かもめもかも

かもめのつぶやきメモ

『夜の舞・解毒草』

 

 

 夜の闇が忍び込み、すでに私たちを包み込んでいる。コウモリは静寂に耳を澄まし、私が夢を見始めるのを今や遅しと待ち構えている。


こんな語り出しで始まる『夜の舞』は、まるで全篇が1つの詩であるかのように、リズムのある美しい言葉で語りあげられている。

13歳の少女フロールは、2人の兄と3人の弟たちの世話を任されていた。母親のお腹には次の子がいて、一家の家事一切合切がフローラの肩にかかっていたのだ。そのての仕事にはすっかり慣れてしまっていたので、そのこと自体は彼女にとってさほど苦ではなかった。ただ、生まれてくる子が女の子ならばいいとは思っていた。女の子ならば、きっと一緒に働いてくれるに違いないから。

けれども生まれてきたのは今度も男の子で、おまけにさほど日が経たないうちに、事故が原因で死んでしまう。
決してフローラのせいでは無かったが、父親は彼女を激しく責めた。
自分が「ワーチ(よそ者)」という渾名で呼ばれている本当の理由を知った彼女は、夜ごと現れる長い髪の女「小夜」(シュ・アーカブ)とともに旅に出る。

薄幸の少女の幸せ探しの旅物語は、おとぎ話のような展開ではあるが、「小夜」という不思議な存在や、蜘蛛の企み、フクロウの鳴く意味などが幻想的な彩りを添え、人びとの暮らしぶりやその口にのぼる言い伝えなどがエキゾチックな雰囲気を醸し出す。


本書にはもう一作、別の作家による全く別の物語『解毒草』も同時収録されている。

一匹の犬と暮らす老女ソレダーはその吠え声で目を覚まし、ハンモックから起き上がって犬のところにいき、頭を撫でてやりながら犬の目やにをとって自分の目にすりつけた。
そうすることによって、犬にしか見えない霊たちの姿が見えるようになるのだ。
見えてきたのはよたよたと歩きながらやってくる老婆たち。
レダーは彼女たちの話を聞き、8つの物語、すなわち生前は薬師、霊媒師、助産師、蛇使い、売春婦などの仕事で細々と生計を立てていた彼女たちの、貧しく苦難に満ちた人生を書き留める。
枠物語的な構造の連作短編は、幻想的でありながら、貧困と苦難は妙にリアルで、こうしてソレダーに書き留められることがなければ、改めて誰かの口にのぼることもない、ある意味ありふれた女たちの生涯だ。
でもだからこその読み応えもあるようにも思われるのだ。

異なるタイプの二つの物語を読み終えて、これまた楽しみにしていた訳者あとがきに目を通す。
この<新しいマヤの文学>シリーズの素晴らしさは、作品の面白さだけでなく、翻訳を担当された吉田栄人氏による解説に負うところも大きい。

シリーズ第1弾『女であるだけで』、第2弾 『言葉の守り人』と読んできた経験からもはっきりと言えることだが、作品を読んで解説を読むと、それまで見えなかったものが見えてくる気がして、もう一度最初から作品を読み直さずにはいられないのだ。
それならあとがきから読めばと思うかもしれないが、おそらくそれではダメなのだ。
物語に浸りきって、手前勝手にすっかり思い込んでいたあれこれが打ち砕かれたり、物語に浸りながらもわずかに覚えた違和感の原因がわかったりと、この解説は本当にすごい。

今回も『夜の舞』を読んで感じていた、喉に刺さった小さな魚の骨のようなものが、すっと抜けていくような感覚があって驚かされた。

それはもちろん作者の来歴や収録作品の解説であるわけだが、同時にそれだけに止まらない。とりわけ今回は、マヤ文学におけるジェンダーを、いやもっと広く世界の文学におけるジェンダーを考える上でも大いに参考になる解説にもなっていて思われておもわずうなった。