かもめもかも

かもめのつぶやきメモ

『エルサレムのアイヒマン――悪の陳腐さについての報告【新版】』

 

 20世紀を代表する政治哲学者の一人、ハンナ・アーレント

アーレントの代表的な著作と言えばやはり『人間の条件』((ドイツ語版からの翻訳本のタイトルは『活動的生』)、あるいは先にNHKの「100分 de 名著」でも取り上げられたという『全体主義の起原』か、というところだと思うのだが、アーレントを世に知らしめた作品と言えばやはりこの本になるのだろう。

そもそもこの本は、1961年4月にエルサレムで始まったアードルフ・アイヒマンの公開裁判の傍聴報告として『ザ・ニューヨーカー』に連載された記事をまとめたものなのだが、その連載当時から、イスラエルから、あるいはユダヤ系組織から、あるいはその資本をバックとしたメディアから一斉にパッシングを受けたというのだ。

本書に収録されている初版から2年後の改訂増補版刊行にあったって書き下ろされた「追記」にも、その“組織的な抗議キャンペーン”のことが書かれていているのだが、これがまた非常に読み応えのある25ページほどの文章なので、もしもあなたが、(この本の途中でちょっと読み切れないかもしれない)と、先行きに不安を抱くようなことがあったならば、この「追記」をじっくり読んでみるというのもいいかもしれない。
パッシングに抗する形で書かれたものであるから尚更なのだろう、アーレントがいかなる意図をもって、本編を綴っていったのかがよくわかる、著者自身によるみごとな「解説」になっている。


各地の強制収容所に集められたユダヤ人をアウシュヴィッツをはじめとする絶滅収容所へ移送する実務責任者だったアードルフ・アイヒマンは、戦後長らくアルゼンチンで暮らしていた。

イスラエル諜報機関は、ベン・グリオン首相の命により、アルゼンチンに潜伏中のアイヒマンを誘拐し、“ユダヤ人問題の最終的解決”において、彼が果たした役割について裁くためにエルサレムの裁判法廷にひったてた。

それはアルゼンチンの国家主権を無視する行為として非難されても仕方のない行為であったし、それだけでなくそもそもイスラエル裁判権を持っているのかという問題もあった。
そうした疑問を呈しながらも、始まった裁判を傍聴し、その資料を検討する。
弁論、書証、証言など、裁判に提出されたものだけでなく、アーレント自身が集めた裁判には出されなかった資料をも示しながら、ヨーロッパ各地において、いかなる方法でユダヤ人が国籍を剥奪され、収容所に集められ、殺害されていったかを明らかにし、その過程においてアイヒマンがどのような役割を果たしたのかを追っていく。

それらを踏まえて、アーレントアイヒマンを世間が言うような世紀の極悪人ではなく、特別優秀なわけではないが、常に自分を大きく見せたがる見栄っ張りで、そのくせ上からの命令には従順などこにでもいそうな小心者の小役人に過ぎなかったとみてとる。

その上で“ユダヤ人問題の最終的解決”に向けた歯車の一つとして、アイヒマンが犯した罪を断じる。

君が大量虐殺組織の従順な道具となったのは、ひとえに君の不運のためだったと仮定してみよう。その場合にもなお、君が大量虐殺の政策を実行し、それゆえ積極的に支持したという事実は変わらない。
政治に置いては服従と支持は同じものなのだ。

もちろん、アイヒマンに対するこうした評価について、不満に思う人たちがいるであろうことも想像に難くないが、アーレントがこうした結論に達するであろうことは、それまでの著作や全体主義についての考え方などから推し量っても当然の帰結であるように思われる。

もっとも“抗議キャンペーン”の誘因となったのはむしろ、ナチによるユダヤ人絶滅にユダヤ人自身が手を貸したとする対ナチ「協力」の問題や、シオニズムの「民族主義」とナチズムのそれとの類似性の指摘の方なのだろうが。

今回私が読んだのは、新たに政治思想研究者の山田正行氏による年譜と解説が加えられた2017年刊行の新版。
この山田氏「解説」がとても参考になっただけでなく、組版も大きく変わって旧版の読みづらさがかなり改善されていた。