かもめもかも

かもめのつぶやきメモ

『赤い魚の夫婦』

 

 著者のグアダルーペ・ネッテル(Guadalupe Nettel)は、1973年メキシコシティ生まれの、現代メキシコを代表する女性作家。
国際的にも高い評価を受けている作家の作品を初めて日本に紹介する短篇集だというので、ページをめくり始める前からかなり期待値が高かった。

収録作品は全部で5篇。
比較的薄い本ではあるが、一気に読むのは勿体ない気がして、毎晩1篇ずつじっくり読むことにした。

最初の晩は表題作「赤い魚の夫婦」
パリで暮らす夫婦の元に、友人からのプレゼントとして持ち込まれた真っ赤な2匹の観賞魚
幸運を呼ぶという赤い魚は、出産を控えてあれこれ不安が募っていた「わたし」にとって慰めになるはずだった。
やがてその魚は“ジャム闘魚”という名で知られる、気性が荒く共生の難しい魚である事がわかる。
「わたし」はメスの身体に表れたくっきりとした横線がストレスのせいだと知って、あれこれと環境の改善を試みるのだが……。
人と魚、二組の夫婦をめぐる物語だ。
自ら望んで暮らし始めたわけでもない、水槽の中でしか生きられない魚たちに、人が自分の姿を重ね合わせるのは、間違いではないか気づいたときに、人は自ら囲いの外へ一歩踏み出さずにはいられないものなのかもしれない。

そんなしんみりとした気持ちを引き摺ったまま迎えた2日目の夜に対面したのは、本書一番の衝撃作!?「ゴミ箱の中の戦争」
両親の不仲の為に伯母の家に預けられた少年の成長譚かと思いきや、戦う相手はなんとゴキブリで、そのすさまじい闘いぶりに一気に眠気が吹っ飛んだ。

3日目の夜は「牝猫」で、猫ならば…と油断していたら、妊娠がテーマのお腹のあたりにガツンとくる作品だった。
もちろん人間だって猫だって、“自分のことは自分で決める”そうありたいものだけれど……。

4話目に直面したのは「菌類」
昔どこかでフランス語に、「水虫」のことを「足にきのこが生える」という言い回しがあると聞いた記憶があって、きっとそのあたりから着想を得た話なのかなと思いつつ読み始めたら、どちらも既婚者というヴァイオリニストたちの不倫の話だった。
音楽の調べのようにどこか幻想的な、それでいて驚くほどの“湿度”の高さ。
ちょっと変わった読み心地だとは思っていたが、まさかあんなところにきのことは!?

ラストを飾るのは「北京の蛇」
「魚」「ゴキブリ」「猫」「菌類」ときて、意外なことに5つの作品の中では一番、語り手と生き物との距離がある。
それは蛇が、パリで両親と暮らしている語り手自身ではなく、語り手の父親によって、家族を寄せ付けない書斎で飼われているからなのだが、蛇は最後の最後までどこか得体の知れない生き物のまま。
それは父が魅せられた北京の少女にもいえることで、結局は北京のそれが、家族を食い尽くすことになったというのだが、でも本当にそうだろうか、蛇にだって少女にだって別の言い分があったのではなかろうか…と、余韻を残す絶妙な距離感だ。

出てくる生き物もいろいろなら、夫婦、親子、恋人、家族など登場人物たちの関係もその胸のうちも様々で、物語の舞台もパリや、メキシコシティコペンハーゲンなどと、ひとところに留まらない。

一見気ままなようでいて、とても繊細で、とても奥行きのある、そんな物語たち。
じわじわとせまってくる不穏な雰囲気に飲み込まれそうになりながら堪能した。