かもめもかも

かもめのつぶやきメモ

『私のおばあちゃんへ』

 

思えば私も子どもの頃は、自分も大人になったら、結婚し子どもを産んで母になり、やがては祖母になるものと信じて疑わなかった。

(おばあちゃんになりたい)と積極的に思っていたわけではないけれど、当然のようにおばあちゃんになるものと思っていたのだ。

そんなことを思いつつ読み終えたのは、ユン・ソンヒの『きのう見た夢』。
夫に先立たれた“私”は、おばあちゃんになりたいと心から思っていて、いつか孫に聞かせてやりたいと口演童話を習っていたりする。

なかなか叶いそうにないその願いが切ないこの物語を読み終えてしばし考え込む。

いつの間にか、おばあちゃんであってもおかしくない歳になったのに、あいかわらず子も孫もいないからか、「おばあちゃん」と聞いて思い浮かべるのはいつも祖母のことで、いつまで経っても孫目線の私だが、そんな私ももしかすると、おばあちゃんになりたかったのかもしれない、と。
そしてまた、そうと口には出さないけれど、母もまたおばあちゃんになりたかったかもしれない、と。


ペク・スリンの『黒糖キャンディー』は、祖母の遺した日記を手掛かりに、孫娘がおばあちゃんの最後の恋を想像する物語。
ボーヴォワールの未完の小説に着想を得た恋の舞台はフランスだ。
子育てを終え夫を看取った彼女は、「やっと自由になった」と言っていたのに、幼くして母を亡くした孫たちのためにその「自由」を諦めた。
語り手は大人になった今になってようやく、祖母もまた一人の女性であったことに気づくのだ。


認知症になり療養型病院で暮らす祖母を、友だちと共に見舞う孫娘。
カン・ファギルの『サンベッド』の語り手である孫娘だってもちろん、本当は分かっていたのだ。
いつだっておばあちゃんが自分が逝ったらひとりぼっちになってしまう孫娘を心配していたことを。


祖母が残した大きな屋敷を処分するために十年ぶりにその家に足を運んだ私は、思いもかけない過去と対峙することに。
『偉大なる遺産』のひたひたとせまるこの怖さときたら!と、おもったら、作者のソン・ボミは  『ヒョンナムオッパヘ』収録の「異邦人」の作者だと気づき納得する。

母と娘と孫娘、3世代の女ばかり3人で行ったたった一泊のテンプルステイ。
娘は母の意外な一面を知り、その母にだんだんと似てくる自分に気づく。
チェ・ウンミの『十一月旅行』は穏やかな秋の陽射しを思わせる。

本を読みながらふと、最近とみにしみが増えてきた自分の手に視線を移す。
もう後数年もすれば、しわもぐっと増えるだろう。
年老いた女になるつもりはなかった。その日その日を生きているうちに、いまにたどり着いただけだ。
ラストを飾るソン・ウォンピョンの『アリアドネーの庭園』の冒頭の一節が心にしみる。
だがこれ、しみじみとした心持ちで読み進めてみると、近未来の高齢化社会を描くディストピア小説なのだ。


韓国文学界で注目をあつめる6人の若手女性作家による“おばあちゃん”をめぐるアンソロジーだと聞いていたから、懐かしさや温かさ、あるいはもしかすると厳しさや時代の制約や対立や葛藤が描かれる…そんな物語たちを想像していた。
確かにそういう面もあるのだけれどそれだけではなく、ロマンスもミステリもホラーもSFもあって、さらには女の一生について、あるいは現在過去未来の私自身について、深く考えさせられる物語たちでもあった。