かもめもかも

かもめのつぶやきメモ

『ふるさとって呼んでもいいですか: 6歳で「移民」になった私の物語』

 

きっかけはTwitterで紹介されていた
大月書店の記事(外部リンク)だった。

 

6歳のときに家族とともにイランから日本にやってきた少女が
高校三年生(19歳)の時から15年の歳月をかけて書き上げた本。
そう聞いただけでも読んでみたくなるではないか!
というわけで早速読んでみたところ、これがかなりのスゴ本だった。

もうこれは、あれこれくどくどと説明するよりも
とにかく読んでみて!!といいたくなるような本なのだが、
それでもあえて、さわりだけでも紹介してみることにしよう。

1991年の夏、ナディは両親と2人の弟の5人で
イランから日本にやってきた。

当時はイラン・イラク戦争の直後で、
経済の安定しないイランにいるよりも
日本に出稼ぎに行って数年働く方がいいと考えた多くのイラン人が
日本に働きにやってきていた。
もっともナディのように小さな子どもまで連れてきた家族は希だったようだ。

来日当初、ナディはもちろんご両親も
数年後には再びイランに戻るつもりでいた。
けれども様々な事情から結局その後もずっと日本で暮らすことになる。

日本と言えば
『ミツバチハッチ』と『おしん』しか知らず、
日本にはペルシャ語をしゃべる蜂がいるのだと
信じて疑わなかった少女が
両親が仕事に出かけている間、
人目を気にしながら幼い弟たちの面倒を見、
どうやって日本語をおぼえていったのか。
やがて周りの協力を得て、小学校中学校と進学をするも
いつ強制送還されるかわからない状況の中で
高校受験に備えなければならなかったことや
高校入学後ようやく家族揃って特別在留許可を取得することができたことなどが
ナディの様々な思い出とともに
丁寧に紹介されている。

結果として、人生のほとんどを日本で過ごしてきた彼女や弟たちは
「外国人」でありながら、話す言葉や生活スタイルなど、
「日本人」に近い面を多く持つようになるが、
その一方で、外見から「外国人」あつかいをうけることもしばしばで、
自分のアイデンティティについてもあれこれ考えずにはいられない。

ナディはいう。
彼女のように自分を「日本人」「外国人」とすっぱりわけることが出来ない人は
いまの日本にも大勢いるし、これからも増え続けていくだろうと。

『国際化』とは、海外からの観光客が日本に来ることや、
日本人が外国に行くことだけでなくて、
日本に住む外国人や異文化ルーツの人がふえことでもある。
こうした国内ですすむ国際化を彼女は『内なる国際化』と呼ぶ。
彼女のような異文化ルーツの人は、それを体現しているのだとも。

日本政府は、これまで一貫して「移民」を受け入れることに否定的だった。
けれどもその建前の一方で
実際には、安価な労働力を得るためにさまざまな抜け道が存在してきた。
1980年代から90年代には、ナディの両親のように観光ビザで入国し、
超過滞在で働く人が多くいて、その数は約30万人とも言われた。
1990年代から2000年代には、
日系ブラジル人や日系ペルー人など多くの南米系の日系人が来日したし、
「研修生」や「技能実習生」などの新しい在留資格もつくられてきた。

私の住む北海道の田舎にもたくさんの外国人や異文化ルーツの人たちが、
働き、結婚し、子どもを産み育て暮らしている。
ナディのいうとおり
日本はもう多文化な社会になり、外国人は「隣人」となっている
ということなのだろう。

その一方で
幼いころ親とともに入国した子どもや日本に来てから生まれた子どもが
強制送還になるという事例も多い。

子どもたちは自分の意志でやってきたわけでもない。
日本社会に適応しようとするほど、
日本語を覚え日本の文化や習慣にも合わせようと努力する。
日本になじんだ子どもたちが
親の祖国に戻り「ここがあなたのふるさとだ」といわれて戸惑う。
そういう状況は
ナディの体験談からも想像に難くない。

ナディは人一倍頑張った。
そして幸運だった。
よかったよかった。
めでたしめでたし。
それで終わるような話ではないのだと改めて思う。

様々な問題提起と、示唆に富んだ読み応えのある1冊だった。

 

               (2019年07月19日 本が好き!投稿