かもめもかも

かもめのつぶやきメモ

『だれも死なない日』

 

翌日、人はだれも死ななかった。
こんな書き出しで始まるのは、ポルトガル語圏初のノーベル賞受賞作家サラマーゴが2005年83歳の時に発表した作品だ。

とある国で1月1日を境に人が死ななくなった。
昼も、夜も、朝も、夕方も、病気による、致命的な転落による、あるいは成功確実な自殺による死というものが、ただのひとつも生じなかったというのである。
交通事故でも死ななかった。事故がなかったというわけではない、むしろ浮かれた輩の多い大晦日らしく、悲惨な事故はあったのだし、重傷を負った者もいた。けれども、これはもう絶対に助からないと思われたけが人も死にはしなかった。危篤状態だった重病患者もこれしかり。いずれも治癒したわけではない。ただただ痛みも苦しみもそのままに息絶えることがないというのだ。

“もしも人がだれも死ななかったらどうなるか”

葬儀社は仕事がなくなり、生命保険会社には解約希望が殺到、死がなければ復活もないと、教会もあわてる。
高齢者施設にはいつまでたっても空きができず、病院の病床もぴっぱくする。いやしかしどうあっても死なないのなら、手の施しようのない患者たちは、病院にいても自宅にいても同じことでは、と自宅療養を求められ、あの家もこの家も寝たきりの病人をかかえて悲鳴をあげる。

だがしかし、どうやらこの現象はこの国だけのもので、隣国では人が死んでいるらしいとなると……。

やがて1通の手紙により、一連の出来事の原因は、死(モルト)にあるとはわかったが……。
“句点を用いないとか、必要不可欠な部分に括弧をいれず、偏執的に改行をせず、適当に読点を乱発しする”……死(モルト)の書く手紙はまるでサラマーゴの文章そのもので、シリアスなテーマにもかかわらず、こんなところに作家の遊び心が表れている。

80歳を越えた作家が、確実に迫りくる死期と正面から向き合う作品と思いきや、まさかのラブストーリーでもあって、そうした展開がどこか、ドキュメンタリー映画「ジョゼとピラール」で観た晩年のサラマーゴの暮らしぶりとも重なって、人はいつか必ず死ぬものだという当たり前のことを、なかなか当たり前のこととして受け止められない人間の性を描きながらも作家は、幸せな晩年をおくったんだななどと思い、なんだかジーンときてしまったのだった。