かもめもかも

かもめのつぶやきメモ

『ぼくは幽霊作家です』

 

以前読んだ『四月のミ、七月のソ』が面白かったのと、出版社が共同で製作したキム・ヨンスを特集するパンフレットを読んでさらにこの作家を追ってみたくなって手にした本。

9つの短篇が収録されているのだが、まずは目次をみて驚く。

簡単には終わらないであろう、冗談
あれは鳥だったのかな、ネズミ
不能説(ブーヌンシュオ)
偽りの心の歴史
さらにもうひと月、雪山を越えたら
南原古詞に関する三つの物語と、ひとつの注釈
伊藤博文を、撃てない
恋愛であることに気づくなり
こうして真昼の中に立っている

解説 ことばでは言えない生のために……金炳翼(キム・ビョンイク)
作家のことば
訳者あとがき



お気づきだろう。表題作がない。
ということは、幽霊作家(ゴーストライター)という言葉は、この短篇集全体にかかっているのかそうなのか?と、首をかしげながら読み始めると、「簡単には終わらないであろう、冗談」などという冗談みたいなタイトルの巻頭作になんだか妙にハマってしまった。

あなたという人はいつだってそうと、冷たく言い放つ元妻の気持ちが分かる気がする34歳の男のうだうだに何故こんなに心惹かれるのか。
謎だ、全くの謎だ。

その謎が解けぬまま2作目にページを進めると、ロンドンで韓国人の恋人セヒと同棲していた日本人青年「ネズミ」が、傷心を癒やすために姉の元に遊びに来た彼女の妹とも……という話で、これがもうなんというか思わずハルキか!と、苦笑いしてしまうわけで。

そうかと思うと、3作目の「不能説」は、中国に住む占い師が「なぜ指を切り落とされたのか」と訊ねてきた韓国人に朝鮮戦争のことを語ってきかせる物語で、続く「偽りの心の歴史」は、ジョージ・ワシントンから依頼で彼のフィアンセである女性を追ってはるばる朝鮮へとやってきた探偵の旅路が、外ならぬジョージ・ワシントンに宛てた書簡の形式で綴られている。

少し堅苦しい印象をうけるヒマラヤへの登攀日誌ではじまる「さらにもうひと月、雪山を越えたら」は、内容的にも文体的にも意外な展開をみせ、「南原古詞に関する三つの物語と、ひとつの注釈」は、あきらかに『春香伝』のパロディなのだが、漢詩と語りのリズムが美しい。

伊藤博文を、撃てない」では、歴史と現代が絶妙に絡み合い、「恋愛であることに気づくなり」ではやれやれ、困ったことになった。の1行が絶妙に効いていて、「こうして真昼の中に立っている」では、反逆罪に問われているらしい語り手の“私”が何者なのか、明かされるラストが見事だ。

丁寧な解説や、訳者のあとがきにもあるとおり、一人称の語りに徹した作家が自らを物語ることばを持てなかった者たちの語りえない声に耳を澄まして書き上げた物語であることはまちがいなく、その意味において“幽霊作家(ゴーストライター)”なのだろう。

もう一つ、9つそれぞれが違った個性を持って語りあげられていることからして、おそらくこれキム・ヨンスは、ハルキや『春香伝』以外にも、いろいろな作家や作品から特徴的なエッセンスを拾い上げ、その作家になりきったつもりで書いているのではないか、その意味でも優れた“ゴーストライター”と言えるのではないか、などと思ったりもした。

さて、次は何を読もうかしら…と、書店の店頭で貰ったパンフレットを再び開く。
どうやら私、すっかりキム・ヨンスにハマってしまったらしい。

 

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※新泉社、駿河台出版社、クオンの共同作成パンフ