山科川の小さい流れについて来ると、
月は高く、寒い風が刈田を渡って吹いた。
「山科の記憶」の冒頭、
志賀直哉が居を構えていた山科をどういう風に描いていたかを
確認したくて手に取った。
どうしてそんなことを思い立ったかといえば、
先日読んだ『月の家の人びと』という作品が
この志賀が住んでいた家を舞台にした物語だったからだ。
といっても、別に志賀やその家族のことが出てくるわけではなく、
かつて志賀が住んでいたというその家を買ったのが、
『月の家の人びと』の作者の祖父母だったという話で、
そのエピソードすら、作中ではなく、
作者のあとがきで触れられているだけ、
というごく薄いつながりではあるのだけれど。
なのになぜ、私が「山科の記憶」にこだわったかというと、
志賀直哉という人は、
見たままを描き出すことができる作家だという気がしていたからだ。
細い土橋、硝子戸、池庭のある一軒家。
志賀直哉は、大正十二年十月から同十四年四月までの約二年間山科に住んでいた。
家のイメージを膨らますのには役に立ちはしたが、
かの地での体験をもとに書かれた「山科の記憶」は
「瑣事」「痴情」「晩秋」との連作で、
作家が自分の半分の歳頃の若い女性と浮気をする、男のエゴ満載の作品だった。
確かに、目の前に繰り広げられる光景が目に浮かぶようではあるが、
浮かんでもあまり楽しくはなかった。
せっかく久々に手にしたのだからと、
この連作以外の作品も読んでみる。
すっきりとして無駄のない筆運びはなるほどさすがだと思いはするが
文章に遊びがなくてつまらないという気がしてしまう。
それは元々私が太宰びいきで、
志賀には先入観を持っているからかもしれないが……。