かもめもかも

かもめのつぶやきメモ

『プルーストへの扉』

 

 

三千ページからなり、五百人の登場人物がいる文学史上最長の小説のひとつ、『失われた時を求めて』。

「あまりの長さ躊躇している」「途中で挫折した」という人も多いはず。
かくいう私も若い頃から、今度こそはとチャレンジしては、早々に投げ出す…ということを繰り返していたクチだ。

ところが数年前、とある企画をきっかけに、とりあえず一巻だけでもと、高遠弘美氏訳の光文社古典新訳版を読み始めたのが運の尽き!?
いやいや違う、これはまさに運命的な出会いだった。

以来、一気に読むことはせず、あちこち寄り道し、行きつ戻りつしながら、年に1冊のペースでゆっくりと読み進めている。

この本は、作者であるプルーストの実像に迫り、作品に盛り込まれた様々なテーマを明らかにし、印象的な場面を引きつつ、魅力的な登場人物たちを紹介して、「失われた時をもとめて」に対する先入観を払拭し、読んで見たいとおもう人を増やそう!というコンセプトで書かれている。

すでにその世界に浸る楽しみを知っている私には、今更……という気が、チラッとしないでもなかったが、とにもかくにも読んでみた。


読んでみたら、これがすごくよかった。


つまるところ私は、『失われた時を求めて』の世界に既にどっぷりはまってはいるのだけれど、その魅力を自分の言葉で語れるほどには、この作品をまだ咀嚼しきれてはいなくて、だからこそこの本を読みながら、「そうそう、そうなの!」「私が言いたかったのもまさにそれ!」などと本に向かって、一人相づちをうってしまうのだった。

だからもしあなたが、『失われた時を求めて』を前に「気になってはいるけれど、読み通せる気がしない」とか、「きっとまた、途中でなげだしてしまうだろうから」などと、躊躇しているのだとしたら、まずはこの本を手にとって、思い切って扉を開ける勇気をもらうといいだろう。


少し長くなるけれど、本書の中で、私がとりわけ気に入った箇所を紹介させて欲しい。

 三千ページにも達するあのような大作の小説の利点は、読者一人ひとりが自らの好きな要素をそこに見いだすことができるというところにあります。歴史好きなら、ドレフュス事件、草創期の自動車、第一次世界大戦などに関する、一八七〇年代から一九二〇年代までの詳細きわまる証言の数々を見いだすはずです。詩が何より好きな読者であれば、言葉が提示するイメージや音楽を味わいつくすでしょうし、時間と記憶について熟考をめぐらす哲学者プルーストとともに、あれこれ考えることに楽しみを見いだす人たちがいるかもしれません。
 バルザックふうの小説が好きな人なら、一連の人物描写、うわさ話、野心、社交界の話を喜ぶでしょうし、嫌みが大好きな人たちは著者の皮肉を面白がるでしょう。夢想家や冒険家は、パリからヴェネツィアヴェネツィアからノルマンディと旅することになります。情熱に身を焦がす者たちや嫉妬深い人たちは、自らの心の動きに関する説明を見いだし、自分たちと同じように苦しみ、同じように忘れてゆく者たちがほかにもいることを知って安心するに違いありません。幼年時代の失われた楽園を懐かしむ人々は、語り手の回想に心動かされるとともに、失われたとばかり思っていた時間をいかにして再び見いだすのかを悟って幸福な気分になるでしょう。
 音楽や絵画や演劇や文学を愛する人たちは、私たちそれぞれの人生で藝術が果たす役割について書かれた素晴らしいページを読むことになるでしょうし、スキャンダルや挑発を好む読者であれば、二十世紀初頭の文学的領域に、サディズムマゾヒズムと並んで、男女の同性愛を持ち込んだ小説の大胆さに気づかずにはいられないはずです。



あれも、これもと、心当たりがありすぎた。
だからかもしれない。
私がこんなにも扉の向こうの世界に惹かれてしまうのは。