かもめもかも

かもめのつぶやきメモ

『モモ』

 

モモ (岩波少年文庫)

モモ (岩波少年文庫)

 

 町外れの円形劇場跡に住み着いた
もじゃもじゃ頭で粗末な身なりをした不思議な女の子モモ。
町の人たちは大人も子どももモモに会いにやってくる。
モモに話を聞いて貰うとそれだけで、
誰もが皆、穏やかな気持ちになり、悩みが解消されて、幸福感に包まれる。
子どもたちは想像力をかきたてられ、
楽しい遊びを生み出すことが出来るのだった。

けれどもその町に灰色の男たちがやってくる。
彼らは巧みなセールストーク
人々に無駄な時間を削り、最大限時間を倹約して
「時間貯蓄銀行」へ貯蓄するよう持ちかけるのだった。

灰色の男たちの出現により
人々は語り合うことも、人の話に耳を傾けることも、互いに気遣うことも、
ゆっくり食事をすることすら忘れて、
常に「時間」に追われるようになっていく。

やがて灰色の男たちの正体が「時間泥棒」であることに気づいたモモは……

ご存じミヒャエル・エンデの『モモ』。

何を隠そう初めてこの物語に出会ったのは本ではなくて
小学五年生の時、学校行事の一環で日生劇場に観に行ったミュージカルで、
生の舞台でミュージカルを見るのは初めてだったこともあって
未だに劇中で歌われていた歌が口ずさめるほど
すっかり魅了されてしまったのだった。

もっともその時、私が最も「格好いい!」と熱をあげたのは
スーツ姿で歌い踊りまくる「時間泥棒」達だったのだけれど…。

その私の熱のあげように促されて
母が買ってくれたのが単行本の『モモ』で
著者自ら筆を執ったという挿絵の魅力もあわせてすっかり魅了され、
その後、何度も繰り返し読むことになったのだった。
だがしかし、本の中の「時間泥棒」はお世辞にも魅力的とは言えず、
一番人気の座は、カメの「カシオペイア」にあっさりと
明け渡されたのだった。

時間を盗まれた人たちは、
時間に追われて生きる私たちの姿そのものとして描かれているように思われて、
子どもの頃は、
いつもいそがしがってばかりで
なかなかかまってくれない大人たちへの反発込みで
もう少し長じてからは
自分自身への警告込みで
この物語に慣れ親しんできたのだけれど、
今回、久々に読み直してみると
後の作品にたびたび登場するように
なるほどエンデは、単に時間に追われた世知辛い世の中に対する批判だけでなく
「時間」を「時間」としてだけでなく、
「貨幣」の暗喩としても用いているのだという説にも一理あるように思われた。

後々使うために節約するはずが、
いつの間にか貯めること自体が目的となり、
貯めるために大切なものを犠牲にしてしまうというのも、
いかにもお金のことを言っているよう。

もっとも今の世の中、
時間もお金も貯めようにも貯められない、
夢が見られるような利息もつかないから、
もしかすると気づかぬうちに
腕を上げて強力になった
「時間泥棒」が蔓延っているのかもしれないが……。