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『第九の波』

 

第九の波 (韓国女性文学シリーズ8)

第九の波 (韓国女性文学シリーズ8)

  • 作者:チェ・ウンミ
  • 発売日: 2020/09/13
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 初めから厳しい話だとわかってはいた。
なにしろこのタイトル、19世紀ロシアの海洋画家イヴァン・アイヴァゾフスキーの代表作『第九の波』( Девятый вал)から取ったというのだ。
嵐の海へ投げ出された人たちが、難破した船の木片につかまって荒波の中を漂っている場面が描かれたこの絵は、第一の波からはじまって、第二、第三と次第に大きくなり、第九の波で最高潮に達するその試練を乗り越えることができれば光明が差すという、嵐の海についてのジンクスに基づいている。
だからもちろんこの物語も、波乱に富んでいるはずだった。

舞台はかつては石灰の採掘で栄え、今は原発の誘致に揺れているという、韓国東海岸の架空のまち陟州(チョクチュ)。
主人公はこのまちの保健所に赴任してきた薬剤師の女性ソン・イナ。
保健所にはそれまで正規の資格を持った薬剤師がおらず、課題は山積。
訪問服薬指導に出向いて、老人たちの薬箱から、賞味期限切れだったり、認可が取り消されていたりする薬を取り上げて恨み言を言われたり、取り締まりを強化して、地域の薬局からうとまれたりも。

そんなとき、毒物入りのマッコリを飲んだ老人が亡くなる。
遺体のジャンパーポケットには、ソン・イナの名刺が入っていた。
捜査を担当する刑事は、18年前、町有数の企業に勤めていた男が不可解な死を遂げ、妻と娘が町を出てソウルに移り住んだことを知っていた。
亡くなった老人が、結局自殺として処理された18年前の事件の有力な容疑者であったことや、当時高校生だったその娘が、再びこの地に舞い戻ってきていることも。

冒頭からひと癖もふた癖もありそうな人物が次々登場するゾクゾクするようなサスペンスなのだが、炭鉱の町特有のじん肺問題や原発誘致をめぐるあれこれに、労働争議カルト教団の暗躍も加わって、間違いなく社会派の物語でもある。
さらにはイナがソウルを去った原因ともなった別れた恋人ユン・テジンに、イナが働く保健所で兵役に服す代わりに勤務する「公益」として働いているソ・サンファとの関係をからめたラブストーリーでもあって…。

その“ラブ”の部分は、なかなか複雑な事情もあって、読んでいて切なさマックスにもなり、それだけでももう読み応えは十分なのだが、それ以上に私の印象に残ったのは、実話をもとにしているという原発誘致問題に関するあれこれだった。

それはおそらく、物語が福島の原発事故から2年後を舞台としていることや、今、私の住む北の大地が核のゴミ問題で大きく揺れていることと無関係ではないとは思うのだけれど…。


少し調べてみたところ、そもそもこの話の元になっているという、美しい海水浴場と石灰岩の洞窟が有名な韓国のS市で起きたあれこれというのがすさまじいかった。
反対の声が上がっているにもかかわらず、原発誘致賛成派が集めた署名の数がなんと全住民の96.6%に達したというので、その真偽が問題になったのが、福島の原発事故がおきる直前のこと。
その後、推進派の市長のリコールを求める住民投票に必要な署名が集められたのだが……。
そう、この本に描かれている“そんなことってある?”“そこまでやるか?”と思うようなあれこれは、実際に起こったことをベースにしているのだった。

原発をめぐるあれこれだけではない。
じん肺に苦しむ人々、都合の悪いことは皆、下請けに押しつけて、労働者を使い捨てにする大企業、そういった生々しい“記憶”が物語の中に息づいていて、読みながら、人はどこまで身勝手になれるのだろう、ひとりひとりは決して悪い人ではなさそうなのに、どうしてこんなにも他人を踏みつけに出来るのだろうかと、繰り返し問わずにいらない。

せめて愛だけは…。
そう願いはするけれど、愛だってやはり、社会のあれこれと無縁ではいられない。
それでも人生は続いていて、この辛く苦しい大波の後には、一筋の光明が差してくるに違いないと信じて歩いていくしかないのだ。
そう、いつだって。