かもめもかも

かもめのつぶやきメモ

すべて内なるものは

 

すべて内なるものは

すべて内なるものは

 

 エドウィージ・ダンティカの本が作品社から出るのは
これが6冊目だろうか。
既に読んだ本もあるが、
読みたい本のリストにあげたまま未読の本もあるので
そのすべてを確認したわけではないが
作品社の出すダンティカ本の魅力の一つとして
巻頭に作家自らが書き下ろした「日本の読者への手紙」が
収録されていることがあげられる。

作家が今なにを考えているのかはもちろん、
その作品と常に地続きのハイチは今どんな状況下にあるのか
日本の報道ではなかなか知ることが出来ないあれこれも興味深い。

その手紙の中で作家はこの作品集についてこう紹介している。

悲しい記念日は、かつて存在した人や物の不在を大きく膨らませます。この本に収めた短編小説の多くは不在についてのものですが、愛についてのものでもあります。ロマンティックな愛、家族の愛、国への愛、そして他のタイプの厄介で複雑な愛などです。私はその物語の筋をここで明かしたくはありません。それはぜひ、どうぞ、みなさんご自身で見つけだしてください。
ここにあるのは、八つの――願わくは読者の方々にとって魅力的な――短編小説です。



その言葉どおり、様々な形で語られる「愛」と「不在」は、
いずれの物語においても、なんらかの形でハイチと分かちがたい関わりを持っている。
にもかかわらず(とあえて言うが)、
なぜだかとても身近に感じられる物語なのだ。

「騙すよりも騙される方がましだよ」と
慰めにもならない言葉をかけたくなったり、
主人公と共に、憤ったり、悲嘆にくれたりしながら、読み進めていると
こんな場面に行き会った。

「私はあまりにたやすく、聞いたり見たり目撃したりする話に、とくに悲劇的ないたましい話に、心を揺さぶられるの」彼女は続けた。「これが私の人生の物語になるのだろうと思う。あまりにたやすく他の人びとの物語に、考えと行動を左右される女の子になる」


「熱気球」という二人の若い女性が登場する物語の一節。
どちらの女性の気持ちもわかる気がすると同時に
どちらにもなれない自分にもどかしさを感じながら読み進めると、
心のどこかで安堵の気持ちをもつ自分に気づく。
そしてまた安堵する自分を恥じいりもする。


厳しい現実に直面している人々の姿を描いている時も
決して激しい口調ではない、
むしろ柔らかく温かく感じる語り口だ。
だがその温かみの中には、
読みながら、共感し、理解したつもりになっていた私に、
そのあさはかさを指摘するするどさもまた含まれている。

そう、私はいつも対岸にいるのだ。

そのことを改めて意識しながら、
再び本のページをめくる。


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