かもめもかも

かもめのつぶやきメモ

『メイドの手帖』

 

この本のことは
いつも豊富な話題で楽しませてくれる翻訳家の村井理子(@Riko_Murai)さんと
双葉社 翻訳出版担当(@ftb_honyaku)さんのツイートで知った。

“前オバマ大統領も絶賛!”という謳い文句は正直どうでも良かったが、
現代のメイド生活がどんなものかチラッとのぞき見するくらいのつもりで、
Kindleサンプルを読みはじめたら捕まった。

Kindleのサンプルの量は本によってまちまちで、
中には目次だけしかみせてくれないようなものもあるのだが、
これはもうびっくりするほどの読み応え。
すっかり入れ込んでしまってから、
「この先はお買い上げください」と言われたらポチるしかなかった。

これだけの量を無料で読ませるなんて、
中味に相当自信がないとできないことだと思ったから迷わず購入したのだが、
読了までにはかなり時間がかかった。
それは決して面白くなかったからではなく、
むしろぐいぐいと読ませる筆力でどんどんのめり込んでしまい、
あまりにのめり込みすぎたがために
辛すぎて一気に読むことができなかったのだ。


シングルマザーのステファニーは
わずかながらの公的援助と、
他人の家の清掃をするメイドの仕事をして働いて得た少ない賃金で、
娘のミアとともに雨風しのげる家での暮らしと
ミアのお腹を満たすことができる食事をとらせるために必死だった。

クライアントの家に赴き、
流しに放置された汚れた食器を片付け、乱れたベッドを整えて、
排水口に詰まった陰毛を取り除く。
目にするのは汚物だけではない。
飾られた写真や、使われた形跡のない部屋、洗面台に並べられた薬など
その家で生活している人々の人生の一端をも目撃しながら働いている。
悲しげだったり、イライラしていそうだったり、
どの家もなんらかの問題を抱えていそうだ。
彼女が実際にクライアントと顔を合わせることは滅多にないが、
掃除をしながら彼らについて思い巡らす時間はたっぷりあった。

もっとも、洗面台をごしごしこすりながらも、
子どものことが頭を離れないこともしばしばだった。
仕事に赴くために具合の悪いミアを半ば強引に託児所に預けることも。
なにか困ったことがあるたびに、
ミアの父親に引き渡しを求められるのではとビクビクしてもいた。

どうしようもなく追い詰められてパニックになったときには
仕事場のバスルームに駆け込んで落ち着こうとする。
(愛している。愛している。私はあなたを愛しているから。)と
自分で自分を抱きしめながら。


そんな風に必死になって、少しでも生活を良くしようと
心も身体も酷使して働いても
収入が増えて規定を少しでも上回ると公的援助が削られて
かえって家計が苦しくなったりもする。

読んでいてなによりも辛いのは
彼女よりちょっとばかり幸運な人々からステファニーに向けられる敵意だ。
たとえばスーパーマーケットのレジで、
フードスタンプを使って支払おうとする彼女のカゴの中身を、
他の買い物客が批判的な目で覗き込む。
とある年配の男性は、
まるで自分が個人的に彼女の買い物の代金を支払ったかのように
「気にしなくていいぞ!」と大声で言う。

だが実際のところ
そうした敵意は彼女にだけ向けられているわけではない。
たとえば、
彼女がフードスタンプを利用しているなどとは思いも寄らないらしいクライアントが
スーパーで会ったスタンプ利用者へのいわれのない偏見を口にする。
そのクライアントは
フードスタンプを使うような人たちは
働く気もない有色人種の移民のはずだと思いこんでいて、
目の前にいる白人メイドの生活ぶりなど想像したこともないのだ。
そしてまたフードスタンプを利用するにあたっても、
様々なハードルがあることも知らないのだ。

フードスタンプをめぐるあれこれが、
今、日本で生活保護に向けられている攻撃と重なる。

この本、本当にすごい。
どんな社会啓発本よりもリアルにせまってくる。

私は自分のことを生保をはじめとしたあれこれに
一定の理解がある人間だと認識していて、
偏見が全くないとはいわないが、
偏見を持たないよう努力をしてもいると思っていたが、
この本は、そんな私の中に潜む様々な偏見をもえぐり出す。

結局のところ彼女は作家になって、どん底の生活から這い上がる。
人は彼女のことを幸運な女性と呼ぶだろう。
けれどもその裏にはもちろん、沢山の努力があった。
そしてもちろん世の中には必至に努力を重ねても運に恵まれない人もいる。

あるいはこの瞬間にも誰かが運に見放されて、
DV男から必死の思いで逃げ出して
進学するつもりだった大学を諦め
たったひとりで子どもを育てることになるといった
思いも寄らなかった人生を歩み始めることを
決断せざるをえなくなっているかもしれない。

おそらく他者を思いやる気持ち以上に
私たちに必要なのは想像力だ。

あるいはもしかすると、
その不運は自分や自分の大切な人に
降りかかってくるかもしれないのだと。