かもめもかも

かもめのつぶやきメモ

『キャラメル色のわたし』

 

 

「州のテストみたいな学校の正式な書類とか、細かく書かなきゃいけないものがあるでしょ。そのなかのひとつに人種を書く欄があるよね。白人か、黒人か、ラテン系か、アジア系か、アメリ先住民族か、インド系か、そのほかか」


すらりと背が高くて肌の色の濃い親友のイマーニは黒人、もう一人の親友、濃いオレンジ色の髪をしたヘザーなら白人と、ためらうことなく書き入れるとおもうけれど、イザベラにとって事情はもうちょっと複雑だった。

パパとママが別れると決めたとき、イザベラはパパにたずねた。
ママと別れるのは、パパが黒人で、ママが白人だから?
その時、パパはきっぱりと否定したけれど…。

それから裁判所から親権を法律で正式に決めた書類がパパとママに届いて、イザベラの家族は4つに分けられた。
ママとパパと子どものイザベラ……でも、3つではなく4つ。
なぜってイザベラはこのとき、自分がふたつに切られてしまったように感じたから。
つまり、ママのイジーと、パパのイザベラに。

その結果、どういうことになったかというと、イザベラは毎週日曜日の午後3時きっかりに、モールにあるアップルストアの前で受渡しをされ、ある週をパパとパパの女友達とその息子と過ごしたら、その翌週は、ママとママのボーイフレンドと過ごすという生活を余儀なくされることになったのだった。

考えてみて欲しい。
毎週月曜日、先週寝ていたとのは別のベッドで目を覚ます生活を!
それがどんなに大変なことなのか、大人たちはちっともわかってくれはしなかった。
裁判所を含め、誰もイザベラがどう思っているか聞こうとしなかったのだ。
それが「共同親権」というものなのだとしたら、いったい誰のためのものなのかと、思わず考え込まずにはいられない。

週毎にパパとママそれぞれの家の生活スタイルに合わせて暮らすのは大変なことではあったし、正直ストレスもたまっていた。
そんなイザベラが、煩わしいことを忘れて夢中になれるのはピアノを弾いているとき。
パパの家ではグランドピアノ、ママの家ではカシオの電子ピアノという違いがありはしたけれど。
いろいろなことがあってもイザベラは、両親と両親の新しいパートナーたちが大好きだったし、なんとか上手くやっていこうと努力もしていた。

めまぐるしく変わる彼女の環境の中で、唯一、変わらない場所であったはずの学校での生活が、人種差別に基づくある事件によって、大きく揺さぶられることになるまでは……。


両親の離婚、人種問題など、子どもであっても避けて通れない、社会の様々な問題に正面から向き合って、容赦なく描き出す。

毎度のことながら“鈴木出版の児童文学 この地球を生きる子どもたち”シリーズは本当に質の高い良書揃い。
子どもたちはもちろん、大人のあなたにもお勧めだ。