かもめもかも

かもめのつぶやきメモ

『存在の瞬間―回想記』

 

著者の死後、研究者によって編まれたヴァージニア・ウルフの自伝的著作集。
サセックス大学所蔵のウルフ文書の中から選び出された5篇が収録されている。
これらの原稿は、幾度となく推敲を繰り返すことで知られたウルフが存命ならば、大幅に改訂されていたかもしれないし、多くは出版の意図なしに書かれた資料でもある。
けれども編者の序文によれば、文学史にあれほど深く個性的な貢献をしたヴァージニア・ウルフの目と感受性とを豊かに照らし出す資料として、その重要性に鑑み、関係者の同意のもとに編集出版されたのだという。

出版の意図はなかったとしても、自分のためだけの日記や備忘録というわけではない。
親しい友人たちに見せ、彼らを楽しませるだけでなく、反応を確かめたり、意見を求めたりもしていたそうで、文体も読者を十二分に意識したものなので、作家のプライベートをのぞき込んでしまうような後ろめたさを感じさせられる心配はない。

「思いだすまま」
姉ヴァネッサの子どもに向かって語りかけるという形式で書かれたヴァネッサの“伝記”だが、同時にヴァネッサとヴァージニア・ウルフの共通の思い出の回想録でもあり、結婚によって精神的にも物理的にも遠ざかってしまった姉ヴァネッサへのラブレターのようでもある。

「過去のスケッチ」
著者の晩年に書かれた回想録。
母には3人、父に1人、共に連れ子のいる再婚同士だった両親の間に生まれた4人の子どもという大家族の歴史を、母の独身時代から書き起こす。
回想録をどう描くかという構想、人格は絶え間なく変容するものであり、過去は現在の瞬間に影響されるという洞察、日常生活における「存在」と「非存在」についての考察が興味深い。

「ハイドパーク・ゲート22番地」「旧ブルームズベリ―」「私はスノッブでしょうか」の3篇は、1920年から1936年にかけてヴァージニア・ウルフがごく親しい友人たちとともに開いていたメモアール・クラブで話した原稿だ。
彼らは時々会合を持って完全な率直さを誓い合った回想録(メモアール)を読み上げあっていたというのだが、その率直ぶりに目を見張る。

「ハイドパーク・ゲート22番地」は、ちょうど「過去のスケッチ」の続く時期から語り始められていて、母の死後、実際上の家長となった異父兄ジョージが、“父と母、兄と姉”が1つになったような人物として、ヴァネッサとヴァージニアの社交界に連れだした顛末が語られているのだが、衝撃の告白となる最後の三行が、『自分ひとりの部屋』の重要性を裏付けもする。

「旧ブルームズベリ―」がかの有名なブルームズベリーのあれこれを、「私はスノッブでしょうか」はスキャンダラスな社交界の一面をも描き出しているが、その一つ一つのエピソードにもまた、ヴァージニア・ウルフの様々な思考が読み取れるようで、隅々まで興味深かった。

残念ながら現在は絶版のこの本。
編者がいたり、文章毎に翻訳者が変わっていたりと、もしかすると権利関係に難しいことがあるのかもしれないが、ぜひとも復刊して欲しいところだ。