かもめもかも

かもめのつぶやきメモ

『我らが願いは戦争』

 

黄色地に黒があしらわれた危険物を思わせる装丁に過激なタイトル。
朝鮮半島を舞台にした近未来ディストピア小説だときけば、少々厄介な物語であろうことは想像に難くはなかった。
がしかし、まさかこんな展開が待っていようとは!?


金王朝」が求心力を失うやいなや、エリートたちは、海外に高飛びしたり身分を隠して潜伏と自己の保身に走り、朝鮮民主主義人民共和国はもろくも崩れ去った。
そうした状況に至ってもすぐに南北統一とはならなかったのは、南も北もベルリンの壁の崩壊など世界史からあれこれを学び、それぞれの思惑の元に動いたからだ。

南の政府は「我らの願いは統一ではあるが、唐突な統一は双方に災いをもたらしかねない」と段階を踏んだ統一進めることとし、休戦ラインは分界ラインと名を変えて残され、非武装地帯にも手をつけず、鉄条網も地雷も撤去しなかった。
さらには費用は南持ちで、国連の平和維持軍を迎え入れもする。
北の新政権は「統一過渡政府」を名乗ったが、その実情は弱肉強食の無法地帯で、さまざまな組織が暗躍し、膨大な麻薬や薬物を製造し輸出するようになっていた。

そんな中、流れ者が集まるとある飯場で、顔に傷のある男が弱い者いじめをしていた輩をやっつける。
のされた方は地元有力者ゆかりの者で……とくれば、この傷のある男リチョルが、アウトローのヒーローだろうと見当をつけて読み進めると、どうやらこの男、旧朝鮮人民軍特殊部隊「信川復讐隊」のメンバーを探しているらしいことが明らかに。
なるほどこれは復讐劇を絡めたハードボイルドなのかとこれまた勝手に合点して、暴力シーンやおびただしい死体の山におののきつつもページをめくり続けると、たくましい北の女性たちのネットワークの存在や、次々と現れる“すご腕”の男たちの目論見が次第にあきらかに。

自分の読みがはずれたことを嘆く間もなく、先が気になってページをめくり500ページ近い大作を読み終えて、ふうっと溜息をつく。

いうまでもなくこの小説のタイトルは、韓国で歌い継がれてきた歌「我らが願いは統一」にちなんだものだろう。
この「我らの願いは統一」は、元々は「我らの願いは独立」というタイトルで、朝鮮半島南半分が米軍の軍政下にあった1947年、国営放送のKBSラジオが放送したラジオドラマの主題歌だった歌だという。
大韓民国成立後の1948年、タイトルも歌詞も「独立」から「統一」に変えられ、小学校の教科書に収録され、広く歌い継がれるようになったのだ。
韓国から北朝鮮に伝わり、2000年に平壌で開催された南北首脳会談では、金正日氏と金大中氏を含めた関係者が手を繋いで歌ったというエピソードもある、いわば南北の「国民的唱歌な曲」だった。
しかし現在北朝鮮でこの歌は、公共の場で歌った者も、歌った者を通報しなかった者も厳罰に処すという禁止曲に指定されているのだという。

金正恩氏が禁止した理由は、「われらの願いはもはや『統一』ではなく、『軍事大国』だから」というものだとか。

南北分断が固定化された時代に生まれ育った金正恩氏の「祖国統一」への気持ちは、当然のことながら祖父や父のそれとは違っているはずで、それをいうなら韓国の若い世代の意識もまた……と、この本を読みながら考える。

既に映画化されることが決まっているというこの作品。原作に忠実に映像化するならば、R指定もやむなしかというノワール作品になる気もするが、エンタメ的に盛られた中にも、国や民族や人権や……と、様々な問題を投げかけるこの物語をどう映像化するのか、出来るのか、そのあたりもとても気になるところ。

それにしてもチャン・ガンミョンおそるべし。
先に読んだ 『韓国が嫌いで』とは全く違うテイストでありながら、先の作品と同様に、生きづらさを抱えた人たちの描き方は絶妙で、作家の幅の広さにもまた衝撃を受けた。