かもめもかも

かもめのつぶやきメモ

『引き出しに夕方をしまっておいた』

 

引き出しに夕方をしまっておいた
いろんなことを思い浮かべるにはこのタイトルだけでも十分だという気がしていた。

夕焼け空を永遠にとどめておきたいとか。
夜を足止めしたいとか。
あるいは、誰かの帰りを待ちわびているこの時間が一番愛おしく思えるとか。

けれども、実際にページをめくってみて、
私は自分の陳腐な想像力に思わず苦笑してしまう。

ある
夕方遅く 私は
白い茶碗に盛ったごはんから
湯気が上がるのを 見ていた
そのとき 気づいた
何かが永遠に過ぎ去ってしまったと
今も永遠に
過ぎ去っているところだと

ごはんを食べなくちゃ

私はごはんを食べた
(「ある夕方遅く 私は」)



久しぶりに会った友人が言った ねえ、最近はずいぶん早く歩くんだね
 (「鏡のむこうの冬3--Jへ」の一節)
そう声を掛けられて、思わず立ち止まる。

ときには 私たちの目が白黒のレンズだったらいいのに

黒と白
その間にある数え切れない陰影に沿って

(「夜の素描」より抜粋)


詩集を手にすると、私は大抵それを、声に出して読むのだけれど、
この本の中の詩は、声に出して読み上げると
なにか大切なものがこぼれ落ちてしまいそうな気がして、
そっとつぶやくように読んでみる。
 

2013年に韓国で出版されたハン・ガン初の詩集。
60篇ほどの詩を、きむふなと斎藤真理子という稀代の翻訳家が共訳していて、
巻末に収録された訳者二人の対談も、
詩人と詩人が詠う世界を理解するために大いに役立つ。

そしてもう一つ、
これがクオンの書籍の大きな魅力の一つでもあるのだけれど、
巻末に掲載されたURLから、
5篇の詩の原語朗読を聴くことができる。
しかも今回の朗読者はなんと詩人本人!
原詩の調べも必聴だ。

『アイダホ』

 

周囲には他に住む人もないアイダホの山中に、夫ウエイドと二人で暮らすアン。
彼女は時折、夫に気づかれぬようこっそりと家を抜け出して、少し離れた場所に停めてある古いトラックに乗り込む。

といっても、どこかにでかけるわけではない。
ただ一人になってあれこれと物思いにふけるのだ。

夫と出会った頃のこと、夫の病と日々の生活への不安、思い煩うことはあれこれあるが、もっとも多くの時間を費やすのは、かつてこのトラックに乗っていた、夫とその前妻と二人の娘たちのことだ。

ある夏の日。
一家4人はこのトラックに乗り込んで、薪にする丸太をとりに別の山へと向かった。
だがしかし、戻ってきたのはウエイドただ一人。
その日、前妻のジェニーは下の娘メイを手に掛けて、おそらくはそれを目撃したのであろう上の娘ジューンは失踪した。

母による子殺し。
ジェニーは一切抗弁をせず、罰を受けることだけを望み、終身刑を受ける。

必死の捜索にもかかわらず、長女ジューンの行方はわからなかった。

追い打ちをかけるように、ウエイドは父や祖父と同じ若年性認知症を患い、次第に記憶を失いつつあるのだった。


物語は、事件から9年、アンとウエイドが結婚してから8年後、アンがあれこれと回想する場面から始まる。

日ごとに記憶を失っていく夫と共に暮らすアンと、刑務所の中で生き続けることで罰を受ける前妻ジェニー。
二人の「現在」の合間に、ウエイドとジェニー、ウエイドとアン、それぞれのなれそめ、ウエイドとジェニーの娘たちのエピソード、ウエイドと同じ病を患っていた彼の父親の話などが、語り上げられていく。

まるで霧の中にいるように、ぼんやりと浮かび上がりはするものの、はっきりとしない「事件の真相」が、あの人、この人の記憶の断片をつなぎ合わせていくうちに、明らかになるに違いないと思いつつ、ページをめくる。

だがそこで待ち受けていたものは……。

互いが20代、あるいは30代前半ぐらいならば、設備もなければ経験もない山の中で暮らし始める無謀さも、50過ぎて発症するかもしれない病への不安もものともせずに、夫婦二人だけの生活を始めるほどの情熱も、大いにあり得るだろうと思いはする。
けれども、だんだんと記憶を失いつつ相手に恋をして、そのすべてを引き受けるべく結婚するという選択が果たしてあり得るだろうかと、読者は本から顔を上げてこっそりと、家人の顔を盗み見たりする。

人の心の機微と共に、自然の厳しさと美しさをも静かに語り上げる物語は、2019年度国際ダブリン文学賞を受賞した著者長編デビュー作。

「真相」もさることながら、記憶について、愛について、考えさせられる、一読、二読、三読の価値のある物語だった。
 

『菜食主義者』

 

#はじめての海外文学 vol.2フェア応援読書会の時からだから、この本のことを知ったのは6年ほど前のことだ。
何年も前に李箱文学賞大賞も受賞しているというこの作品は、ちょうどその年、ブッカー国際賞を受賞したのだった。

そんなわけで、ずっと気になっていた本だった。
にもかかわらず、なかなか手を伸ばせずにもいたのはこのタイトルのせいだった。

今の世の中、ベジタリアンもめずらしくはないと思いつつも、少なくても私の周辺ではまだまだマイナーだ。
実を言うと私も、少なくても週に1度は、丸1日動物性の食材を一切つかわない食事をとっているのだけれど、それに対する周囲の風当たりはかなり強い。

とりわけ親世代には肉食への信奉が根強く、そんなことをしていては「力が付かない」「病気になるのでは」と、ことある毎に苦言を呈する。

そんなこともあり、ある日を境に菜食主義者になった女性をめぐる物語と聞いて、少々躊躇するものがあったのだ。

だがしかし、今年(2022年)は本書の版元クオンの創業15周年。
記念の読書会を開催中でもあることだし…と、満を持しての『菜食主義者』、意を決して読んでみた。


この本は3つの作品を収めた短編集だが、登場人物が共通しているので一つの長編としても読むことができる。

“平凡”な専業主婦だったヨンヘは、ある日突然肉を食べなくなる。
ベジタリアン自体はさほど珍しくないが、ヨンヘの場合、なんらかの主義主張や、宗教や、誰かの影響があってそうなったわけではないらしい。
本人に問いただしても、自分が見た気味の悪い夢の話をするだけだった。
これが三つの物語に共通する前提だ。


菜食主義者」はそんなヨンヘをめぐるあれこれを夫の視点から描いた物語だ。
それまで自分の期待通りに平凡な妻の役目をつつがなくこなしてくれていたヨンヘ。
それまで妻への不満と言えば、彼女がブラジャーをつけることを嫌がることぐらいだった。
ある日突然、冷蔵庫の食材をすべて捨ててしまうまでは。
夫の語りはそのとまどいだけでなく、彼の結婚観や、ヨンヘと彼女の両親との関係など、ヨンヘのこれまでを鮮やかに描き出す。


つづく「蒙古斑」の主役は、ヨンヘの姉の夫だ。
芸術家の彼は、以前妻から聞いたヨンヘの身体に蒙古斑が残っているという話に惹かれていた。
この義兄、離婚し、退院後一人で暮らすヨンヘの様子を見ているうちに、芸術的なインスピレーションを得て、裸体に植物の絵を描いた彼女をモデルにした作品を撮ろうと思い立つ。
ここに描かれるヨンヘは、どこまでも男の視点からのそれで、彼女の胸の内は全くのぞくことができないにもかかわらず、その姿はとても痛々しい。


「木の花火」の主役は、ヨンヘの姉だ。
動物性のものを口にしなくなったことをきっかけに夫と離婚し、あれやこれやの末、両親からも見放された妹。
自分が夫を、息子が父親を失うきっかけとなった妹。
その妹を精神病院に見舞う姉の目に映るものは…。


ヨンヘをめぐるあれこれを、三人の身近な人物の視点から描き出す物語は、それぞれがそれぞれ抱く思惑と、ヨンヘとの距離感の描き方が絶妙だ。

動物性のものを口にしないという段階を通り越して、植物になりたいと本気で考えるヨンヘのその常軌を逸したかたくななまでの願い。

口をこじ開けてでも肉を食わせようと暴力を振るう彼女の父親や、芸術的な興味の域を超えて、性的欲求を彼女に向ける義兄。
男たちのその獰猛さとヨンヘの静への欲求とのコントラストがあまりにも鮮やかすぎて胸が痛んだ。

 

『その丘が黄金ならば』

 

中国系アメリカ人作家のデビュー長篇だということは知っていたが、
タイトルからその内容をうかがい知ることはできなかった。
手に取ったのは、訳者が藤井光さんだったから。
完全に“訳者読み”だ。

爸(ちち)が夜に死んでしまい、二人は一ドル銀貨二枚を探すことになる。
物語はこんな一文で始まり、
読み始めてすぐにこれは中国系移民の話なのだと合点する。

舞台はゴールドラッシュが過ぎ去ったアメリカ。
炭坑の町で暮らす11歳のサムと12歳のルーシーは、
明け方に爸(ちち)が亡くなっていることに気づく。
数年前に媽(はは)を失っている二人にはもう、
互いしか残されていなかった。

埋葬の儀式に必要な銀貨を手に入れるために、
それぞれが精一杯背伸びして策を弄するが、
うまく行かないばかりか、町を逃げ出さなくてはならなくなる。

こうして二人は、
父親の亡骸を葬るための旅にでるのだ。

そうした顛末まで読んだとき、読者は(おや?誤植か?)という文字を目にする。
「妹」
この一文字が間違いなどではなく、
紛れもない真実なのだと気づいたとき、
読者は頁の間から突き出された思いのほか力強い腕にがっしりと捕まれて
ものすごい勢いで物語の中に引きずり込まれる。

媽譲りの賢さ。
向学心旺盛で、現実的。
他人の顔色を読みながら、相手と上手くやっていこうとするルーシーと、
爸譲りの奔放さと、あくまで自分を貫こうとするサム。

なにがあれば家は家になるのだろうか。

それぞれがそれぞれの居場所を求めたつらく苦しい旅路の果てに、
二人がたどり着く場所は……。

現実と幻想がまざりあいながら展開する物語は、
旅の物話であると同時に、家族の物語であり、
開拓や移民の歴史ともに、人種差別やジェンダー問題をつきつけもする。

時々挟み込まれる中国語の響きに
いつの間にか息を凝らしていたことに気づかされて、
思わず大きくため息をつく。

またすごいものを読んでしまった。

『黄金の壺/マドモワゼル・ド・スキュデリ』

 

『黄金の壺』の主人公・大学生アンゼルムスは自他共に認める“いつまでたってもどじな万年学生”。
おろしたての服にしみをつけたり、邪悪な釘の頭にひっかけていまいましい鉤裂きをつくったりし、お偉いさんに挨拶しようすれば帽子が手から吹っ飛んだり、つるつるの床に足を取られて無様に転んでしまったり……と、どのどじぶりを数え上げればきりがない。

そんな彼は、エルベ河のほとりで自分のどじ加減に落ち込んでいたときに、“衝撃が電流のように全身を走り、胸の奥が震える”ことに!?

もうおわかりだろう、彼は恋に落ちたのだ。
“美しい暗青色の双のひとみ”に。
そしてこのアンゼルムス君、一目惚れした相手が、アルバイト先のお嬢さんだと、その時はまだ知るよしもなかった。

こう書くと、どじっ子大学生を主人公にした、現代風のラブコメのようだと思うでしょ?
でもこれ実は、19世紀初頭に書かれた幻想小説で、美しいひとみを持つマドンナはなんと蛇!
その父親は火の精(サラマンダー)で、若い二人の恋の行方を阻むのは、怪しげな魔法を使う老婆だったりするのだ。

いやはやこれは驚いた。
いくら美しい瞳の持ち主だったとしても蛇に恋をするか!?と、首をかしげながら読み始めたのだけれど、この文章の美しさがね。思わずうっとりしてしまうのだった。


『マドモアワル・ド・スキュデリ』は、その題材をルイ14世時代の犯罪事件と、パリの貴族社会のスキャンダルからとっただけでなく、当時の有名な女性作家マドレーヌ・ド・スキュデリを探偵役に据えたミステリー仕立ての物語だ。

パリの街で多発する高価な宝石を持った貴族が襲われる事件。
ようやく逮捕された犯人は意外な人物。
だがもしや、真犯人は別にいるのでは!?
作家というだけではなく、ルイ14世とその愛人マントノン侯爵夫人のお気に入りという立場にある御年73歳というマドモアワル・ド・スキュデリは、否応なく事件に巻き込まれ、自ら真相究明に乗り出す!?

いやいやこれは、なかなかどうして、サスペンス&ミステリ的には今でこそありがちな設定であるように思われるが、この初版1819年!この時代にこれ!
後世に影響を与えたというのも納得だ。

本書には上記2作の他にドン・ファンクライスレリアーナと題された連作から抜き出された小品が同時収録されている。
訳者解説によれば、『ドン・ファン』の語り手が宿泊する、壁掛けで隠してあるドアが、小さい廊下に通じていて、そこから直に泊まり客専用の桟敷席に入れるようになっている劇場附属の宿というのは、当時実際にあったのだそう。
いいなあ!そういう贅沢な芸術鑑賞、ぜひとも体験してみたいと思わない!?
あ、もちろん怪奇は抜きで!

 

 

 

『ベイルート961時間(とそれに伴う321皿の料理)』

 

ベイルートについて1冊の本を書く”という条件付きの、ベイルート国際作家協会が運営するライター・イン・レジデンスの招聘を受けた著者が、2018年4月~5月にかけて約1ヶ月半、961時間のベイルート滞在を基に書き上げた本。
フランス語で執筆され、フランスで出版された本を、著者自ら日本語に翻訳したのだという。

著者はこれを“料理の本”だというのだが、カヴァーを飾る写真以外に写真やイラストは一切無く、材料や分量を紹介するようなレシピもない。
それでも確かに、読んでいると料理というものについて、深く考えさせられる本ではある。

そもそも私は、著者のことはフランス語の翻訳家として認識していたので、なぜベイルートの、なぜ作家協会がと少々不思議に思っていたのだが、そうした経緯については、本書の冒頭に、2020年のベイルート港爆発事故後のあれこれと共に丁寧に語られている。著者が学生時代から「オリエント」と深い関わりをもってきたことを知って、なるほどそういう著者だからこそ、アフガニスタンの作家の作品の翻訳を手がけたりもしてきたのだろうと合点もした。

レバノンの国旗の色は、白、緑、赤。
これは“タマネギパセリトマト、つまりタブレの色だよ!”と陽気に言われて思わず笑う。
美味しい料理の話はいつだって、思わず笑顔を誘うもの。

もっとも、この料理の本は、ただ美味しそうなだけではない。

 彼らは、自分たちの間では戦争の話はしないと言うが、わたしに食べものの思い出を話し始めると、必ずと言っていいほど、戦争に関連する、心を打つエピソードが現れる。
 おそらく、料理というテーマは、一見深刻でないように思われるからこそ、語り手の思いがけない記憶を引き出すのかもしれない。例えば、「戦争時代の話をしてくれますか」と尋ねた場合にはでてこない話が。(P106)



その言葉通り、料理の話題がごく自然に、亡命者や避難民を生み出した戦争や政治の話へとつながっていくこともある。

レバノンには大勢のシリア人やフィリピン人がいるが、シリア料理、フィリピン料理、エチオピアスリランカの料理を食べさせる店はない。

もしこの現象が、食文化が比較的貧しい国で起こっているとしたら、料理に対して全般的に関心が薄い土地なのだと考えることができる。不思議なのは、レバノンの料理文化が洗練され、食材も豊富で、レバノン人自身も食べることが好きなのに、これほどの感性と要求度の高さを保ちながら、どうして、同じ街、または自分の家に住み込みで働いている人たちの料理を味わってみようという好奇心をもたないのだろうか、ということなのだ。(p168)

こんな風に街で見かけた人々や、見かけなかった料理から、移民や外国人労働者が話題に上ることも。
著者はレバノンにおける、隣国や移民料理の不在の理由を問うが、納得できる答えは得られていないという。

物事を先延ばしにすることは、世界は明日も変わらずに存在するだろうと考えることができる社会の特権的行為なのだ。あるかどうかわからない明日のために物事を取っておくことはできない。ためらうことの贅沢。(p199)



著者がこの本を執筆したのは、あのベイルート港爆発事故の前だったはずなのに、あれこれと思い巡らさずにはいられない言葉の数々も。

細かい章立てで連想風に連なっていく文章を味わいながら、料理も言葉も人と人をつなぎ、人を介して広がっていくものなのだと改めて思う。

そうそう、忘れないようにメモしておこう。
ブドウの若芽を天ぷらにする!これはぜひともやってみたい!
春になったら、ベイルートに想いをはせながら!

 

2022年8月の読書

8月の読書メーター
読んだ本の数:19
読んだページ数:4604
ナイス数:488

宣陵散策 (韓国文学ショートショートきむふなセレクション)宣陵散策 (韓国文学ショートショートきむふなセレクション)感想
なにがどうとうまく言い表せないのがもどかしいし、知ったところでどうすることもできないあれこれもまたもどかしいが、それでもこの作品、そういうもどかしさや、きれいごとで終わらせないことをも含めてとても良かった。
読了日:08月31日 著者:チョン ヨンジュン
ついでにジェントルメンついでにジェントルメン感想
収録されている短篇は7つ。なんといっても文壇よりの作品が面白いので、そういう物ばかり集めた連作短篇でも良かったのでは?と思いはするが、ここはそれ、巻頭作品にある菊池寛(の銅像)の忠告に耳を貸すべきか!?「よっぽど上手くないと埋もれちゃうよ。今、めちゃくちゃ多いじゃん。連作短篇」。さすが菊池寛(の銅像)、だてにサロンでずっと聞き耳を立てているわけじゃない。聞く耳を持つ作家にはいろいろ為になるアドバイスをしてくれるらしい!?
読了日:08月29日 著者:柚木 麻子
本おじさんのまちかど図書館 (ものがたりの庭)本おじさんのまちかど図書館 (ものがたりの庭)感想
あつい板の上に、本が積まれていて、その中から、本おじさんがぴったりの日に、ぴったりの人に、ぴったりの本を選んでくれる。想像してみて!街角にこんな図書館があったならって!それだけでもうわくわくしてしまう!
読了日:08月27日 著者:ウマ・クリシュナズワミー
海を渡り、そしてまた海を渡った海を渡り、そしてまた海を渡った感想
中国残留孤児”の血脈を三代にわたって語り上げる物語。190ページと、決して長い物語ではないが、フィクションでありながらも、著者が長年に渡る活動の中で知りあった中国残留邦人とそのご家族の実体験に基づいているからなのだろう、読み応えたっぷりの一冊だ。
読了日:08月25日 著者:河内美穂
プリズムプリズム感想
20~30代、4人の男女の恋愛模様。 映像作品も手がける著者ならではか、映像が目に浮かぶようなシーンや、印象的な言い回しが多い。登場人物達がくりひろげるあれこれに、傷ついたり心ときめかしたりするには、少々歳を取り過ぎてしまった自分を少し寂しく思いつつも、あの場面この場面を思い浮かべながら読み進め楽しんだ。
読了日:08月24日 著者:ソン・ウォンピョン
楽器たちの図書館 (新しい韓国の文学)楽器たちの図書館 (新しい韓国の文学)感想
「自動ピアノ」「マニュアルジェネレーション」「ビニール狂時代」「楽器たちの図書館」「ガラスの盾」「僕とB」「無方向バス」「拍子っぱずれのD」。しゃれたフレーズとほどよい甘さにほろ酔い気分になりがら読み進めると…。「楽器たちの図書館」という本書のタイトルは、そのまま収録作品の一つのタイトルでもあるのだが、読み終えて振り返ってみるとまさに、この本そのものが様々な音を集めた“図書館”だったのだと合点した。
読了日:08月24日 著者:キム・ジュンヒョク
宝島 (光文社古典新訳文庫)宝島 (光文社古典新訳文庫)感想
あまりにも有名な物語なので、すっかり知っているつもりになっていたけれど、きちんと読むのは初めて、これもまた例によって例のごとく 『やりなおし世界文学』からの派生読書。魅力的な登場人物がいっぱいで、この際だったキャラ立ちが、この作品の最大の魅力とも言えるかも。海洋冒険物にありがちな植民地主義的な色彩や、人種的偏見が濃くないことにも好感が持てるし、物語の結末はある程度約束されているにもかかわらず最初から最後まで、面白くて目が離せない。長く読み継がれてきたのも納得の“やりなおし”甲斐のある一作だった。
読了日:08月22日 著者:スティーヴンスン
夏 (新潮クレスト・ブックス)夏 (新潮クレスト・ブックス)感想
アリ・スミス四季四部作最終巻は『夏』。 これまで同様、いくつかの断片がちりばめられて、読者がそれを一つ一つ読み解いていくと、いつの間に一つの長編を読み終えている、というコラージュのような物語だ。 そうして秋冬春夏とすべて読み終え、改めて周りを見回してみると更に、スケールの大きな作品に取り囲まれて、ちょうどそのど真ん中に自分が立っていることに気づく。 これはもう、圧巻と言うしかない。 読み終えたばかりの『夏』を一旦脇におき、再び『秋』を迎えに行く必要がありそうだ。
読了日:08月19日 著者:アリ・スミス
放蕩子爵のやっかいな約束 (ラズベリーブックス)放蕩子爵のやっかいな約束 (ラズベリーブックス)感想
『侯爵と内気な壁の花』の続編。今度のカップルは、ケレイブの妹エミリーと彼の親友マルコム。お約束の展開ではあるけれど、やっぱり一気読みしてしまうのもまたお約束。
読了日:08月18日 著者:クリスティーナ・ブリトン
モーメント・アーケード (韓国文学ショートショートきむふなセレクション)モーメント・アーケード (韓国文学ショートショートきむふなセレクション)感想
“モーメント・アーケード”は見知らぬ誰かが体験した記憶のデータをショッピングできる場所。「会社員のお昼休みに体験したモーメント」「人気女優のモーメント」「ノミの心臓を持つビビリのホラー映画鑑賞モーメント」等々。短く編集されたあらゆる人生の“瞬間(モーメント)”が売り出されている。語り手の「私」はそんなモーメント・アーケードのユーザーだ。短篇の中に、ずしりと重い物が詰まった作品であると同時に、私ならどんな“モーメント”を売りに出すだろう?などと、思わずあれこれ想像してしまう軽やかさも兼ね備えた作品でもある。
読了日:08月17日 著者:ファン・モガ
ジーキル博士とハイド氏 (光文社古典新訳文庫)ジーキル博士とハイド氏 (光文社古典新訳文庫)感想
津村記久子さんの『やりなおし世界文学』からの派生読書。 子ども向けヴァージョンや映画でしか知らなかったこの作品、実は初読みだ。二重人格を題材としていることで有名な作品だと認識していたが、読んでみるとこれは怪奇&探偵小説なんだなあと改めて。
読了日:08月16日 著者:ロバート・ルイス スティーヴンスン
水曜日の手紙 (角川文庫)水曜日の手紙 (角川文庫)感想
#カドブン夏フェア2022 初めましての作家さん。読みやすく、ちょっとほろっとさせられるいい話。後味も悪くない。ひねくれた読者としては少しばかりあざとさを感じてしまうのだが、それはやっぱり好みの問題か…。
読了日:08月15日 著者:森沢 明夫
白い汽船 (10代の本セレクション)白い汽船 (10代の本セレクション)感想
先日読んだユン・フミョンの『白い船』からの派生読書。ソ連時代にキルギスの作家によって書かれた物語たち。それにしてもなんという美しさだろう。そしてまたなんて残酷なんだろう。なかなか入手できずに図書館で他館からかり出してきてもらったのだが、読んで良かった。
読了日:08月12日 著者:Ch.アイトマートフ
白い船 (韓国文学ショートショートきむふなセレクション)白い船 (韓国文学ショートショートきむふなセレクション)感想
1946年生まれの作家、ユン・フミョンが1995年に発表した本作は、同年李箱文学賞を受賞している作品で、語り手である作家が、ソ連崩壊後の中央アジア韓民族の同胞を訪ねる物語。歴史も今もいろいろな問題をはらんだ物語ではあるのだが、なんと言っても印象的なのは、冷たい水をたたえた湖と雪をかぶった天山山脈の美しさ。その描写は、見たことのない風景に憧れを抱くには十分で、いつか私も……と、思わず旅情をかき立てられる。
読了日:08月10日 著者:ユン・フミョン
椿姫 (光文社古典新訳文庫)椿姫 (光文社古典新訳文庫)感想
津村記久子さんの『やりなおし世界文学』をきっかけにはじめて読んだ『椿姫』。冒頭からなんとなく知っていると思っていた筋と違っていてびっくりも。いろいろな意味で読んで良かった1冊。
読了日:08月08日 著者:アレクサンドル デュマ・フィス
和製椿姫和製椿姫
読了日:08月06日 著者:大倉 燁子
こいごころ (しゃばけ)こいごころ (しゃばけ)感想
ちょっと意外な「こいごころ」、「妖百物語」は想像しただけで確かに怖い!?大いなるマンネリと思いつつも、ふふっと楽しみ、ところどころでついついほろっとしてしまうのもお約束。
読了日:08月05日 著者:畠中恵
目で見ることばで話をさせて目で見ることばで話をさせて感想
手話を母語とする少女の心温まる成長譚…かと思ったら、それだけにとどまらず、スリルもサスペンスもたっぷりのなかなかハードな冒険譚で!?いろんな意味で盛りだくさんで、読み応えたっぷりだ。
読了日:08月03日 著者:アン・クレア・レゾット
ニューヨーク製菓店 (韓国文学ショートショートきむふなセレクション 15)ニューヨーク製菓店 (韓国文学ショートショートきむふなセレクション 15)感想
「ニューヨーク製菓店の末っ子」として生まれ育った作家が語るのは、幼い日の思い出、故郷のこと、そしてパン屋を切り盛りしていた母のこと。その場所に立ち戻っても既に店はなく、あの頃に戻りたくても戻ることはできない。それでも思い出が、作家の心に小さな灯りをともすとき、読者もまた、自分の原点に思いを馳せて、小さな灯火で暖をとる。ここではないどこかに、無性に帰りたくなる1冊だ。
読了日:08月01日 著者:キム・ヨンス(金衍洙)

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