かもめもかも

かもめのつぶやきメモ

『フィフティ・ピープル (となりの国のものがたり)』

 

 たとえば……
電車やバスに乗り合わせた人たちの
なにげない仕草や、漏れ聞こえた会話の断片から
その人にまつわるあれこれを勝手に想像して空想にふける……
思えば子どもの頃から私にはそんな“クセ”があった。

いつだったか、人待ちをしていた喫茶店
ぼんやりと店内をながめながら、そんなことを考えていたのだと話したら
遅れてきた相手は少し顔をしかめて
そんな無駄なことを考える時間があったら
単語帳の一つでもめくったらいいのに…と言ったっけ。

そんな風に考えてみたことがなかったと、
心の底から驚く私に、
ますますあきれた顔を向けたあの友人に
この本を薦めたらなんというだろうか。

とある大学病院とその周辺を舞台に、
50人余の人々の人間模様を描いた連作短篇。
医師がいて、看護師がいて、患者がいて、患者の家族がいて、
病院の事務職員や治験バイトの学生、
病院関係者が立ち寄った店の従業員がいて……という具合に、
年齢も職業も様々な人々が、
1篇1篇の主人公として登場する。

お互いが直接的に関係を持っている人たちもいれば、
通りすがりだったり、噂に聞いたりというように
間接的な関わりだけしか持たない人もいるのだが、
読み進めているうちに、
「あっ!この人、前に出てきた人だ!」とか
「この先きっとこの人の物語もあるな」などと、
それぞれの物語の主役だけでなく、
脇役や端役の人たちのことも妙に気になるようになってくる。

時にはクスッと笑ってしまうようなエピソードもあるが、
慢性的な人手不足をはじめとする医療現場の抱える問題や、
パワハラ、非正規労働、DVや違法建築など、
社会のさまざまな問題が盛り込まれているものも多く、
決して明るい物語であるとはいえない。
けれども不思議と後味は悪くないのだ。

様々な物語がひとつの事件に発展していくこともなければ、
全体をまとめ上げるような大団円が存在するわけでもなく、
複数の人間の多様なエピソードが、
複雑なまま描かれているだけに、よりリアルに感じられもする。
もちろん、実際には
人は自分の側からしか物事を見ることができず、
こんな風に大勢の人の胸の内をのぞき込むことなどできるはずもないのだけれど。

昔はやった歌の歌詞に
「自分の人生の中では誰もがみな主人公」というものがあったが、
「自分が主人公」であること以上に
誰かの人生の中では「自分は脇役」なのだということを、人は皆忘れがちだ。
たとえほんのちょっとしか出番のない脇役であったとしても、
誰かの人生の中の自分が「良い役」であったらいいな。
少なくても「悪役」でないといいな。

そんなことを考えながら、
読み終えたばかりの本をランダムに開いて
また読みはじめる。

不思議とどこから読んでも何度読んでも面白いのだ。
(あっ!この人、前にもどこかで見かけた気がする)
(こんな場面、前にもどこかでみたような…)と
デジャブを感じながら
今日もまた、あの人、この人に会いに行く。

           (2019年02月21日 本が好き!投稿)