かもめもかも

かもめのつぶやきメモ

『ラングザマー: 世界文学でたどる旅 (境界の文学)』

 

 本を読んでいると時折、(ああ!これはまさに私のことだ!)と思う瞬間がある。
「そうそうそうなの!それこそ私が言いたかったことなのよ!」などと、「膝を打つ」ってこういう時に使うのだろうかと真剣に考えることも。
けれども同時に、その「私の気持ちにぴったり」の言葉が、私自身から出た言葉ではないことに、少しがっかりしたりもする。

 本を一冊、手にとって読んでみるといい。そのあと何が起こるか、あらかじめ正確に予測することはできない。しかし、読書は私の心をとらえ、私はそれにすっかり魅了されてしまう。私はどのように苦しいことも乗り越えてその物語についてゆき、時間や日常生活、自分のまわりの世界を忘れる。ともに熱狂し、苦しむ。そして、感動した文やとまどった文の下に鉛筆で線を引く。前にあったことを確かめるためにページを繰って戻り、好奇心を満たすために先のページをめくることもある。私は完全に集中し、本のことしか頭にない。幸せな気持ちだ。私のなかのすべてが、お願いだから私をこのままにしておいて、この時間が永遠に続けばいいのに、といっている。


たとえばこんな一文を読んだとき。
本当に、いままさに私が考えていたことそのままで、思わず本を抱きしめたくなるぐらいなのに、この言葉を綴ったのが私であったら良かったのにと、嫉妬にも似た気持ちを抱いてしまったりするのだ。

そんな私の醜い心などお構いなしに、この本の著者イルマ・ラクーザは、いとも簡単に自分の中に他の作家の作品を取り込んでしまう。

そうして、ゲーテシュティフター、ウンガレッティ、ハントケなどが紡いだ言葉をまるで自分自身の一部であるかのようにごく自然に織り交ぜながら、読書や仕事、自然や体験、旅など9つのテーマを通じて、「ゆっくりと本を読む時間、ゆっくり過ごす時間」に寄せる想いを読者に打ち明ける。

『ラングザマー』がドイツ語で「もっとゆっくり」を意味する言葉なのだと知って、私は思わず大きく息を吐く。

こんな素晴らしい本を、どうしてもっと早く読まなかったのだろうと思いながらページをめくっていたことを少し恥ずかしく思う。
ゆっくりでいいのだ。
ひと言ひと言かみしめながら。
今しばらく、この世界に留まろう。