かもめもかも

かもめのつぶやきメモ

『供述によるとペレイラは…』

 

供述によると、ペレイラがはじめて彼にあったのは、ある夏の日だったという。


少し堅苦しそうなこんな書き出しで始まる物語は、第2次大戦前夜、1938年のリスボンが舞台だ。
ドイツではナチスが台頭し、ポルトガルの隣国スペインでは内戦が勃発、欧州全土にファシズムの嵐が吹きはじめた時代である。

夕刊の文芸欄を担当する新聞記者のペレイラは、助手を雇おうとしてモンテイロ・ロッシという若者と出会う。
ロッシとその恋人のマルタはファシズムに抗する政治活動をしているようで、ペレイラは危うさを感じながらも、彼らとの関係を断ち切ることが出来ず、次第に巻き込まれていくことになる。

ポルトガルの新聞は決して報道しないため、人づてに伝え聞く欧州の著名な作家たちの動向に耳を傾けながら、ペレイラは一喜一憂したりもする。
けれども、その一方で自分はというと……。


こうしたエピソードがまさに、ペレイラの供述に基づいて語られているのであるが、ペレイラがどのような状況で、いったい誰に向かって供述しているのかは明かされていないので、彼の供述するひと言ひと言が読み手の不安をかき立てることになり、「供述」が繰り返される度に、また一つ胸騒ぎがして、胸がキュッと苦しくなる。


ペレイラという、肥満で心臓が悪く、妻に先だたれ、妻の遺影に話しかけることを日課とする主人公を通じて、死について語ることで生について考察し、彼を巡る出来事の中で生きることの意味をも問う。

一人の人間が出来ることは限られている。
そうではあるが、だからといってなにもしなくても良いということではないはずだ。
物語の中にタブッキの切実な想いが透けて見える気がする。


と同時に、

「供述によると、ペレイラは……」
「……とペレイラは供述している。」


冒頭では堅苦しささえ感じたこうした言い回しが、読み進めていくうちに、どういうわけかまるで韻を踏むかのように、目にも耳にも心地よく響くようになり、思わず声に出して読み上げたくなってくる不思議なハーモニーを醸し出しはじめる。

タブッキお得意の幻想的な文章はなりを潜め、夢であって欲しいと思わず願ってしまうほどの厳しい現実が描かれているのにも関わらず、流れるような文章のこの美しさには思わず目を見張る。
言葉を紡ぐ著者の、そして訳者のすばらしさも堪能できる一冊でもある。

                (2012年04月24日 本が好き!投稿