かもめもかも

かもめのつぶやきメモ

『廃墟の形』

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手錠をかけられた男が警察車両に乗り込む映像を
TVのニュースで目にしたことを思い起こす場面から始まるこの小説は、
小説家である「私」を語り手とした
細かい字がぎっしり詰まった500ページ弱の長編小説だ。

小説ではあるけれど、語り手の「私」は著者本人と同じ名前を持ち、
これまた同じように早産で生まれた双子の女児の父親であり、
これまで著者が執筆した小説と同名の小説を執筆しているなど
明らかに自身をモデルにしているため、
自伝的要素がふんだんに盛り込まれている点でも興味深い。


冒頭、TV映像の中で手錠をかけられていた男はかつて「私」に対し、
1948年、コロンビアの首都ボゴタの路上で
白昼堂々殺害された政治家ガイタンの死をめぐる
「真実」を明らかにする本を書くよう執拗に迫っていたのだという。

その男カルバージョは、ガイタンが殺された事件だけでなく、
同じくコロンビアの政治家ウリベの暗殺、
ジョン・F・ケネディの暗殺や、9・11事件、
世界大戦勃発をめぐるあれこれなどに関する「陰謀論」に傾倒していて、
長い時間をかけて自ら調べあげてきたというのだった。

次期大統領として有力視されていた自由党のリーダーガイタンが殺された事件では、
発砲した男は現場で捕らえられ、近くの薬局内で一時的に身柄を拘束されていたのだが、
怒り興奮した群衆によって引きずり出され、リンチによって殺されてしまった。
そのため、犯行の動機がわからずじまいで、
実行犯は誰かの指図で犯行におよんだのではないかという憶測も。
本書ではガルシア・マルケスもそのエッセイ『生きて、語り伝える』の中で
“実行犯を薬局から引き出させた身なりのよい男”の存在にふれ、
暗殺の首謀者が、どさくさにまぎれて実行犯のリンチ殺害を誘導したことを
ほのめかすような一節があるのだと紹介している。

カルバージョの唱える陰謀説を胡散臭く思いながらも、
「私」はある目的のため、彼の依頼に応じて、
ガイタン暗殺について本を書くことを承諾するのだった。

執筆のとっかかりとして、カルバージョから提供された資料は
やはり白昼堂々ボゴタの路上で惨殺されたもう1人の政治家
ラファエル・ウリベ=ウリベの暗殺事件のものだった。

仕事にあぶれた2人の職人が、政治家に反感をもち、
むしゃくしゃしてやったとして逮捕される。
若き弁護士アンソラは、亡きウリベ氏の身内からの依頼で、
独自に調査をすすめるうち、
裏で手引きしたのが保守系の有力者と警察の長官、
さらには彼らと深く結びついたイエズス会士たちではないかとの疑いを深めていく。
しかし、決定的な証拠を得られぬまま裁判が始まって……。


読み進めているうちに疑惑は、
確かに裏があったのだという確信に変わり、
まるで読者自身が真相究明の立会人にでもなったような気持ちにすらなっていくのだが、
最後の最後になって、
それこそが作者が読者に仕掛けた罠であったことが明らかにされる。

正直なところ、すっかり翻弄され、
手に汗握る面白さを味わった後だけにこの結末には、
少々釈然としないものがある。
もちろん極端な陰謀論に耳を貸すつもりはないし、
あやしいというだけで、人を裁くことはできないが、
かといって、関係者が脅迫されたり、
証拠となり得そうなものが次々とつぶされていく中で、
立証できなかったのだから、そんな事実はなかったのだと言われても。
もちろん“握りつぶされた”と考えること自体が、
陰謀論に傾倒した結果だという可能性もなきにしもあらずだが。

実在の人物、実在の事件、実在の書物に加え、
自らの体験までも盛り込んで書き上げられていたとしてもこれはフィクションで
当然のことながら、実在しない人物や事実とは異なる事柄も盛り込まれている。
この作品自体が、もっともらしく作り上げられた「陰謀論」で、
読者はそこにまんまとはまりこんでしまったということなのか…。

残り数ページという段になっても、
そうしたことを
あれこれと考えながら、文字を追っていたのだが、
最後の最後の場面が、まるで輪を描くかのように
物語の冒頭に戻っていくことに気づいて、また愕然とする。

なんにしても、バスケス、すごすぎた。