引き出しの奥から、昔使っていたノートが出てきた。
読書記録といえるほどきちんと整理されたものではなく、
気に入った言葉とか、気になる関連書籍の題名とか、
そんなものを片っ端から走り書きした
そのノートをめくっていたら、
この本のタイトルと共に、いくつかの言葉が転がり出てきた。
●どうしてか読みさしになる。
そうであって、それきりになってしまうのではなく、
その後も気もちののこってゆく本があるという詩人は、
『失われた時を求めて』の鈴木道彦訳に出会って、
それまでの読み方が間違っていたのだと気づいたという。
●アーレントは過去はけっして死にはしない。
というフォークナ-の言葉を
過ぎ去りさえしないのだ
好んで引用した。(p117)
●一つの心が壊れるのをとめられるなら
わたしの人生だって無駄ではないだろう
エミリ・ディキンソンの詩の一節(p134)
●文字をつかって書くことは、
目の前にいない人を、
じぶんにとって無くてはならぬ存在に変えてゆくことです。
(後記より)
こうしたメモだけでは、
なんのことだか今ひとつわからないものもあれば、
メモだけで、
あれこれいろいろ思い出して感慨にふけるフレーズもある。
懐かしくなって、久々に本を開く。
いずれも、目の前にいない「きみ」に宛てて書かれている
詩人からの手紙形式のエッセーは、これらの言葉の宛て先である「きみ」が、
あなたであればうれしいと思います。
と結ばれていて、
なんだか、ひさしぶりに
懐かしい人から手紙を貰ったような気がしてきた。