かもめもかも

かもめのつぶやきメモ

『密告者』

 

ジャーナリストのガブリエル・サントーロは、父の古くからの友人で第二次世界大戦中に家族と共にコロンビアへ亡命したユダヤ系ドイツ人女性ザラの半生を描いたノンフィクション『亡命に生きたある人生』を出版した。

彼が自分の本を自分と同じ名前をもつ父に贈ったのは、「よくやった」と父に認めて欲しかったからだ。
しかし、高名な法律家で雄弁術の教授でもある父親は、その感想を直接息子に伝えることをせず、こともあろうにマスコミを通じて本を酷評する書評を発表した。

いいと思う部分には独創性が感じられず、独創的だと思う部分はあまりよさが認められない

サントーロが、大胆、あるいは勇気ある、という世間からの評価を欲しがっていたであろうことは明らかだ。おそらく、勇気あることはジャーナリストの美徳の一つだとでも聞かされていたにちがいない。だが、今のこの時代にホロコーストについて本を書くのに、一体どれほどの勇気が必要だというのだろうか?

こうして父ひとり子ひとりの親子関係は断絶してしまったのだった。

三年後、息子は父に電話で呼び出され、心臓手術を受けることになったので付き添って欲しいと告げられるシーンから物語は始まる。

その親父もすでにこの世を去り、俺はこうして、この作品を書きはじめているというガブリエルの語りから、すべては過去の出来事なのだと読者は知ることになる。

手術を通じて父子関係は修復したようにみえたが、息子は父に問えずにいた。
「あのとき、どうして父さんは……」と。

術後、これまでの親子関係の中で一番長く、親密に同じ時間を共有するようになった半年を経て、亡くなった後明らかになっていった父親の隠された過去をテーマに、息子は再び筆を執り、新たな著作『密告者』を出版する。

そこにいたるまでのあれこれを軸に、語り手である作家ガブリエルの2作の作中作を埋め込む形で創りあげられた物語。

その根幹に横たわるのが「ブラックリスト」だ。

封鎖対象国民リスト=ブラックリストは、1941年にアメリカが提唱したもので、直接の目的は“枢軸国との関わりがあると疑われるものたちを経済活動から遠ざけて、アメリカからラテンアメリカ諸国に流れる資金がそうした者たちの手に渡るのを阻止する”というものであったのだという。

コロンビアにも収容所がもうけられ、ドイツ人だけでなく、イタリア人や日本人もその対象となった。
物語の中でも紹介されているように、中にはドイツ系の名前と言うだけで疑われて財産を没収され収容所に送られた者もいれば、明らかにナチスとの関わりが強いと推測される者の中にも、政府高官とのつながりのおかげで収容を免れた者もいたという。

手術の後、かつての自分を悔い、「発言を撤回したい」という父は、術後の人生を第二の人生と位置づけて、“人生の過ちを帳消しにするチャンスだと思っていたにちがいない”と息子は思う。

語られる出来事は時系列に並んでいるわけではないが、常に具体的な日付が付され、所々に実在した人物に関する記述や、実際にあった出来事などが織り込まれているために、読者はこれが語り手の作家と彼と関わる人々をめぐるノンフィクションであるかのように感じながら物語を読み進めていくことになる。

そしてまた常に語り手である作家が直面する周囲との軋轢や、書くことの苦労を前に、そうまでして作家はなぜ物語を創作するのかという、書くことの意味を考えさせられもする。

訳者のあとがきで紹介されているバスケスの言葉も印象的だ。
いま歴史として認識しているものについては、そのときにそれを語る力のある者が作り上げようとした物語である場合が多い

500ページ越えのずっしりとした厚さと、テーマの重さにもかかわらず、時々ワイドショー的なあれこれを盛り込みながら、メリハリをつけた文体は意外なほど読みやすく一気読みが可能だ。

だがしかし、読みおえた後もあれこれ考えずにはいられない一作でもあった。

               (2018年09月25日 本が好き!投稿