かもめもかも

かもめのつぶやきメモ

『優しい地獄』

 

1984年、社会主義政権下のルーマニアに生まれた著者は、混乱したポスト社会主義の中で少女時代を過ごす。
2006年に日本に留学。一旦帰国した後、2009年に国費留学生として再来日。
弘前大学大学院修士課程修了後、東京大学大学院博士課程に入学。
専攻は映像人類学で、現在は青森県で北東北の獅子舞や女性の身体をテーマに研究を続けているという。
本書はそんな著者が日本語で執筆したエッセイ集だ。

そう聞けば読者としては、「ルーマニアからなぜ日本に?」と思ってしまうわけだが、本書の中にこんなくだりがある。

「日本に何で来た」と聞かれ続ける。来てほしくなかったのか?これは私が日本を褒めなければならないという問題ではないと最近気づいたので、あまり長い答えをしなくなった。答えはシンプルに、「遠くへ行きたかったから」。誰にでもこの想いがあり、共感するのではないかと思うからだ。


同時にこんなエピソードも紹介されていたりする。

ルーマニアの村で、さびしく一夏をかけて本をたくさん読んでいた私は『雪国』という1冊に出会った。本の最初のイメージに惚れた。トンネルを抜けた列車の雰囲気。感覚で感じたものは、それまでの人生で一番確かだった。ルーマニア語に翻訳されていたにもかかわらず、なぜか私はそれを日本語で読んだ気がした。



なんといっても印象的なのは、幼年時代の思い出。
繰り返し語られるルーマニアの田舎の村の祖父母の家の様子は、家の周りに植えられた果樹や草花、近くに広がる深い森と共に、映像として読者の目にも浮かんでくるようで、読んでいるだけで、縁もゆかりもないはずのその家になんだかとても帰りたくなってくる。

映画監督を志し、大学受験に挑んだエピソードを、読みながら思わず歯ぎしりし、大病を患って手術を余儀なくされるくだりでは衝撃をうける。

私が手術を受けた時に彼はそばにいなかった。手術後に病院に来た彼の目を見て、はじめて愛とはある種の共感だとわかった。不思議なことに次は彼の脳腫瘍が見つかった。こうして二人はもっと深いところでつながった。彼の母親は私のせいだと言った。私から腫瘍が彼にうつったと酷く差別された。それがほんとうなら、私はそこまで彼に愛されたことになる。身体の細胞が交換されるぐらいの愛があるのか。でも違う。酷く痛んでいる二人の身体は、私たちがチェルノブイリの子供だったからだ。


そう、著者はまさにチェルノブイリの子供世代。
田舎の村で祖父母の育てたあの美味しい野菜や果物たちは、黒い雨を浴びていたのだ。

著者の、その両親の、祖父母の、様々なエピドーソから浮かび上がる、社会主義国だった頃のルーマニアやその後資本主義に移行してからの混乱期のあれこれも興味深い。

そしてまた日本への留学や、思わず微笑み、感嘆せずにはいられない著者と二人の娘たちのエピソードの数々も。

せつなくて、痛々しくて、懐かしくて、美しくて、まるで血を流しているかのように生々しくて、どうしてこんなにせまってくるのだろうと思っていたら、最後の最後、著者紹介の欄で「オートエスノグラフィー」という言葉に出会う。

対象の日常的な行動を詳細に記述する質的調査方法をさす「エスノグラフィー」という言葉なら社会学や心理学の分野である程度なじみがあるが、これに「オート」がつくということは…。

ああそうか、著者は自身の経験を詳細に書き起こすことで、自分自身をも研究対象にしているんだと思い当たる。

そうして、読者である私もまた、著者の記憶の中に入り込んで、私の目でその記憶を見つめ直す。

 

『セルリアンブルー 海が見える家 下』

 

魔法青少年担当省(ディコミー)に所属するケースワーカー、ライナス・ベイカーは、ある日突然、最上級幹部たちに呼び出され、最高機密レベル4の任務を任される。

その任務とは、極めて特殊な場所にある、極めて特殊な子どもたちを集めた、極めて特殊なマーシャス児童保護施設の実態を調査報告することだった。

この施設で暮らす子どもたちは全部で6名。
ノームの子タリア、森の妖精フィー、飛竜の子セオドア、びっくりするとポメラニアンに変身する少年サルに正体不明の緑色の生物チョーンシー、そして魔王の子ルーシーだ。

1か月にわたって共に生活してみれば、公正な見解の妨げになるという理由から個人的な交流を一切禁止するディコミーの「ルールと規則」を遵守するのは無理な話。

個性的すぎる子どもたちに、はじめのうちこそ恐れ戸惑ったライナスだったが、あれやこれやと経験するうちに、彼ら一人一人の魅力を実感するようになっていく。

一族の虐殺、乱獲、自身への虐待等々、マーシャスにたどり着くまでに、子どもたちが実際に目撃したり、経験したりしてきた“普通”の人たちによる残虐な行為。

ようやく安心できる場所、信頼できる大人にめぐりあえた子どもたちだったが、一歩島を出れば、温かい目で見守ってくれる大人は少なく、未知なるものを恐ろしがって迫害しようとする“普通”の人たちであふれている。

ライナスは施設の存続だけでなく、もっと大きな視点で、子どもたちの成長を見守る必要性を感じ始める。

子どもたちが初めて村に遠征したとき、ライナスとルーシーともに園芸店に立ち寄ったタリアは店主に説明する。
ミスター・ベーカーが一緒にいるのは、あたしたちが飢えたり袋だたきに遭ったり、おりに入れられたりしないように目を光らせるためよ。

ミスター・ベーカーも全然だめってわけじゃない。確かに、おじさんが島に来たばかりのころは、おれも怖がらせたて追い払おうとしたけど、今は生きててくれてよかったと思う。別の……別の状態になってなくてさと、相づちをうつルーシー。

ライナスは天井を見上げたり、溜息をついたり。
だがもう、子どもたちの一挙一動に動揺したりはしない。
心配なのは、子どもたちが誰かに傷つけられないかそればかりなのだ。

一方、ディコミーの最上級幹部は、子どもたちのことだけでなく、施設長であるアーサーのことも詳細に報告するよう強く要請してくるのだった。



あらすじを紹介するとどうにも堅苦しくなってしまうのだけれど、「誰にだって安心して過ごすことができる場所が必要なんだ」という強いメッセージとともに、シリアスな中にも笑いがいっぱい、面白くて、愛おしくて、強くてやさしい、繰り返し楽しみたい極上のファンタジーだ。
現に私はもう、この島から帰りたくなくて、あのシーン、このシーンと何度も読み返している。

 

 

『セルリアンブルー 海が見える家 上』

 

タイトルや装丁から、人生に疲れた大人が癒やされるような、ファンタジーだと思いこんでいたから、主人公が40歳の男性だと知っても、さほど驚きはしなかった。

でもこの40男のライナスが、高血圧で青白い肌、黒い髪は常に短くこざっぱりとしているも、頭頂部は薄くなってきていて、今はスクーターのタイヤ程度だが、気をつけないと大型トラックのタイヤのようになりそうなぜい肉を腹回りに蓄えている……ようするに、大半の40代と同じような平凡で、大半の人よりもさらに影が薄いという設定は少々意外だったし、仕事熱心で真面目だが、パワハラ上司の顔色をうかがってオロオロするような人物だとは、思ってもみなかった。

彼は勤務歴17年の、魔法青少年担当省(ディコミー)に所属するケースワーカーで、“子どもが怪我をした”とか“子どもが怪我をさせた”とか、“虐待の疑いがある”とか“制御不能に陥っている”などという情報が寄せられた現場に出向き、調査対象の児童保護施設の状況を確認するのが仕事だ。

たとえそれがどんな子どもであっても、子どもたちの幸福は大事だと考えてはいるが、全体的な視点で考えることも必要で、見解に影響を与えられてしまう恐れがあるから、個人的な交流は禁止するというルールを厳格に守っている。

ディコミーの規則集「ルールと規則」をバイブルであるかように携帯し遵守する模範的な職員であるライナスは、直属の上司は決して認めないだろうし本人も全くあずかり知らぬことではあったが、最上級幹部には「非常に几帳面でまじめ、驚くほど論理的」と評されていた。
だからこそ今回、最高機密レベル4の調査を任されたのだろう。

この指名にライナスが仰天したのは無理もない。
なにしろ彼は、理論的にはありえるとわかってはいたものの、いまだかつてレベル4の機密が実際に存在することすら知らなかったのだ。
レベル3のケースなら一度だけ扱ったことがある。
あれは本当に大変だった。
ある児童養護施設にいた少女が人の死を予告する妖精、バンジーだと判明したのだ。
あのとき、ライナスはやっとの思いで自分と子どもたちの命を救うことに成功したのだった。

それはさておき、今回の任務は「検査」だという。
なんらかの不正行為が行われているという話はないが、極めて特殊な子どもたちを集めた、極めて特殊なその施設が、問題なく運営されているかどうか、1か月かけて調べてこいというのだった。

抱えている多数の案件をほうって、1か月も一つの案件にかかりっきりになるわけにはいかないというライナスの声はほとんど無視され、翌日彼は田舎に向かう列車に乗り込み、終点で降りて、さらに渡し船に乗って、マーシャス児童保護施設に足を踏み入れることになったのだった。

そこで彼を待ちうけていたのは、島を守る精霊ゾーイと謎多い施設長アーサーに、ノームの子タリア、森の妖精フィー、飛竜の子セオドア、びっくりするとポメラニアンに変身する少年サル、正体不明の緑色の生物チョーンシー、魔王の子ルーシーという、存在自体が機密事項とされる6人の子どもたちだった。

ちなみにノームの子、タリアは263歳だが、ノームは500歳にならないと成人年齢に達しないので、子どもの資格十分なのだとか!?

上巻前半はところどころにファンタジーネタを仕込みながらも、なかなか味わいと読み応えのあるお仕事小説といった雰囲気だったが、ライナスが島に着いた途端に、一気にファンタジー熱が上昇し、もう息が苦しくなるぐらい。

まずいよこれ、面白すぎる!!
頁をめくる手が止められずに、このまま下巻へとひた走る!!

 

 

『消えたソンタクホテルの支配人』

 

1910年の韓国併合によって日本の植民地支配がはじまる3年前、1907年に実際に起きたある事件を元に創作された韓国のYA小説。

舞台は漢城(ハンソン:現在のソウル)。
物語の主人公は16歳の少年、正根(チョングン)。
数年前に父を亡くし、去年、病床にあった母も亡くした彼の頼りは、大韓帝国侍衛隊(王の近衛)に属する10歳違いの兄だけだった。
こうした事情から、通っていた外国語学校のフランス語学科で学び続けることを断念し、兄の紹介でソンタクホテルの給仕として働くことに。
ここで働けば、少ないが給料がもらえて、外国人と仕事をしながら外国語や礼儀を身につけることができると考えたからだった。

ソンタクホテルは、1902年に建てられた西洋式の格式高いホテルで、国賓級の客を迎える迎賓館の役割を果たしてもいた。
その経営者であるソンタク女史は、ロシア公使ウェーベルの親族だという外国人だが、この地に住んで20年ほどにもなり、韓国語も堪能で、皇帝・高宗の側近として皇室典礼官もつとめる人物だった。

先輩給仕のいびりに耐えながらも、懸命に仕事を覚え、熱心に働く正根。

ところがこのソンタクホテルで伊藤博文統監主催の晩餐会が開かれた翌日、ソンタク女史が姿を消してしまうのだ。

何者かに拉致されたのか、自ら身を隠したのかはわからないが、なんらかの事件に巻き込まれた可能性があると考えた正根は、ホテルに隣接する梨花学堂の女学生福林(ボンニム)の協力を得て、ソンタク女史の行方を追うことに。

歴史的建造物がならぶ貞洞通り(チョンドンギル) を舞台とし、歴史に名を残すそうそうたる面々を相手どって、10代半ばの若者たちが活躍する探偵物語は、筋運びに少々荒さはあるもののスリルたっぷり。
だがしかし事件の背景には、若者たちが立ち向かうにはあまりにも重い現実があった。

前提となっている史実や登場人物たちや建造物にまつわるエピソードは、韓国の若者にとっては常識の範疇なのだろう。
とりわけ日本の年若い読者にはあまりなじみのないものもあると思われるが、巻末にどれが史実でどこがフィクションかという解説も含めた作者による注釈もあるので、ここからあれこれ興味をもって、知識を広げていくのもいいかもしれない。

なにしろ貞洞通り(チョンドンギル)は、恋人たちのデートスポットとしても名の知れた趣のある通りなのだ。
韓国旅行に行く前に読んでおいても損はない。
あいにくデートの予定はないが、次にソウルに行く際には、必ずチョンドンギルに行ってみなければとガイドブックに印をつけた。

 

『パラディーソ』

 

ラテンアメリカ文学不滅の金字塔」「20世紀の奇書にして伝説的巨篇」「翻訳不可能と言われた幻のキューバ文学」
そんな風に言われたら、手を伸ばさずにはいられない。
と、手に取ったはいいが、不用意に片手で持ったらガクッとバランスを崩すほどの重さで、計ってみたら970gあった。
本編だけで575頁、二段組みでぎっしりと文字が並んでいる。

いやこれは、読み切れないかも…と思いつつ、おそるおそるページをめくると、ぜんそく持ちの5歳の男の子が登場する。
父親は大佐で、どうやら基地内で暮らしているよう。

年中激しい発作を起こして、周囲を心配させるこの少年が、どうやら作者を投影した主人公にちがいないとあたりをつけて読み進めるも、なかなかページが進まない。

面白くないわけではないのだ。
むしろかなり面白い。
それも筋とはさして関係のなさそうな部分が。

たとえば、
“夜の中から生まれ出てきたような深紅のお皿”
“いつも日陰のほうに移動していくので僕たちの時計がわりになってくれているカメ”
“チャウチャウと交雑したペキニーズのように、スリッパをところかまわず、咬みちらそうと駆け出す想像力”とか。

“人を招きよせるような黄色よりも面白みのないピンク色の方が強いような人参とグレープフルーツのジュース”や“電気のスイッチの舌打ち”などというものも。

きらっと光る言葉を拾い出して、書き出してみようと思ったら、全然先に進みそうにないし、形容詞だけが数行続くなんてこともざらで、読んでいるうちに頭がくらくらしてくることも。

これはもう読み通すことを目的とせず、行間を漂うように楽しめばいいかと割り切ることにして、少しずつ読み進め、とりあえず最後までページをめくり終えたところで、このレビューを書いているのだが、全く読めたという気がしない。

でも、それでいいのかなという気もしている。
時折、思い出したように手に取って、偶然開いた頁を読みふける。
そんな読み方でも楽しめる本なのだ。

とはいえ、これだけでは、どんな作品なのか全く分からないと思うので、本作を読み進める助けとなるように巻末に収録されている訳者による資料を参考に、少し説明を試みる。

まずこの作品は、キューバの詩人・作家ホセ・レエサマ=リマ(1910-1976)の長編小説paradiso(1966年)の全訳だ。

1966年に刊行されたが、かなりの部分は1949年~1955年までに書かれていたのだという。

ちなみに1960年代半ばから1980年頃までの時代は、マルケスリョサなど、ラテンアメリカ文学がブームが巻き起こっていて、本作もまたそのさなかに刊行された作品ではあるが、作家はブームの作家たちより20歳ほども年上ゆえに別の世代に属していて、ブーム到来より遙か以前に、少なくともキューバ国内において文学的な権威を確立している人物だったのだという。

物語は19世紀終わりから1930年代までが舞台で、地獄巡りの後にパラディーソに到着する『神曲』の旅が下敷きとなっている。

いわゆる教養小説で、自伝的物語でもある。

著者と同一視できる部分の多い主人公の幼年期から語り始められるが、時系列を無視した形で、両親や祖母や伯父たちの物語があちこちに顔を出す。

そうかと思うといきなり、ギリシャ神話や古代ローマに入り込んだり、神学論争を始めたり。

神話の神々にソクラテスプラトンドン・キホーテ古代ローマ史にゲーテ、アウグスチヌスにトマス・アクィナスニーチェヘーゲル、哲学も神学も歴史も文学も熱い論争が繰り広げられているさなかに、いきなりエロスが入り込んで、人目もはばからず男根が飛び出す。
この二文字を○で囲って、いったいいくつ出てくるか数えてやろうかと思うぐらい、男根が大暴れする章もあるが、そのすぐそばに、母の切なる願いをのせたロザリオの祈りが同居する。

君は僕にとって一番不可知な存在であって、君が仮面を脱いでいけばいくほど、君の不可知性は、君が捨て去っていく仮面を全部拾い上げていくみたいなんだ

分からないでしょ?
分からないけれど、なんだか妙に面白かった。

 

『チャタレー夫人の恋人』

 

上流階級の令夫人が領地の森番と契りを結び、道ならぬ恋へと突き進む
この小説を一文でまとめてしまうと、極めて陳腐な恋物語にしか思えない、だがしかし……と、訳者はまえがきで読者に向けて語る。

物語を読み進める上でおさえておきたい時代背景や、登場人物たちの社会的地位などをまずこのまえがきで説明しておくというスタイルは、なかなか親切でありがたくもある。

第一次世界大戦の戦線から休暇で帰郷したクリフォード・チャタレーは、コンスタンス(コニー)と結婚、一ヶ月の新婚生活を終えて再びフランダース地方の戦線に復帰したが、半年後、下半身不随となって戻ってきた。
時にクリフォード29歳、コリーは23歳の若さだった。

炭鉱を経営する傍ら小説を書き始めたクリフォードと、車椅子生活を余儀なくされたクリフォードの世話に明け暮れるコリー。

自身の子どもを望めないクリフォードは、コリーに別の男との妊活をすすめる。
その子を引き取って自分たち夫婦の子どもとして育て、跡継ぎにしようというのだ。
私を好きになった君の良識を信じるから、相手の男は誰でもいいという夫の言葉に、そうはいっても、あの人やこの人では気に入らないだろう、などと考えるコリーだったが、夫に勧められるまでもなく、既に愛人がいたりする。

その愛人ミケイリスは売れっ子作家で、事もあろうにクリフォードをモデルに舞台脚本を書いたりもする。
コリーに結婚している身だからという理由でプロポーズを断られると、離婚すれば良いではないかと言い放ち、あなたが半年いなくても、彼が気づくことはないでしょう。自分以外はどうでもいい人なのだから。あなたのことなど眼中にはない。頭にあるのは自分のことだけですなどとという。
この意見にはコリーも賛成だが、ではミケイリスはというと……。
誰も彼も、自分のことばかりなのだ。

激しい性交の後でミケイリスはいう。
男性と同時に達することはできないのですか。自分一人で果てなければ気がすまないとは。主役でなければいやということですね

“言葉にならない快感で体が熱くなり、愛情のようなものさえ感じていたところなのに、だいたいミケイリスは、始めたと思ったらすぐに終わってしまう。現代の男は大半がそうだ。それならあとから女が自分で動くしかあるまい”とは、コリーの胸の内。

結局、コリーはこの人気作家を振って、屋敷の森番メラーズと恋に落ち、密かに逢瀬を重ねることに。
身分や地位の違いを超えたこの恋の行方は…!?


 世界は可能性に満ちていると思われている。だが大多数の人間にとって、そんな可能性は皆無に等しい。「いい男なら山ほどいる」という慰めの言葉がある。たしかにそうかもしれないが、残念ながら大半の男は雑魚(ざこ)に思える。となれば、もし自分が雑魚ではない場合、よい男などまず見つからないということになってしまう。


わいせつだと批判され、かつては本国でも日本でも多くの物議を醸したこの作品。
赤裸々な性描写はもとより、こうした女性の性、しかもパリの高級娼婦ならいざしらず、人妻の立場からの男性本位のセックス批判が、圧倒的に男性が多かったはずの当時の読者には衝撃だったのでは…という気がしないでも。

しかしD.H.ロレンス
あれこれと突っ込みどころはありつつも、アラフォーの男性がここまで女の立場から思いっきりセックスを語るあたり、きっと身近にかなり優れた才覚を持つ女性がいたとみたが、はたして…!?
その辺りが非常に気になった。

 

 

2022年12月の読書

12月の読書メーター
読んだ本の数:21
読んだページ数:5448
ナイス数:366

バーナデットをさがせ!バーナデットをさがせ!感想
電子メールに手紙、請求書にFBI文書、精神科医との通信に、問合せへの回答書、さまざまな形式の文書で構成されているちょっと変わった物語は、タイトル通り、いなくなったバーナデットを探す話ではあるのだけれど、バーナデット自身が自分を探す話でもあった。笑ったり、怒ったり、うるっときたりとなかなかに忙しいが、ページをめくる手が止められず、思わず一気読み!うん!なんだか元気が出てきたぞ!もっとも、身勝手な大人たちに翻弄される子どもたちが、かなり気の毒ではあったけれどね。
読了日:12月27日 著者: 
カールは なにを しているの?カールは なにを しているの?感想
ミミズのカールの自分探し。“どんな生き物にも役割があり、どんな命でも大切な意味があることを、あたたかなストーリーと絵で描いた”科学絵本は、小さいお子さんは小さい子なりに、少し大きくなったお子さんはその子なりに、すっかり大きくなった大人はおとななりに、楽しむことができるのが、絵本のいいところだなと、思える1冊です。
読了日:12月25日 著者:デボラ・フリードマン
処刑の丘処刑の丘感想
かつての虐殺の舞台となったあの丘での殺人事件の真相に挑むのは、警察署の中でも異色の経歴をもつ警官ケッキ。 帝政ロシアの大公国時代からいくたびもの粛清の嵐を生き延びてきた彼は、優れた職務遂行能力と協調性を持ってはいたが、正義と真相を追求するにはあまりにも困難な状況においやられている彼の苦悩と、人々の複雑な胸の内が織りなす、この警察小説は、フィンランドの歴史を紐解く物語としても興味深い。
読了日:12月23日 著者:ティモ・サンドベリ
エミリときどきマーメイド(2) 深海の黒い影エミリときどきマーメイド(2) 深海の黒い影感想
水の中に入ると人魚になってしまうエミリときどきマーメイドシリーズ第2弾!いかわらずハラハラドキドキもかわいいイラストもいっぱいの楽しい作品。でもエミリ、今度の冒険はヤバすぎたよ!?
読了日:12月21日 著者:リズ・ケスラー
神様の用心棒 ~うさぎは玄夜に跳ねる~ (マイナビ出版ファン文庫)神様の用心棒 ~うさぎは玄夜に跳ねる~ (マイナビ出版ファン文庫)
読了日:12月20日 著者:霜月 りつ
神様の用心棒 ~うさぎは闇を駆け抜ける~ (マイナビ出版ファン文庫)神様の用心棒 ~うさぎは闇を駆け抜ける~ (マイナビ出版ファン文庫)
読了日:12月20日 著者:霜月 りつ
ダブル・ジョーカー ジョーカー・ゲーム (角川文庫)ダブル・ジョーカー ジョーカー・ゲーム (角川文庫)
読了日:12月20日 著者:柳 広司
がんばれ農強聖女2~聖女の地位と婚約者を奪われた令嬢の農業革命日誌~【電子書籍限定書き下ろしSS付き】 がんばれ農強聖女~聖女の地位と婚約者を奪われた令嬢の農業革命日誌~がんばれ農強聖女2~聖女の地位と婚約者を奪われた令嬢の農業革命日誌~【電子書籍限定書き下ろしSS付き】 がんばれ農強聖女~聖女の地位と婚約者を奪われた令嬢の農業革命日誌~
読了日:12月20日 著者:佐々木鏡石
がんばれ農強聖女~聖女の地位と婚約者を奪われた令嬢の農業革命日誌~【電子書籍限定書き下ろしSS付き】がんばれ農強聖女~聖女の地位と婚約者を奪われた令嬢の農業革命日誌~【電子書籍限定書き下ろしSS付き】
読了日:12月20日 著者:佐々木鏡石
花びらとその他の不穏な物語花びらとその他の不穏な物語感想
現代メキシコを代表する女性作家グアダルーペ・ネッテル(Guadalupe Nettel)の邦訳短編集第2弾!収録作品は6篇。いずれの主役も他人には言えない習慣や、激しい思い込み、奇妙な癖を持っていて、どの作品も濃厚で、じわじわとせまってくる不穏ななにかが、身体にまとわりついてくるような独特の雰囲気を持っている。これぞネッテル!とうれしくなるが、昨年翻訳刊行された『赤い魚の夫婦』よりあたりは柔らかなので、ネッテルは初めてという読者はもちろん、ネッテルは強烈すぎて…と思われた読者のリベンジにもお勧め。
読了日:12月19日 著者:グアダルーペ・ネッテル
後宮に日輪は蝕す 金椛国春秋 (角川文庫)後宮に日輪は蝕す 金椛国春秋 (角川文庫)感想
なるほどなるほど、そうきたか。ここで一旦締めるのね。読友さんのお勧め通り、確かにとても面白かった。とはいえ、ここまで一気に読んでしまったので、私も一旦休憩を取るべきか?(^^ゞ
読了日:12月17日 著者:篠原 悠希
かしむのなしは 仙台ジャズの歴史かしむのなしは 仙台ジャズの歴史感想
「かしむのなしは」とは古いバンドマンガ使っていたスラングで、逆さに読めば「昔の話」。スラングと仙台弁をおりまぜながら、戦後の米軍キャンプの話から始まって、沢山の人から聞き取ったエピソードや、昭和の時代の写真の数々を挟み込み、仙台とジャズの歴史を語り挙げる。昔の繁華街の地図なんていうのもあって、いやはやいくら好きだって、ここまではなかなか…と思わずうなるニッチなすごさ。それもそのはず、この本が形になるまで20年もかかっているのだとか!?
読了日:12月17日 著者:白津 守康
後宮に月は満ちる 金椛国春秋 (角川文庫)後宮に月は満ちる 金椛国春秋 (角川文庫)感想
この先も長く続くシリーズものなのだから、無事に切り抜けるはずとわかっているのに、どきどきするよねえ。
読了日:12月16日 著者:篠原 悠希
ぼくと石の兵士 (みちくさパレット)ぼくと石の兵士 (みちくさパレット)感想
オーエンは学校帰りに人気のない公園のベンチにすわって、 兵士とおしゃべりをする。兵士といっても、石で作られた兵士のことだ。人前で話すことが苦手な少年オーエンは、実はヤングケアラーで、いろんな物を抱え込んでいるのだけれど、周囲はそのことにほとんど気がついていないよう。けれども撤去が決まった兵士の像をなんとか護りたいと勇気をだして行動しはじめた少年の周囲に少しずつ変化が現れる。思わずほろっとする場面もあるとてもいい話なのだが、兵士が背負うあれこれをいろいろ考えてしまって複雑な気持ちにも。
読了日:12月15日 著者:リサ・トンプソン
バッサ・モデネーゼの悪魔たちバッサ・モデネーゼの悪魔たち感想
1990年代末に発覚した、北イタリアのバッサ・モデネーゼで、いくつもの家庭を巻きこんだ性的虐待事案。とても悲惨な事件を扱ったノンフィクションなのだから、面白かったという言葉はそぐわないだろう。それでも手に汗握り一気読みせずにはいられなかったことは事実だ。そしてまたいろいろなことを考えさせられたことも。
読了日:12月14日 著者:パブロ・トリンチャ
京都に咲く一輪の薔薇京都に咲く一輪の薔薇感想
天涯孤独のヒロインの愛と再生の物語”古都に癒され、自分を見つめ直し、愛に目覚めて、人生の意味を見出す。そうあらすじだけを紹介してしまうと珍しさも奇抜さもないように思えるが、物語と共にフランス人の目に映る京都が堪能できるという点がとても興味深い。銀閣寺、詩仙堂南禅寺……。この本をガイドブック代わりに携えて、久々に京都に行ってみたくなった。
読了日:12月12日 著者:ミュリエル・バルベリ
麦畑のみはりばん麦畑のみはりばん感想
#やまねこ本 この絵本のみどころはなんといっても、美しい麦畑の四季と、その畑にポツンと立っているかかしの絵。まっすぐに立つかかし、せなかがおれてうつむきかげんのかかし、うしろすがたのかかし、かかしの気持ちがみごとに描き出された絵の数々。カナダの兄弟画家テリー・ファン&エリック・ファン。すっかりファンになりました。しっかりおぼえておくことにします。
読了日:12月11日 著者:ベス・フェリー
後宮に星は宿る 金椛国春秋 (角川文庫)後宮に星は宿る 金椛国春秋 (角川文庫)感想
読友さんお勧めのシリーズものにおそるおそる手を出してみた。確かに面白い。もう1、2冊…といっている間に、どんどん深みにはまりそうな気も。
読了日:12月09日 著者:篠原 悠希
製本屋と詩人製本屋と詩人感想
「20世紀初頭のチェコを代表する革命詩人、イジー・ヴォルケル(1900-24)が短い生涯に残した数多くの童話と詩から精選する、日本初の作品集。長い間私にとって幻の詩人だった彼の作品が丸々1冊読める日が来るとは!収録されているのは、物語が5篇、詩が24篇、評論が1篇に、読み応えのある訳者あとがき。とりわけ私のお気に入りは巻頭表題作『製本屋と詩人』。
読了日:12月09日 著者:イジー・ヴォルケル
ロリータロリータ感想
『わたしが先生の「ロリータ」だったころ 愛に見せかけた支配について』からの派生読書。ナボコフの作品はこれまで何作か読んだことがあるが『ロリータ』を読むのはこれが初めて。実際に読んでみると、聞きかじりから想像していたような話ではなくて、思わずナボコフに謝りたくなった。でも、だからこそ、小説は読者によって完成されるものなのかもとも。
読了日:12月08日 著者:ウラジーミル ナボコフ
わたしが先生の「ロリータ」だったころ 愛に見せかけた支配についてわたしが先生の「ロリータ」だったころ 愛に見せかけた支配について感想
胸の痛みを感じずに読むことはできないが、この本を読むことで救われる人はきっといるはず。
読了日:12月06日 著者:アリソン・ウッド

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