かもめもかも

かもめのつぶやきメモ

『屍の街』

 

 もう随分前のことではあるが「屍の街」は読んだことがあったので、私は大田洋子を「原爆文学作家」として記憶してはいた。
だが、それ以外の作品は読んだことがなく、作家自身についても、広島で被爆したということ以外はなにも知らなかった。

本書の巻末に15ページにわたって掲載されているこの作品集を編んだ長谷川啓氏の解説「21世紀の今日への警鐘---原爆体験の記憶が問いかけるもの」によれば、1930年に広島で生まれた作家は、戦争の時代に協力的な銃後小説を書いて流行作家となり、戦時下の中国への取材旅行や、慰問などにも出かけていたという。
だが東京から広島の妹宅に疎開していた折に被爆し、敗戦を迎えてからは、原爆文学を書き続ける。
もっとも、それらの作品は、占領軍の元で、あるいはその後も長く続く原爆タブーの中で、なかなか発表の機会を得ることができなかったらしい。

収録作品にはいくつも、語り手が著者本人を思わせる小説家だというものがあって、物語の中にもそうした苦労や苦悩がにじんでいる。

一度は引き受けたはずの出版社が、いろいろ事情があってと、原稿を返してくる場面もある。
原爆について語ろうとすれば、「原爆を売り物にしている」などという批判をうけることさえもある。

もちろんそうした苦労だけでなく、執筆にあたっての苦悩は胸が痛いほどで、作家というものの業に思いを馳せずにはいられない。

例えば「屍の街」にはこんなシーンがある。

するとそこには右にも左にも、道のまん中にも死体がころがっていた。死体はみんな病院の方へ頭を向け、仰向いたりうつ伏せたりしていた。眼も口も腫れつぶれ、四肢もむくむだけむくんで、醜い大きなゴム人形のようであった。私は涙をふり落としながら、その人々の形を心に書きとめた。
「お姉さんはよくごらんになれるわね。私は立ちどまって死骸を見たりはできませんわ。」
 妹は私をとがめる様子であった。私は答えた。
「人間の眼と作家の眼のふたつの眼で見ているの。」
「書けますか、こんなこと。」
「いつかは書かなくてはならないね。これを見た作家の責任だもの。」


取材のために被爆者をたずね歩き、少女の顔に残るむごたらしい傷跡を前になにも訊くことができずに涙する。(「ほたる」

あるいは「城」という作品には同郷の詩人の自殺をうけてこんな回想も。

「原は原子爆弾の幻影がなくても、自殺はしたと思いますね。却ってその記憶のために、それを書きしるそうとして、何年か故意に生きていたという気がします」
 玉岡のこのような説を私は素直にうけとることができた。原が自らの手で命を絶ったことを、私も必ずしも原子爆弾と結びつけようとはしていなかった。それにも拘わらず、原の原子爆弾の投下を浴びた記憶と、のちの日の彼の自殺とは、一つのものである気が私にはしていた。


そうかとおもえば、別の作品では、語り手の作家自らも眠ることが出来ずに、薬に頼り、身体を壊して入院を余儀なくされていたりもする。

どの作品も読み応えがあって、戦争や原爆の悲惨さだけでなく、いかに生きるべきかという作家の苦悶も含めて、読者の心に訴えかけてくるものがある。

原爆の悲惨さに涙はでないが、「残醜点々」のこのシーンだけは別だった。

七夕飾りの短冊になにを書こうと書きあぐねた末に「戦争反対」「平和を」「自由を」などと書き連ねたものの、あとになって妹がつぶやく。
あした、雨があがって天気になっても、このきれいな竹、外へ出せるかしら。心配になってきたわ。だってうちのは、よそのとちがうことばかり書いた短冊でしょ
あくる日夕方近く晴れてきて、妹が息を弾ませて帰ってくる。
「だいじょうぶ、だいじょうぶ」
原爆にさらされた生き残りの人間と、戦場からの復員者ばかりが住んでいる見渡す限りあばら家の家々の軒下に、色とりどりの短冊がはためく竹が立てられている。
短冊の1枚1枚にには「反戦」や「平和、自由、独立」、「お父さん」の文字が。
東京で自殺したこの街出身の詩人の碑銘の詩もあった…というそのシーンに、気がつけば涙をこぼしていた。

【収録作品】河原/牢獄の詩/屍の街/過去/恋/城/どこまで/暴露の時間/ほたる/半人間/残醜点々/ある墜ちた場所



※ここからは余談
★5つをつけたこの本、小鳥遊書房というまだ新しい小さな出版社からでた、内容はもちろん装丁も素敵なとても良い本なのだが、校正があまいのか、明らかに誤植だと思われる箇所がいくつかあった。
ぜひとも読み継がれて欲しい作品集だけに、版を重ねた折に改訂できるように売れてほしいと思うのだが、お値段もなかなかだし、気軽に購入してみようという人が多いとも思えない。カーリルで検索してみたところ収蔵している図書館もまだまだ少ないようなので、興味がある方はぜひ地元図書館への購入リクエストも含めて検討してみて欲しいところだ。