かもめもかも

かもめのつぶやきメモ

『時は老いをいそぐ』

 

本書は、2012年3月に亡くなったアントニオ・タブッキの連作短編集だ。
原著は2009年に出版されているので、遺作ではないのだが、テーマの一つに<老い>が掲げられていることと、タブッキ自身が長く闘病生活をしていたという話を重ね合わせて考えた時、ページをめくるにはなんだか覚悟がいるような気がしていた。


けれども、意を決して読み始めてみれば、これまで読んできたタブッキの作品とは少し趣が異なってはいたけれど、やはりタブッキだ。
タブッキが物語を書く詩人であり、絵筆の代わりに物語で情景を描きだす画家でもあるという私の印象はやはり、本作でも変わることがなかった。


収録された9つの物語の舞台は、タブッキお馴染みのイタリアでもポルトガルでもインドでもなく、ブカレストブダペスト、モスクワ、ベルリンにテル・アヴィヴ……といった都市。
登場するのはいずれも、老境にあるか、老いが足音を忍ばせて近寄りつつある人たちなのだが、それぞれがこれまでどのような仕事をしてきて、どのような人たちに囲まれて、どのような人生を歩んできたのか、そしていまなぜそこに居るのかさえ、はっきりとは記されてはいない。
断片的に語られる<事実>によって、彼らが東欧の元諜報部員であったり、ハンガリー動乱で相対した2人の将軍であったり、劣化ウラン弾で被曝した国連軍兵士だったりすることが次第に明らかになるのだが、それらが明らかになったところで、なにかが始まるわけでも終わるわけでもない。


家族のルーツ、子どもの頃に見た光景、戦争や弾圧の記憶……辿られるのは記憶であり、追憶であり、時には空想ですらある。
それらが皆、夢なのか現実なのかはたいした問題ではないかのように、たとえそれが陰鬱で苦々しい記憶であったとしても、なぜか幻想的な美しさを醸し出してしまうところがタブッキのタブッキたるところなのだと思ったりする。


そこに完結した物語はなく、巧みに織り込まれた寓話や示唆といったものが含まれていたとしても、私には読み取ることはできない。
けれども、そこには確かに「時」があって「老い」があった。
そしてもちろん言葉が描き出す美しい情景も。

「あのころのことを訊いてみた。わたしたちがまだたいそう若く、純真で、むこう見ずで、愚かで、世間知らずだったころのことを。残ったものはある、若さ以外の何かがーそれが答えだった」



作家に書くべき時期があるように、読者にもまた読むべき時期があるのだとしたら、「円」という作品の冒頭に引用されたポーランドの詩人、ヴィスワヴァ・シンボルスカの詩の一節に、なにか感じるものがあったとき、あるいはあなたにも「影を追いかければ、時は老いをいそぐ」というエピグラフについて、考える時期が訪れているのかもしれない。

              (2012年08月24日 本が好き!投稿