かもめもかも

かもめのつぶやきメモ

『逆さまゲーム』

 

フランス人は隣を見てスペイン人を田舎者だと見下して、
スペイン人は隣を見てポルトガル人を馬鹿にする
ポルトガル人は隣を見るが、目に映るのは海ばかり
仕方がなく、彼らは海に向かって愁いを帯びたファドを歌う。



スペインを旅した時に教えられた小咄は明らかに
ポルトガル経由でやってきた私に対して、
「やっぱりスペインの方がいいでしょう」という同意を求める意図が込められていた。

けれどもそのとき、私は既にポルトガルにすっかり惚れ込んでいたので、
その小咄を聞いても、(やっぱりポルトガル人の方が人がいいわ)と思うだけだった。


そんなことを思い出したのは、久しぶりにタブッキの『逆さまゲーム』を読んだから。


表題作「逆さまゲーム」の中に、マドリードからリスボンに向かう列車の中で、スペイン人がポルトガルのあれこれをことごとくあげつらうのを、タブッキ本人を思わせる主人公が、それに同意しかねて苦笑する場面があるのだ。


初期の作品11作を集めたこの短編集には、物語の舞台がどこであるかもはっきりしない作品があるが、どの作品にも<サウダージ>がたっぷり含まれているような気がする。

サウダージは、とマリア・ド・カルモは言っていた。言葉じゃないわ。精神の範疇のひとつなのよ。ポルトガル人にしかわからない。この言葉があるのは、そんな気持ちがポルトガル人の中にあるからだって、えらい詩人が言ってたわ。そして、彼女はフェルナンド・ペソアのことを話しはじめた。
             (「逆さまゲーム」より抜粋)



サウダージ…単なる郷愁ではない、憧憬、思慕、切なさといったもの…をたっぷり含んでいるこれらの作品は、短編にありがちなように唐突に結末を迎えるだけでなく、始まりもまた唐突で、まるで長編小説の一節を切り取ってきたかのような印象をうける。


登場人物にも、物語の背景にも一切の説明がなく、ただ淡々と語られる物語には、明確な起承転結があるわけではないので、読んでいてもどかしく思う読者もいることだろう。
けれども、タブッキが(そして翻訳者である須賀敦子さんが)選りすぐった言葉で詩のようになめらかに、日常のなかにあるあれこれをうっとりするほど美しく言い表すのを存分に楽しむことができる作品たちだ。


同時にまた、たっぷりと「逆さま」を味わうことができる一冊でもある。


巻末に掲載された須賀さんの解説の言葉を借りれば、

タブッキは私たちが日常、こうにちがいないと思い決めていることを、ぐるりと裏返してみせ、そのことによって、読者はそれまで考えてもみなかった日常の裏側に気付かせられ、あたらしい視点の自由を獲得することになる



ということで、読みながらいつの間にか思い込んでいたあれこれが反転するとき、夢の中をさまよっていた自分が、いきなり現実に引き戻されるような気になる。
けれどもそれは決して不快な感覚ではなく、幸福な夢を見た後の心地よい目覚めのようなのだ。
語られている物語は、決して幸せな話とはいえないのだけれど…。


<収録作品>
「逆さまゲーム」「カサブランカからの手紙」「芝居小屋」「土曜日の午後」「小さなギャツビイ」「ドローレス・イバルーリは苦い涙を流して」「空色の楽園」「声たち」「チェシャ猫」「行き先のない旅」「オリュンピアの一日」

 

                 (2012年06月26日 本が好き!投稿