かもめもかも

かもめのつぶやきメモ

『エルサレム』

 

 

5月29日、人も街もまだ目覚めていない夜明け前。

重い病に冒されいるミリアは激しい痛みに耐えかねて通りに飛び出す。
同じ頃ミリアの元恋人、エルンストは、身を投げようと窓から身を乗り出す。
娼婦を求めて歩いているのはミリアの元夫で精神科医のテオドールで、父親の不在に気づき、彼を探しにベッドを抜け出したのはテオドールの息子カース。
同じ頃元兵士のヒンネルクは衝動を抑えきれずに街にでて、ヒンネルクを心配する娼婦のハンナと入れ違う。


すべては、ほんの短い間の出来事だ。
もちろん、それぞれがそこにいたるまでには、いろいろなことがあったわけだが。


作者のゴンサロ・M・タヴァレスは1970年、アンゴラ生まれ。
エルサレム(原題Jerusalém)』は2005年にポルトガルで出版され、ジョゼ・サラマーゴ文学賞をはじめポルトガル語圏の重要な文学賞を次々に受賞している。


エルサレムよ、もしも、わたしがあなたを忘れるなら、わたしの右手はなえるがよい
舞台も年代も定かではないとある街角の物語で、タイトルの『エルサレム』は、旧約聖書詩篇137にあるこの一節からとられているのだという。

かつての恋人と再会したミリアは、互いの右手がなえていないことを確認する。

精神科医のテオドールは、歴史に残る虐殺事件をつぶさに調べ受難者という烙印を背中に押されている人民も、つねに危害を及ぼす傾向がある人民というのも、存在しないという結論に達する。不均衡に見えるとすれば、それはまだ人類の歴史が終わっていないからであり、人類はこれからもまだ大勢の人民が虐殺されるような歴史を繰り返すのだというのだ。

一方テオドールと同じ精神科医であり、ミリアが入院しエゲオルグ・ローゼンベルク精神病院の院長でもあるゴンペルツは、患者たちを厳しく統制する。患者たちは病院の外の世界に恋い焦がれるが“昔の自分のままでいてはそこには帰れない。これまでの自分をすべて忘れ去らないと「治癒」とはみなされない”のだ。

近所でも変人として有名な元兵士のヒンネルクは、確かに過去の衝動に囚われているようで、銃を手にすることで心の均衡を保っていた。
それが本当に“均衡”と呼べるかどうかは別として。

そして、カース。
詩篇137をモチーフとしている以上、彼の運命は避けられないものだったのか。


様々な断片があちこちで結びつき、絡み合って構成されているこの作品のストーリーを上手く説明することは私にはできそうにない。

可笑しくもなければときめく要素もないが、陰鬱というわけでもない。
なにがどうとうまく説明はできないが、とにもかくにも吸引力がすごい。
一読しただけでは細部にまで張り巡らされているであろう様々な意図をつかみ取ることはとてもできない。
だが、間違いなく“すごい”ということだけはわかる。
それも、ちょっとやそっとの“すごい”ではないと思うので、なにはともあれ、とにかく、まずは読んでみて!とお薦めしたくなる1冊だ。