かもめもかも

かもめのつぶやきメモ

『象の旅』

 

16世紀、正確には1551年、ポルトガル国王ジョアン三世は、従弟のオーストリア大公に結婚祝いとして、自らが所有するインド象を贈ろうと思い立つ。この小説に基づいてより正確に記するならば、思いついたのは国王ではなく王妃だというのだがその真偽はさておき、ジョアン三世の命により一頭の象がおつきの一行と共にひたすら歩いてポルトガルからオーストリアまで旅をしたというのは、まぎれもない史実なのだった。

ポルトガル語圏初のノーベル賞受賞作家サラマーゴは、とあるレストランに並べられた小さな木製の彫刻をみてぴんときたという。ここに物語があると。

そうして書き上げられたのがこの『象の旅』。簡単にあらすじを紹介するとしたら「ポルトガルからオーストリアまで象を連れて旅をする話」なのだという。それはそうなのだろうが、そこはサラマーゴ、ひとひねりもふたひねりもあるに違いないと、覚悟して読み始める。

読み始めてまずおどろく。これまで読んできたサラマーゴ作品とは比べものにならないほど、軽妙な滑り出し。あいかわらず「 」はないし改行もほとんどなく、一ページにこれでもかと文字がびっしり詰め込まれたこの文体で、ここまで軽やかな演出ができるとは。

一気に読むのが勿体なくて少しずつ歩を進めると、だんだん興に乗ってきて、声を出して読んでみる。いいなこの感じ。このリズム。なんだかすごく楽しい。これはもう、作家はもちろん訳者もすごいぞ。

象のソロモン、象遣いのスブッロ、リスボンから国境まで一行を率いる騎兵隊長、ポルトガル国王ジョアン三世、オーストリア大公マクシミリアン、行く先々で象とその一行にかかわった人たち。それぞれの胸のうち、それぞれの思惑に、作者の思考も加わって、愛情たっぷり、ユーモアたっぷり、皮肉もたっぷり。面白おかしい語りの中に、風刺もあれば、理不尽なあれこれに対する告発もあって、読み終えてみればやっぱりサラマーゴ。

象は、大勢に拍手され、見物され、あっという間に忘れられるんです。それが人生というものです。と象遣いのスブッロはいうけれど、もしかするとそれは、もてはやされた作家やその作品にも通じるものがあるのかも。
それでもやはり象の旅ににかかわったあの人この人があれやこれやと思い考え、人生の大きな転換を迎えたように、作家とその作品に出会ったことで、大きく変わる読者の人生もあるに違いない。きっと、どこかに。