かもめもかも

かもめのつぶやきメモ

『私のなかのチェーホフ』

 

 リジヤ・アヴィーロワは、チェーホフからもトルストイからもその力量を認められていた作家だそうだが、晩年につづった回想録『私のなかのチェーホフ』は、その内容から波紋を呼んだ作品でもあったようだ。

本書の構成は、冒頭にアヴィーロワの短編が3つ、その後、チェーホフの戯曲『かもめ』の初演についてのアヴィーロワの短評が、さらにページをめくるとチェーホフがアヴィーロワに宛てて書いた手紙数通が収録され、とりに表題にもなっている「私のなかのチェーホフ」と題された回想録となっている。

なるほど、最初にアヴィーロワの作品を読むことで、私のように初めて彼女の作品に触れる読者にも、作家が優れた書き手である事が証明され、チェーホフの手紙を読むことで二人が彼女がとても親しかったのだということが納得できるようになっているのだな…などと考えつつ、回想録を読みはじめると……。

いやはやこれは、なんともはや!!
そうかそうなんだ。
あの作品、あの手紙が収録されていたわけは、それだけではなかったのか!


1889年1月、リジヤは、近所に住む姉から「すぐに来て、かならずよ。チェーホフが来てるの」という走り書きを受け取った。
ペテルブルグ新聞の編集発行人である義兄は、「この娘はあなたの作品を空で言えますよ」「ファンレターだって書いているはずだが、内緒にしていて白状しないんです」などといいながらチェーホフに彼女を紹介した。
小説家を志していた彼女は、あこがれの作家と言葉を交わし、高揚した気分のまま帰宅するが、待っていたの乳母のそばでぐずる乳飲み子と、盛大に嫌みをいう夫。
あれほど晴れ晴れと世界を照らしていた喜びが、ひっそりと羽をたたんでしまったのだった。

それから3年後、二人は再会する。
リジヤは27歳。既に三人の子持ちで、家事と育児の合間に執筆を続け、書いたものが掲載されるようにもなっていた。

そんな彼女に5歳年上で未婚のチェーホフは言う。
三年前に会ったとき、知り合ったのではなくて、長い別れの後で再びめぐり逢ったという感じが、あなたはしなかったですか

チェーホフ!たらしか!?たらしなのか!?

二人は見つめ合い、やがて文通をはじめる。

子どもたちが健康でかんしゃく持ちの夫の精神状態が落ち着いているときには、今味わっているのが最高の幸せだと思いもした。文学上の成功もうれしかったし、チェーホフとの文通も続き、あれこれとアドバイスもうけていた。
もちろん、上手くいくときばかりではなく、それほど書けていたわけでもなかったが。


こんな風に綴られた独白を読めば、共感する女性も多いことだろう。
だかしかし、ことはそれだけに留まらない。

急速に接近したと思うと慌てて距離をおく二人の関係は、時には師弟で、時には友人で、時には恋人同士のようでもあったが、二人の間には常に、越えられない高い壁、三人の子どもがいるリジヤの家庭があった。

それでも抑えきれない思いの丈をぶつけたリジヤに対しチェーホフは、今度の舞台であなたにしかわからない形で返事をするというのだ。

彼が戯曲を書いたその舞台こそ『かもめ』だった!!

この本を読んでいたら、これは絶対再読しなければという気になって、本棚の奥から引っ張り出してきて『かもめ』を再読したのだが、いやはやこれはおそれいった。
本当にびっくりだ。
以前読んだときと全く印象が変わってしまったのだ。
すごい、すごいぞ『かもめ』!!
でもこれって“チェーホフの”というよりも、読者に『かもめ』を読み解いてみせたリジヤの才能なのかもしれないという気がしないでも!?

『私のなかのチェーホフ』を読んだ後『かもめ』を読むと、あの人の苦悩にも、この人の葛藤にも、あの人の諦めにも、この人の希望にも……という具合に、あちこちにリジヤの影が見える気がしてきてしまったのだ。

訳者の解説によると、この回想録の真偽をめぐっては、チェーホフの妹は否定的だったというし、関係者や研究者の間でも意見が分かれているらしいが、少なくても私は、チェーホフの作品を十二分に理解し読み解くだけでなく、自分の中にとりこんで作品にまで昇華してしまうリジヤ・アヴィーロワの才能に圧倒された。