死体が発見されたのは五月最後の日曜日だった。
そんな不穏な書き出しで始まる物語は、
そのくせ、そんな死体のことなど、
誰も気にしていないのか、
あるいはすっかり忘れてしまったのかと思えるような展開で
ある家族のとある一日のことを語り始める。
大学生のキム・へソンはあくびをかみ殺しながら朝食を食べている。
ヘソンの父、キム・サンホとその妻チン・オギョンは、
互いにひと言も言葉を交わさぬままで険悪な雰囲気を漂わせている。
彼らの娘、11歳のユジは、
まだ半分も食べていないごはんをもてあますかのように、
スプーンでギュッギュッと押しつぶしている。
ごく普通の、ありきたりな日曜日になるはずだった。
その朝までは。
それぞれがそれぞれの用事で出かけていき、
やがて夜を迎えたとき、
ユジの姿がどこにも見えないことに家族はようやく気づくのだ。
少女の失踪をきっかけに、
次第に明かされていく家族皆が
それぞれが抱えている秘密。
え?これって、サスペンスだったの!?
ひたひたとしのびより、次第に広がる不気味な怖さが!?
互いの秘密にうすうす気づきながらも
気づかぬふりをしているうちに
気がつけば、本当に相手のことをすっかり見失っている。
一つ屋根の下で暮らしながら
秘密を抱えすれ違う家族が織りなす人間模様を眺めていると
全○回のテレビドラマでも見ているような気分になってきて
在韓華僑や中国朝鮮族の多くが直面する苦悩がテーマの一つになっていなければ、
韓国文学だということを忘れそうだ。
それだけ翻訳が自然体だということでもあるのだろうが、
物語に親しむのに「○×文学」というジャンル分けに
こだわる必要もないんだな、と改めて思ったりもした。
ちなみに今回の読書のお伴は
ヴァイオリンの英才教育を受けているユジのエピソードから
ハイフェッツの演奏でヴィターリの「シャコンヌ」を。
世界で一番悲しい音楽、ヴィターリの<シャコンヌ>を、
ハイフェッツはなぜこんなに速く、激しく演奏したのだろうかと気になっています。
息もつかせぬほどの速さが、悲しみをよりうまく表現できるのでしょうか。
物語中盤のこのあたりがすごく好き。