かもめもかも

かもめのつぶやきメモ

海女たち―愛を抱かずしてどうして海に入られようか

 

海女たち―愛を抱かずしてどうして海に入られようか

海女たち―愛を抱かずしてどうして海に入られようか

 

 

白地に鮮やかな椿の花をあしらった装丁が印象的なこの本が
韓国済州島出身の詩人による詩集だと知って興味を持った。

済州島は、韓国でも指折りの観光地で
とても美しいところだと以前旅行に行った両親からも聞いていたから。

そんなわけで『海女たち』。
海女闘争、出稼ぎ、徴用、四・三事件……
歴史的背景には疎いけれど、
まずは読んでみようと手に取ってみた。

最初の衝撃は、ページをめくりはじめてすぐに訪れた。

“昔恋しい 銀座の柳 仇な年増を誰が知ろ”
昭和のはじめの流行歌「東京行進曲」。

一九三二年、そのメロディに合わせて、
済州島の海女たちは行進したのだという。

“われらは済州島の哀れな海女よ
悲惨な暮らし 世の人ぞ知る”
替え歌を歌いながら火ぶたを切った抗日闘争には
もちろん多大な犠牲が払われた。

罪名は騒擾だそうです
最後まで仲間の名前を明かしませんでした

誰のものでもない海に潜った罪
命を海にかけて生きる罪ならば
ありましょうが
さらに 罪というならば

アワビ 海藻 海のものに ふさわしいお金をくださいと言った罪
悪徳商人を罷免しなさいと言った罪
海は私たちの畑、ホミ(鎌)を手に取り、ピッチャン(磯ノミ)を手に取った罪
    (「海女 キム・オンニョン 1」より抜粋)


闘争をうたった詩があり、
君が代丸”に乗せられて徴用された歴史をうたう詩もある。

そうかと思えば、海女としての生き様を歌い上げる詩も。

おばあさんがこういったそうな
「海は資本のいらない土地、潜りさえすれば食べていけるよ」

十二か月海藻を採って生きる海で
おかあさんがこうも言ったものだ
「誰もいない夜明けの海に行かないと食べていけないよ」

海で歌う弔いの歌は
文字のかわりに
潜って歌う
   (「海女 ヒョン・ドンソク」より抜粋)



こんな詩もあった。

生きているときは 一度もあなたと一緒に触れることのできなかった
夜の海 ひとり水に身をあずけましょう
紅い唇のような椿の花にくるまれて
青い舌のような波のしとねに横たわりましょう
十二月のあの夜
しんしんと降り積もる雪が
黒い海に沈められ 閉じこめられてしまうまで
  (「海女 オ・スナ」)


この詩に歌われているオ・スナさんは、
済州四・三事件の頃に十八歳で結婚したものの、
1年も経たない同年十二月に夫が表善の砂浜での集団虐殺の犠牲になったのだという。


思えば わたしたちがみな
海女の生を生きているのではないか
遠い海の死闘を生き抜いて帰ってきた
海女の生のようなものではないか
 (「海女は古いものたちの力を信じる」より抜粋)



陳腐な言い方ではあるけれど、どの詩も涙なくしては読めない。
波の音と共に海女たちの慟哭がお腹のあたりに響いてくる感じ。
またすごいものを読んでしまった。