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『評伝 九津見房子 ~凛として生きて~』

 

評伝 九津見房子 ~凛として生きて~

評伝 九津見房子 ~凛として生きて~

  • 作者:堀 和恵
  • 発売日: 2021/01/14
  • メディア: 単行本
 

 2020年は、九津見房子生誕130年、没後40年の年だった。
それに合わせたのかどうかはわからないが、みすず書房から刊行された本を読み、そこからの派生で学生時代に一度読んだことがあった関連書籍を2冊続けて手に取った。
丁度そんな折だったから、堀和恵さんのこの本が書評サイト本が好き!の献本にあがってきたとき、読みたい!と手を挙げることを躊躇した。

九津見房子は、戦前の日本において社会主義運動と女性解放運動に大きな影響を与えた赤瀾会の設立メンバーの一人で、のちに三・一五の大弾圧により投獄され、ようやく刑期を終えて出獄したと思いきや、今度はゾルゲ事件に関わって再逮捕、獄中で終戦を迎えたという経歴の持ち主だ。

とても頭のいい人だったと思うのだが、ずば抜けた行動力の持ち主でもあり、情に厚く、多くの若者達から「おばさん」と親しまれた一方で、自分にとても厳しい人だったようで、なんにつけても言い訳をしなかったという。
誰かの迷惑になることを畏れてもいたのだろう、戦後も多くを語らず、メモの類いも一切残さなかった。
そんなわけだから、既刊の本で読んだ本以上のことが、この新刊に書いてあるとは思えなかったのだ。
けれども、これはあの管野須賀子の本を書いた堀さんの著作だ。たとえ同じ資料からであっても、読み解く者の問題意識によって、明らかになるものもあるかもしれないと思い直して、手に取ってみることにした。

ページをめくってみてまず驚く。
神楽坂にあるあのレトロな雰囲気の喫茶店「トンボロ」でのインタビューシーンから始まっていたのだ。
もう随分昔のことだが知り合いに連れられて「トンボロ」に行ったことがある。
まさかあの建物が、かつて九津見房子が暮らしていた家だったとは!
全く知らなかったのだが、案内してくれたあの人は、そのことを知っていたのだろうか?

そしてまたその「トンボロ」で、著者が会っていたのが、かつて九津見とその家に住んだことがあるという、お孫さんたちだということにも驚く。

そうか、戦後印刷所を営んでいた九津見が印刷物を積んだリヤカーを引いて登ったというのは、あの神楽坂なのかと、今までになく親近感を覚えながら続きを読み始めた。

この本もやはり依拠しているのは 牧瀬菊枝氏による聞き書きの『暦』と、 九津見の長女一燈子さんの『母と私』で、引用されている部分はもちろん、紹介されるエピソードの多くも前出の2冊からの抜粋だ。
他に資料がない以上、それは仕方がないことで、そもそも九津見関連の本を4冊も続けて読むという物好きな読者はそうそういないと思われるし、そこは問題にすべき点ではないのだろう。

『暦』と『母と私』のそれぞれのエピソードをつなぎあわせただけでなく、所々に社会背景などのわかりやすい説明を加えながら紹介してもくれるので、もし誰かに「九津見房子について書かれた本をどれか1冊だけ読むとしたら?」と問われたなら、私はこの本をお薦めしたい。

もっともコレを読んだらもう、他の本を読まなくてもいいという訳ではなく、みすずの本には資料的価値があると思うし、『暦』や『母と私』には、語り手のためらいを含めた息づかいが感じられもするので、興味と機会があればぜひ、それらも手に取ってみて欲しい。

私がこの本をお薦めするもうひとつの理由は、この本にはこれまでの本には書かれていなかった事柄がいくつも紹介されている点にある。

それはすなわち、著者が実際にゆかりある人たちを訪ねて取材した成果とも言うべきもので、『母と私』でさらりと触れられていることの裏にあったエピソードや、母と娘のその後の話、九津見のもう一人の娘慈雨子さんとその家族のこと、さらには、獄中で「転向」し、戦後は九津見の思想とは相反する方向に廻って活動していた夫三田村氏との生活に関するあれこれでもあって、そうしたあれやこれやが私の中の九津見像をより鮮明なものに肉付けしてくれもした。

人様は、思想のために親を泣かせて来たとおっしゃいますが、私は子どもを泣かせて来ましたからね。娑婆へ帰れましたら、こんどは子どもに孝行させてもらいます。」獄中で知り合った作家の山代巴に九津見は何度もそう言っていたという。

そしておそらくその言葉通りに、戦後は子どもたち、孫たちのために、自分の心の一部を犠牲にしてでも、必死に生きぬいたのであろう。

子どもを犠牲にしてまでも自分の信念を貫いた戦前戦中、かつて同じ志をもって活動していた仲間たちからも、親しくつきあっていた友人たちからも、厳しい目を向けられる側面があった戦後の生活、九津見の生き方は常に、誰か彼かから非難を浴びてきた。

それはまた九津見が女であり、母であったが故にことさら厳しく向けられた非難でもあったようにも思われる。

それでも、私たちが今、享受している女性の参政権も、働く者の権利の多くも、様々なものを犠牲にして声を上げた人々の活動の上に築かれてきたものであることは確かで、翻って、私たちは後世の人々になにを残すことができるのかということが問われてもいる。

そうではあるけれども、この本を読み終えたとき、母と多くの苦労をともにし、その母を支え続けた娘の一燈子さんが、家族に囲まれて幸せな生涯を送ったことを知って、私は胸をなで下ろしたのだった。