かもめもかも

かもめのつぶやきメモ

『レクイエム』

 

タブッキの『レクイエム』に耳を傾けようとするならば
灼熱の太陽が照りつける暑い夏の日が最良ということは
百も承知ではあったけれど
タブッキの邦訳最新刊『イザベルに』を読んだ後では
どうしても再び『レクイエム』に立ち返らずにはいられなかった。

久々に開いたこの本から
ポルトガルの汗ばむ熱気が立ち上る。

“わたし”はそんな猛暑の中
じりじりと太陽に照りつけられながら
人気のない桟橋に立って詩人を待っていた。
だが彼は来ない。
きっともう来ないのだと思った矢先、
ふと待ち合わせの「十二時」とは
「夜の十二時」のことではなかったかと思い至る。
きっとそうだ。
どうしていままで思い至らなかったのだろう。
幽霊が出るのは夜中と相場が決まっているというのに。

そんなわけで“わたし”は
夜の十二時に再びこの場所を訪れるまでの間
古い友人を訪ねてみることにした。
遠い昔、納得のいかない別れ方をした古い友人を。

途中、昔からよく知っている…といっても、
読んだ本に出てきたというだけだから、
“わたし”が一方的によく知っている宝くじ売りに出会い、
人の良いタクシーの運転手に世話になったりしながら
くだんの友人“タデウシュ”の家にたどり着く。
あのとき、彼が最後に口にした言葉の意味が知りたくて…。
“イザベル”がなぜ、ああなったのかを知りたくて…。

友と別れ
ホテルで午睡をとっていると
ふいに訪ねてきたのは“若き日の父”で
“わたし”は戸惑いながらも父の質問に答える。
父さんが死んだのは……。

やがて夜がやってきて
“わたし”はとうとう詩人と会う。
“わたし”には詩人が必要だった。
でも同時に“わたし”は「あなたといると不安でたまらなくなる。」
そう打ち明けると詩人はいう。
わたしといると最後はだれもがそうなるのさ。だけどね。そもそも文学の役割とはそこにあるのだとは思わないかい?ひとの不安をかきたてることだとは?

タブッキを思わせる“わたし”が
ポルトガルの詩人ペソアを思わせる詩人に打ち明けた言葉は
そのまま読者である私が物語の作者であるタブッキに届けたい言葉でもある。

タブッキ、あなたといるとなにもかも不確かに思えてきて
私は自分の足元すらおぼつかなくなり
不安でたまらなくなるけれど
それでもやはりあなたは私にとって必要な人で
あなたの物語を通じて
私は今もこれからも過去と未来と今を行ったり来たり迷ったりしながら
探求の旅を続けていくことになるのだろうと。

あなたはまさかこの物語があなた自身に捧げられた“レクイエム”になる日がくるとは
思いも寄らなかったかもしれないけれど。

いいえ、きっとそうではない。
あなたは知っていたはず、いつかこの物語が
あなた自身に向けられたレクイエムになる日がくることを。
国境も時空も生も死も軽々と飛び越えるあなたのことだから。
たぶん。きっと。

            (2015年04月26日 本が好き!投稿