かもめもかも

かもめのつぶやきメモ

『JR上野駅公園口』

 

JR上野駅公園口

JR上野駅公園口

  • 作者:柳 美里
  • 発売日: 2014/03/19
  • メディア: 単行本
 

2020年の暮れ、『Tokyo Ueno Station』(柳美里:著/モーガン・ジャイルズ:訳)が、アメリカで最も権威のある文学賞の一つとされる全米図書賞(翻訳文学部門)を受賞したというニュースが飛び込んできた。

その少し前、ノミネートの段階からネットでもかなり話題になっていて、文庫化されたこともあり、様々な評判を目にすることが多くなったきていた。
それらの情報から推察するに、どうやらこの小説は「ホームレスの男性が主人公」で、「福島」や「天皇」が関係しているらしいかった。
Twitterで何度か、「なんで天皇?」というつぶやきも見かけて、そのたびに(そりゃ、天皇が象徴するものが必要だったんでしょうよ)と、読んでもいないのに思ってもいて、そうしたことからなんとなく住井すゑを連想したりもしていた。

とはいえ、あれこれと勝手に思いこむのもなんなので、この機会にと読んでみた。



主人公の男は平成天皇と同じ1933年生まれ。
福島県相馬郡(現在の南相馬市)出身だ。
子だくさんの貧しい農家の長男坊で、12歳の時に終戦を迎えたが、当時の相馬には原発も火力発電所も日立関連の工場もなかったから、学校を卒業するとすぐに出稼ぎ労働者になり、あちこち転々としながら働いて、弟妹を、後には妻子を養ってきた。
その彼がどうして、上野公園で暮らすことになったのか。


戦争、戦後の混乱、1964年の東京オリンピック……。
物語はこの男の人生を通して、また、上野公園のそのものの歴史を通して描かれていくのだが、ページをめくっていくうちにその背景に日本の歴史が浮かびあがってもくる。
同時に読者は、公園に集う人々の、それぞれの人生の一端を垣間見ることになる。

“社会派”といってもいい作品だと思う。
人の波に逆らってふと立ち止まり、駅の時刻表をそっと見上げて、たとえ乗り込んだとしても帰るところも待つ人もいないことなどわかっているのに、思わず列車の時刻を確かめる自分を想像してしまうような物語でもある。

そういえば私も子どもの頃、夏休みになると、上野から東北本線に乗って仙台に住む祖父母のもとに一日がかりで行ったものだった。
昭和35年、36年生まれの知り合いには、皇太子(当時)の名前にちなんで「浩」の字がつく名前が多い。
「出稼ぎ」という言葉はいつの間にか「派遣」に取って代わられて…。
いつか震災や原発事故の記憶も薄れていってしまうのだろうか。だとしたら、だからこそ、書かれるべき時に書かれた作品だといえるのかもしれない。なにもかもがなかったことにならないうちに。

実はこれ、本を読み終えた直後に私が書き留めた短文レビューだ。

この本については言葉で紹介するのがとても難しく、既に本好きの皆さんの関心も高いだろうからわざわざ私が長文レビューを書かなくてもいいかなと思っていた。

だがもう少し突き詰めて考えてみると「書けない」理由の中には、後ろめたさがあるような気もしてくる。

上野駅周辺に限らず、大勢の人々が行き交う都会で、様々な思いを抱えているであろうすれ違う人の人生に思いをはせることをせず、ブルーシートを敷いて段ボールに囲まれて過ごす人たちの脇を幾度となく見ないふりして通り過ぎてきたのは、他ならぬ私自身ではなかったか。


2006年頃からホームレスの方たちに取材をはじめ、2014年に書き上げられたこの小説は、原発事故後、南相馬に移り住んだ著者の作品であり、もちろん東日本大震災とも深い関わりをもっている。

けれども昨今のニュースをみるにつけ、この物語が、著者がその筆で直に書き記してはいない「2020年東京オリンピック」とも、コロナ禍で仕事や住まいを失う人が増え、自殺者が急増している今このときとも、地続きである気がしてならない。

物語の冒頭にこんな一節がある。

 人生は、最初のページをめくったら、次のページがあって、次々めくっていくうちに、やがて最後のページに辿り着く一冊の本のようなものだと思っていたが、人生は、本の中の物語とはまるで違っていた。文字が並び、ページに番号は振ってあっても、筋がない。終わりはあっても、終わらない。



本の中の物語は終わったはずではあるが、この物語はまだ生きていて、どこかに続いているかのようだ。
この先にどんな物語が綴られていくのか、もちろんそれが問題ではあるのだけれど……。