かもめもかも

かもめのつぶやきメモ

『子供時代 (ルリユール叢書)』

 

 

---それじゃ、あなたはほんとうに、そんなことをするつもりなの?「子供時代の思い出を語る」……。この言葉は気詰まりな思いにさせるから、あなたは好きじゃない。でも、これしか適切な言葉はない、というわけね。あなたは「子供時代の思い出」を語りたい……ぐずぐずしてはいられない、そうなんでしょ。


唐突に、こんな書き出して始まるのは、ロシア出身でフランスに移住したユダヤ人で、ヌーヴォー・ロマンの代表的作家の一人、ナタリー・フロートが自らの子供時代を元に描いた自伝的要素の強い小説だ。

でも本当に?
そうと知っていそいそと手にしたはずなのに、読者はまだ懐疑的だ。
ナタリー・フロートといえば“トロピスム”。
人が意識する前のまだ形をなさない感情や感覚、言葉になる前の言葉の動き、外からの刺激に反応した心の状態、そうしたものをとらえて描き出すことをめざした作家ではなかったか。
その作家が“子供時代の思い出”などという、ある意味、しっかりと固まって動かしようがないように思われるものを題材にするなんて……と。

けれども、いざ読み始めてみればすぐに、いらぬ懸念だったことに気づく。

“自伝的小説”であるはずのこの作品、作家自身を思わせる人物と、同じ記憶を共有しているらしいもう一人と、語り手が二人いる。
そして二人は常に対話しているのだ。


「ほんとうに、そう思う?」

「それは違うわ、私はそんなこと考えなかった……」

「とんでもない。私の言っていること、図星でしょ。あなたはよく分かっているはずよ。」


一方は記憶をたぐり寄せて「子供時代の思い出」を語ろうとし、もう一方は、その「思い出」の裏に潜む語り手の意識を引き出すかのように、出来事のひとつひとつに再検討をうながす。

ああもちろんそうだ。
子供は鋭い観察者。
なんだって知っている。
両親をはじめ大人達からかけられた言葉はもちろん、誰も口にしなかった言葉さえも敏感に感じ取る。
そのくせ、時には自分自身に対してまでも、そんなことには全く気づいていないというふりをするのだ。

両親の離婚、父と母、それぞれのパートナーとの複雑な関係。
思いっきり寂しくて、それでも時には幸せで。

一人で思い出に浸るのには大きな危険がともなうが、そうだ、あなたと私、二人でならば。


幼いあの日に、クラスメートたちを模した紙人形で、一人模擬授業をしながら、難しい課題に挑んだように、彼女はもうひとりの彼女とともに、子供時代の探索に乗り出す。