かもめもかも

かもめのつぶやきメモ

『アンブレイカブル』

 

アンブレイカブル (角川書店単行本)

アンブレイカブル (角川書店単行本)

 

 ジョーカーゲーム』をはじめとするD機関シリーズが人気の作家だということは知っていたが、実を言うと著者の作品を読むのは初めてだった。

治安維持法を扱った作品だと聞いたので、興味本位でさわりだけでも…と、試しに手に取ってみたところ、小林多喜二が登場する最初の数行で捕まって、一気にラストまで。

蟹工船”で働いた経験のある労働者たちの元に、週末毎に通っては取材を続ける小林多喜二を描いた「雲雀」

陸軍時代に赤化事件で有罪実刑となり、刑期を終えた後も、反戦川柳作家として特高に監視され続ける川柳作家・鶴彬とはいかなる人物だったのかをさぐる「叛徒」

度重なる若き編集者たちの失踪の裏にあるものはなにか、推理小説好きの切れ者が事件の真相にせまる「虐殺」

稀代天才哲学者三木清を追い続けた「矜持」

4編の連作短編を結ぶのは、内務省警保局保安課を総元締め特別高等警察=“特高”のクロサキなる人物だ。

だがこのクロサキなる人物は、謎めいていてつかみ所がなく、どうやら特高治安維持法や戦時体制そのもののを体現しているようなのだ。

それでも最後の最後、「矜持」の中で、このクロサキ三木清と同郷であり、三木に対し並々ならぬ思い入れがあることが明かされる。
そうもちろん、非情な策士である彼だとて人間で、人の心もあったはずなのだ。

私はこの本から「いつか来た道を再び歩み出すことのないように」という作者の想いを読み取った。


これは蛇足かもしれないと思いつつ、気になった点をひとつあげておく。

たとえば、『蟹工船』を読んだことがない読者であっても、それが小林多喜二の代表作であることは知っているだろう。
川柳作家・鶴彬(つる・あきら)の存在やその作品を知らなくても(実際、私は全く知らなかったのだが)物語を読むには差し支えがないし、この本をきっかけに三木清の『人生論ノート』に手を伸ばす読者もいるかもしれない。

私自身は本を読むことで世界が少しずつ広がっていくこともまた、読書の楽しみの一つであると思ってもいるのだけれど、それは人それぞれでいいとも思っている。
けれども「虐殺」のことだけは、作品が非常に読み応えがあっただけに気になった。

この物語が描き出す、編集者や新聞記者が次々と検挙、拷問され、獄死者を出した事件が、実際にあったいわゆる「横浜事件」だとわかる読者はどれほどいるのだろうか。
読者の中には小説のベースになっている史実を知らない若い世代も多いと思うからこそ、文庫化される折には、解説などでそのあたりのわかりやすい補足があった方がいいように思われた。