かもめもかも

かもめのつぶやきメモ

ヴァージニア・ウルフの『波』で翻訳読み比べ。

 

 

 

 『波』(原題:The Waves)は、1931年に発表された、ヴァージニア・ウルフ7作目の長編で、ウルフの著作の中でも“最も実験的”と評されることの多い作品だ。

私は以前この作品をみすず書房から出ている川本静子氏による翻訳で読んだのだが、語り手なる者は存在せず、構成は複雑、エピソードとエピソードの合間に挟み込まれる散文詩のような美しい挿入文も、おそらく相当に翻訳者を泣かせたに違いないと思っていたので、45年ぶりに新訳が出たと聞いては、読み比べずにはいられない!というわけで2冊並べて読んでみた。

まずは冒頭の散文詩的な一節を、森山恵氏が訳された早川書房の新訳(以下早川版)からご紹介。

太陽はまだ昇っていなかった。海が、布のなかの襞のようにかすかに皺立つほか、空と見分けるものとてない。空がほの白むにつれ、海と空を分かつ暗い一線があらわれ、灰色の布は、ひとつ、またひとつ、あとからあとから走るいくつもの太い筋によって縞目をつけられ、水面のしたのその筋は、果てしなく、たがいの後を追い、追いかけあった。

ちなみに襞(ひだ)と水面(みなも)にはふりがながついている。

続いてみすず書房ヴァージニア・ウルフコレクション、川本静子氏訳(以下みすず版)から

 陽はまだ昇らなかった。縮緬皺を寄せたかのようなさざ波が海面にひろがるほかは、海と空の区別はつかなかった。空が白むにつれ、海と空を劃す一線がしだいに色濃くなると、灰色の海には幾筋もの大波が湧き起こり、次から次へ、追いかけ追いかけ、絶えることなくうねり寄せた。

ちなみにふりがなはない。


続いて寄宿学校卒業間近のスーザンの胸の内
まずは早川版

「カレンダーから五月と六月のぜんぶを破ってやったわ」とスーザンは言った、「それに七月の二十日間を。ぜんぶ破ってぎゅっとまるめたから、もう存在しないってことよ。ただ脇腹のしこりとしてあるだけ。まるで羽根がしぼんで飛べない蛾みたいに、身動きできない日々だった。それもあとたった八日で終わる。八日後の六時二十五分には、汽車を降りて駅のホームに立っている。(p59)


続いてみすず版

 「日めくりから五月と六月をすっかりちぎり取ってしまったわ」、スーザンは言う、「七月も二十日までは。ちぎり取って丸めてしまったから、もう存在しないも同然よ、わき腹を圧迫しているだけで。どれも片端の日々だったわ、羽が干からびて飛べない蛾のように。もう、あと八日残っているだけ。八日経つと、六時二十五分に汽車からプラットフォームに降り立つの。」(p46)



青年になってパーシヴァルの壮行会のために再び集まった時のロウダの胸の内
早川版では

 「でもわたしは何より居場所がほしいから、ジニーやスーザンに遅れて後から階段を昇りながら、目ざすものがあるふりをしていた。二人がソックスを履くのを見れば、わたしも履く。あなたたちが話すのを待って、それをまねて話す。わたしはロンドンをつっ切ってここに、この時点、この場所へ引き寄せられて来る。でもそれは、あなたに会うためではなく、あなたでも、あなたでもなく、人生を存分に、不可分に、憂いなく生きるあなたたち全体の激しい炎で、わたしの火を燃えたたせるためなんだわ」(p146)



みすず版 

 「だけど、足がかりの場が何よりも欲しいので、ジニイやスーザンについてのろのろと階段を上がりながら、目的があるふりをするの。彼女たちが靴下をはくのを見ると、私もはくの。あなたたちが口を開くのを待って、そのあとであなたたちのように口をきくの。私がロンドンを横切って、この地点に、この場所にきたのも、あなたやあなたや、それからあなたに会うためではなくて、そっくりまとまって、懸念することもなく生きている、あなたがた皆の強い炎で、自分の火をともしたいからなの。」(p119)

 

中年になって再会する場面はバーナードの胸の内から。
早川版では

 「ほら、あそこのホテルに近いドア、あそこが待ち合わせの場所だ。おや、もう来ているぞ--スーザン、ルイ、ロウダ、ネヴィルだ。もう来ていたのだ。一瞬後におれが加わると、たちどころにまた別の配列が、別の型が形成される。いまは無駄になろうが構わず、いくらでも自由に場面をなしているのに、それが堰きとめられ、固定される。おれは強要されるのは嫌なのだ。五十ヤード離れていても、すでにおれの存在の秩序は変化させられていると感じる。仲間内の磁力が働いているのだ。(p241)


続いてみすず版

 「あそこに、われわれが落ち合う宿屋の入口に、彼らはもう立っているぞ--スーザンと、ルイスと、ロウダと、ジニイと、ネヴィルが。もうすでに集まっているのだ。僕が加わると、すぐに、別の取り合わせができるだろう、別の型が。おびただしい光景を作り上げながら、いま空しく費やされているものが食い止められ、規定されるだろう。そうした強制は受けたくないな。すでに五十ヤード離れたところで、僕の存在の秩序が変えられていくのが分かる。彼らの集いの磁石のような牽引力が、僕の上に影響を及ぼす。(p195)




読み比べもさることながら 先のレビューで、“読者は、彼らが口にした言葉から、あるいは各々の胸の内で、自分自身やお互いにについて言及する際にもらすほんのわずかな断片的情報から、あれこれと推し量るしかない”と私が述べた意味が少しは分かって戴けたのではないだろうか。