かもめもかも

かもめのつぶやきメモ

『ウォーターダンサー』

 

2015年に全米図書賞ジャーナリズム部門を受賞した 『世界と僕のあいだに』を読んで衝撃を受けて以来、アフリカ系アメリカ人の文筆家タナハシ・コーツの動向には常に注目してきた。

そのタナハシ・コーツが、今度は長篇小説を書いた。
しかも19世紀中頃を舞台に奴隷制度を正面から扱った物語で、全米で80万部のベストセラーになっていて、既に映画化も予定されているという。

翻訳が刊行されると聞いて(これは読まなければならない!)とは思ったが、一抹の不安がないわけでもなかった。
フィクションとノンフィクションでは勝手が違うだろうし、ベストセラーや映画化などと持ち上げられている作品が、どこまで“現実”に迫れているのか。
人は往々にして、反省が必要な自分たちが歩んできた暗い歴史から目をそらして、無かったことにしたがるものだから。
だがそこは、さすがタナハシ・コーツ。
目を背けたくなるような残酷な“現実”をもしっかりとらえた物語となっている。


舞台は19世紀半ばのアメリカ・ヴァージニア州で幕を開ける。
黒人奴隷ハイラムは、美しい踊り手でもあった奴隷の母と、奴隷主である白人の父との間に生まれたが、幼い頃に引き離された母の記憶はほとんどなかった。

早くからたばこの栽培で栄えたヴァージニアはしかし、長年の連作で土地が痩せ、いまや見捨てられた土地となりつつあり、余力がある金持ち連中は新しい開拓地へと移っていき、この地に留まる農場主たちは、奴隷を売ることでなんとか体面を保つ収入を得ていた。
黒人奴隷たちは、家族や恋人と引き離されて、互いの消息すら知ることが出来ないのだった。


頭が切れ並外れた記憶力をもつハイラムは、主人である父親からその才能を買われて、主家の跡取りであり異母兄でもあるメイナードに仕えていたが、この甘やかされたこの御曹司は社交界からもつまみ出されるほどの放蕩息子だった。

ところがある日、メイナードを乗せた馬車が川に落ち、彼は死んでしまう。
父親はメイナードが命を賭けて奴隷である異母弟ハイラムを助けたのだと信じたがったが、はなからそんなはずはなく、ハイラム自身はのちに様々な経験をつんだ後ではっきりと悟ることになるのだが、ハイラムが持つ不思議な力こそがその事故を引き起こしたのだった。

跡取りを失ったことで、さらに斜陽に拍車がかかる主人の家。
愛する人と引き離されることへの怖れ。
ハイラムは、恋人を連れて逃亡を試みるが失敗し、再び生死の境を彷徨う。
だが、黒人奴隷を逃すネットワーク「地下鉄道」の活動家に見出され、ハイラム自身もその活動に身を投じ、様々な人々の歩んできた物語に触れるうちに、自分のもつ不思議な力の源である、失われた母の記憶を取りもどしていくのだった。


黒人奴隷たちが置かれた悲惨な状況、逃亡に失敗した奴隷たちのその後や、白人たちの報復行動、黒人奴隷をひそかに領外に逃がすための様々な活動など、様々な資料を基に史実を盛り込んだ物語で、「地下鉄道」の活動家として有名なあのハリエット・タブマンなど、実在の人物をモデルにした人たちの活躍もある。

奴隷解放にとどまらず、女性解放問題にも触れている点も好感が持てる。

読み応えたっぷりの小説であることは間違いないのだが、それだけに、ハリエットが持ち、主人公のハイラムも祖母から受け継いでいるという不思議な力のことは、ここにマジックリアリズム的なものを持ってくる必要があったのかどうかと、微妙な気がしないでもなかった。
もちろん、それがこの作品のキモであることも、わかってはいるのだけれど…。