崎 憲,青木 淳悟,円城 塔,大木 芙沙子,小山田 浩子,柿村 将彦,岸本 佐知子,木下 古栗,斎藤 真理子,滝口 悠生,飛 浩隆,蜂本 みさ,早助 よう子,日和 聡子,藤野 可織,松永 美穂,皆川 博子
家宝 (ブラジル現代文学コレクション)家宝 (ブラジル現代文学コレクション)感想
1991年にブラジルで最高の文学賞と言われるジャブチ賞(小説部門)を受賞したというこの作品。130ページほどの比較的短い作品の中に、語りのリズムや表現の美しさが感じられるのは、作家というより詩人として知られている著者の作品を、訳者が丁寧に訳したからに違いない。 真相は?真実は?と考えながら読み進めるうちに、「本物」の意味についてもまた考え始める。 この世に不純物を一切含まない純粋な物などあるのだろうか。幸福とはいったいなんだろうか、と。
読了日:08月14日 著者:ズウミーラ ヒベイロ・タヴァーリス
病むことについて 新装版病むことについて 新装版感想
ウルフのエッセイから訳者が選んだ14篇と短編2篇を収録。なんといってもすばらしいのが、「いかに読書すべきか」と「書評について」。気に入った箇所を書き出そうとすると全文引き写してしまいそうなので、これはもう永久保存版にしようときめる。
読了日:08月12日 著者:ヴァージニア・ウルフ
なんて嫁だ めおと相談屋奮闘記 (集英社文庫)なんて嫁だ めおと相談屋奮闘記 (集英社文庫)感想
「繁盛したことあったっけ?」というツッコミはありつつも、あの「よろず相談屋繁盛記」が「めおと相談屋奮闘記」に看板を掛け替えてセカンドステージに突入した!? #ナツイチ 
読了日:08月10日 著者:野口 卓
ホワイト・フラジリティ 私たちはなぜレイシズムに向き合えないのか?ホワイト・フラジリティ 私たちはなぜレイシズムに向き合えないのか?感想
たとえば「それ偏見だよ」「ずいぶん差別的だね」と、誰かに指摘されたら、おそらく私は躍起になって「そんなことはない」「それは誤解だ」と弁明するだろう。場合によっては、「人権問題には若い頃から積極的に関わろうとしてきた」「私には○○の友だちだっている!」などと口走るかもしれない。でも、違うのだ。私の中には確かに、なんらかの偏見があり、意識的ではないにしろ差別的な発言をしてしまうことだって十分あり得る。そう自覚して、自分の中のあれこれを常にアップデートしていく必要があるのだと改めて肝に銘じる。
読了日:08月09日 著者:ロビン・ディアンジェロ
雀
読了日:08月06日 著者:原 民喜
うたうおばけうたうおばけ感想
“感性”はもちろん、なにより“若さ”がまぶしいが、まぶしくて目をそらしたくなるというよりは、若返りエッセンスをお裾分けしてくれるようなエッセイ集だ。
読了日:08月05日 著者:くどうれいん
夏子の冒険 (角川文庫)夏子の冒険 (角川文庫)感想
あなたもだめ、あなたもだめ、と、瞳の中に情熱の輝きを宿した男がいないことを嘆き、こんなことならいっそのこと一人でいた方がましだと思いつめるナルシスト。夏子こそ、三島由紀夫の分身なのかも!?
読了日:08月03日 著者:三島 由紀夫
子供時代 (ルリユール叢書)子供時代 (ルリユール叢書)感想
“自伝的小説”であるはずのこの作品には、作家自身を思わせる人物と、同じ記憶を共有しているらしいもう一人と、語り手が二人いる。そして二人は常に対話している。一方は記憶をたぐり寄せて「子供時代の思い出」を語ろうとし、もう一方は、その「思い出」の裏に潜む語り手の意識を引き出すかのように、出来事のひとつひとつに再検討をうながす。ああもちろんそうだ。いつだって子供は鋭い観察者だ。
読了日:08月02日 著者:ナタリー サロート

読書メーター

『赤い魚の夫婦』

 

 著者のグアダルーペ・ネッテル(Guadalupe Nettel)は、1973年メキシコシティ生まれの、現代メキシコを代表する女性作家。
国際的にも高い評価を受けている作家の作品を初めて日本に紹介する短篇集だというので、ページをめくり始める前からかなり期待値が高かった。

収録作品は全部で5篇。
比較的薄い本ではあるが、一気に読むのは勿体ない気がして、毎晩1篇ずつじっくり読むことにした。

最初の晩は表題作「赤い魚の夫婦」
パリで暮らす夫婦の元に、友人からのプレゼントとして持ち込まれた真っ赤な2匹の観賞魚
幸運を呼ぶという赤い魚は、出産を控えてあれこれ不安が募っていた「わたし」にとって慰めになるはずだった。
やがてその魚は“ジャム闘魚”という名で知られる、気性が荒く共生の難しい魚である事がわかる。
「わたし」はメスの身体に表れたくっきりとした横線がストレスのせいだと知って、あれこれと環境の改善を試みるのだが……。
人と魚、二組の夫婦をめぐる物語だ。
自ら望んで暮らし始めたわけでもない、水槽の中でしか生きられない魚たちに、人が自分の姿を重ね合わせるのは、間違いではないか気づいたときに、人は自ら囲いの外へ一歩踏み出さずにはいられないものなのかもしれない。

そんなしんみりとした気持ちを引き摺ったまま迎えた2日目の夜に対面したのは、本書一番の衝撃作!?「ゴミ箱の中の戦争」
両親の不仲の為に伯母の家に預けられた少年の成長譚かと思いきや、戦う相手はなんとゴキブリで、そのすさまじい闘いぶりに一気に眠気が吹っ飛んだ。

3日目の夜は「牝猫」で、猫ならば…と油断していたら、妊娠がテーマのお腹のあたりにガツンとくる作品だった。
もちろん人間だって猫だって、“自分のことは自分で決める”そうありたいものだけれど……。

4話目に直面したのは「菌類」
昔どこかでフランス語に、「水虫」のことを「足にきのこが生える」という言い回しがあると聞いた記憶があって、きっとそのあたりから着想を得た話なのかなと思いつつ読み始めたら、どちらも既婚者というヴァイオリニストたちの不倫の話だった。
音楽の調べのようにどこか幻想的な、それでいて驚くほどの“湿度”の高さ。
ちょっと変わった読み心地だとは思っていたが、まさかあんなところにきのことは!?

ラストを飾るのは「北京の蛇」
「魚」「ゴキブリ」「猫」「菌類」ときて、意外なことに5つの作品の中では一番、語り手と生き物との距離がある。
それは蛇が、パリで両親と暮らしている語り手自身ではなく、語り手の父親によって、家族を寄せ付けない書斎で飼われているからなのだが、蛇は最後の最後までどこか得体の知れない生き物のまま。
それは父が魅せられた北京の少女にもいえることで、結局は北京のそれが、家族を食い尽くすことになったというのだが、でも本当にそうだろうか、蛇にだって少女にだって別の言い分があったのではなかろうか…と、余韻を残す絶妙な距離感だ。

出てくる生き物もいろいろなら、夫婦、親子、恋人、家族など登場人物たちの関係もその胸のうちも様々で、物語の舞台もパリや、メキシコシティコペンハーゲンなどと、ひとところに留まらない。

一見気ままなようでいて、とても繊細で、とても奥行きのある、そんな物語たち。
じわじわとせまってくる不穏な雰囲気に飲み込まれそうになりながら堪能した。

『後宮の検屍女官』

 

 第6回角川文庫キャラクター小説大賞とをダブル受賞した“中華風後宮”ミステリー。

発売後、一週間もしないうちに重版決定!と聞いて、こういうのって“何匹目のドジョウ”なのかしら?と思いつつ読んでみることに。

なんといっても私、“中華風”も“後宮”も“ミステリー”も嫌いじゃないのだ。


後宮で1人の妃嬪が亡くなった。
彼女は妊娠7ヶ月で、以前から、妊娠中毒による全身浮腫や激しい動悸が確認されてこともあり病死とされた。
妊娠や出産にともなう死は、めずらしいものではなかったのだ。

ところがしばらくすると後宮内に「死王が生まれた」という、不気味な噂が飛び交うようになる。
先だってなくなった妃嬪の死因は、病死ではなく謀殺で、死者は犯人を怨み,死後に赤子の幽鬼を産み落とした。幽鬼は母の怨みを晴らすため、謀殺の首謀者を探して夜な夜な後宮内を這いずり回っているのだというのだ。

後宮の女官たちは怖がって、夜廻りの警護も人手不足に。
中宮尚書の宦官延明は、皇后の命を受け後宮内の夜警支援に乗り出し、こちらも人手不足解消のために借り出された皇帝の寵妃付きの侍女桃花と運命的な出会いをする。

といってもこれ、ちっともロマンチックな出会いではなく、夜警支援は表向きで実は密命を帯びている計算高い宦官と、出世を望まず三度の飯より寝ることが好きで、いつか城を辞して適当な検屍官たらしこみ検屍の現場で働くことを密かに夢見る女官とが、タッグを組んで、難事件に挑む物語なのだ。

検屍官だった祖父の元で学んだ知識を活かして真相に迫る桃花は、検屍を「冤罪を無くす術」とだという。

その言葉が、かつて冤罪のために宦官に身を落とされた延明にどう作用するのか、謎解きとともにここが読みどころ。

これはなかなかの意欲作。
もしも続きが出たら、きっと手を伸ばしてしまうだろう。

『ハムレットの母親』

 

 キャロリン・G・ ハイルブランは、1926年生まれ。
コロンビア大学で博士号を取得し、同大学で長く教鞭を執り、1992年に引退、名誉教授となった。
専攻は近代イギリス文学、フェミニズム文学。
アマンダ・クロスというペンネームでミステリーも書いている。

本書は、ハイルブランの6冊目の評論集とのことで、1950年代に書かれた表題作「ハムレットの母親」の他に、1972年から1988年代後半、すなわち著者の言葉をひけば「公然たる献身的なフェミニストとしての生活のあいだ」に書かれた20編の論文が収録されている。

昨今では“フェミニスト批評”という言葉自体も随分と浸透してきた気がするが、あるいはもしかすると“フェミニスト”とか“フェミニズム”といった言葉を目にすると、もうそれだけで読む気がしなくなる…という方もおられるかもしれない。

でもちょっと待って欲しい。

たとえばこの本の表題作「ハムレットの母親」を見てみよう。
ハムレットの母親ガートルードはデンマークの王妃。
夫を亡くした直後に王位を継承した亡夫の弟と結婚するこの女性を、多くの批評家は王の殺害には荷担しておらず、「悪気はないが、浅はかで、ことばの軽蔑的な意味において女性的であり、持続的に理性を働かせることのできない、うわすべりで軽はずみな女性だと考えてきた」が、「この戯曲をもっとたんねんに読めば、この伝統的な読み方が誤っているのはわかるはずだ。」と、ハイルブランはいう。

そうしてハイルブランは、戯曲に書かれたことのみを根拠に、ガートルードの人となりを分析してみせる。
そうして浮き上がってきたガートルード像はというと…。
うーん。なるほど。
これはもう『ハムレット』、再読してみるしかないか。

ハイルブランはいう。
フェミニスト批評は決して「破壊的なものではない」と。

それは文学を攻撃しようとするのではなく、文学を、いかに並列的であろうと、女性たちが刻みこんだとおりに、あるいは、女性が書いたものではなくても、少なくともジェンダーや性的イデオロギーを排斥する女性を敵視しない精神で書かれたとおりに再解釈しようと努めます。この仕事の遂行において、フェミニスト批評は、他のなによりも喜劇に似ています。

と、彼女は続けている。

そうして『ハムレット』を、オルコットの『若草物語』を、メイ・サートンの回想録を、ヴァージニア・ウルフやドロシー・L・セイヤーズの諸作品を読み解く様はワクワクするほどの面白さ。

それにしてもフロイトときたら!
時代の制約があるとはいえ、この本で明らかにされている「フロイトの娘たち」に関するあれこれは本当にひどいかった。
でもきっとフロイトに限らず、こういうのはアカデミアの世界では「当たり前」だったのかも、いやアカデミア界隈だけでなはない、現に作家の世界だって……。
うん。やっぱり、フェミニスト批評、たまにはあなたも耳を傾けてみた方がいいんじゃない?

『屍の街』

 

 もう随分前のことではあるが「屍の街」は読んだことがあったので、私は大田洋子を「原爆文学作家」として記憶してはいた。
だが、それ以外の作品は読んだことがなく、作家自身についても、広島で被爆したということ以外はなにも知らなかった。

本書の巻末に15ページにわたって掲載されているこの作品集を編んだ長谷川啓氏の解説「21世紀の今日への警鐘---原爆体験の記憶が問いかけるもの」によれば、1930年に広島で生まれた作家は、戦争の時代に協力的な銃後小説を書いて流行作家となり、戦時下の中国への取材旅行や、慰問などにも出かけていたという。
だが東京から広島の妹宅に疎開していた折に被爆し、敗戦を迎えてからは、原爆文学を書き続ける。
もっとも、それらの作品は、占領軍の元で、あるいはその後も長く続く原爆タブーの中で、なかなか発表の機会を得ることができなかったらしい。

収録作品にはいくつも、語り手が著者本人を思わせる小説家だというものがあって、物語の中にもそうした苦労や苦悩がにじんでいる。

一度は引き受けたはずの出版社が、いろいろ事情があってと、原稿を返してくる場面もある。
原爆について語ろうとすれば、「原爆を売り物にしている」などという批判をうけることさえもある。

もちろんそうした苦労だけでなく、執筆にあたっての苦悩は胸が痛いほどで、作家というものの業に思いを馳せずにはいられない。

例えば「屍の街」にはこんなシーンがある。

するとそこには右にも左にも、道のまん中にも死体がころがっていた。死体はみんな病院の方へ頭を向け、仰向いたりうつ伏せたりしていた。眼も口も腫れつぶれ、四肢もむくむだけむくんで、醜い大きなゴム人形のようであった。私は涙をふり落としながら、その人々の形を心に書きとめた。
「お姉さんはよくごらんになれるわね。私は立ちどまって死骸を見たりはできませんわ。」
 妹は私をとがめる様子であった。私は答えた。
「人間の眼と作家の眼のふたつの眼で見ているの。」
「書けますか、こんなこと。」
「いつかは書かなくてはならないね。これを見た作家の責任だもの。」


取材のために被爆者をたずね歩き、少女の顔に残るむごたらしい傷跡を前になにも訊くことができずに涙する。(「ほたる」

あるいは「城」という作品には同郷の詩人の自殺をうけてこんな回想も。

「原は原子爆弾の幻影がなくても、自殺はしたと思いますね。却ってその記憶のために、それを書きしるそうとして、何年か故意に生きていたという気がします」
 玉岡のこのような説を私は素直にうけとることができた。原が自らの手で命を絶ったことを、私も必ずしも原子爆弾と結びつけようとはしていなかった。それにも拘わらず、原の原子爆弾の投下を浴びた記憶と、のちの日の彼の自殺とは、一つのものである気が私にはしていた。


そうかとおもえば、別の作品では、語り手の作家自らも眠ることが出来ずに、薬に頼り、身体を壊して入院を余儀なくされていたりもする。

どの作品も読み応えがあって、戦争や原爆の悲惨さだけでなく、いかに生きるべきかという作家の苦悶も含めて、読者の心に訴えかけてくるものがある。

原爆の悲惨さに涙はでないが、「残醜点々」のこのシーンだけは別だった。

七夕飾りの短冊になにを書こうと書きあぐねた末に「戦争反対」「平和を」「自由を」などと書き連ねたものの、あとになって妹がつぶやく。
あした、雨があがって天気になっても、このきれいな竹、外へ出せるかしら。心配になってきたわ。だってうちのは、よそのとちがうことばかり書いた短冊でしょ
あくる日夕方近く晴れてきて、妹が息を弾ませて帰ってくる。
「だいじょうぶ、だいじょうぶ」
原爆にさらされた生き残りの人間と、戦場からの復員者ばかりが住んでいる見渡す限りあばら家の家々の軒下に、色とりどりの短冊がはためく竹が立てられている。
短冊の1枚1枚にには「反戦」や「平和、自由、独立」、「お父さん」の文字が。
東京で自殺したこの街出身の詩人の碑銘の詩もあった…というそのシーンに、気がつけば涙をこぼしていた。

【収録作品】河原/牢獄の詩/屍の街/過去/恋/城/どこまで/暴露の時間/ほたる/半人間/残醜点々/ある墜ちた場所



※ここからは余談
★5つをつけたこの本、小鳥遊書房というまだ新しい小さな出版社からでた、内容はもちろん装丁も素敵なとても良い本なのだが、校正があまいのか、明らかに誤植だと思われる箇所がいくつかあった。
ぜひとも読み継がれて欲しい作品集だけに、版を重ねた折に改訂できるように売れてほしいと思うのだが、お値段もなかなかだし、気軽に購入してみようという人が多いとも思えない。カーリルで検索してみたところ収蔵している図書館もまだまだ少ないようなので、興味がある方はぜひ地元図書館への購入リクエストも含めて検討してみて欲しいところだ。