ハン・ガンは現代韓国文学を代表する作家だと聞いていたから
そう遠くない時期に読んでおこうとはとは思っていた。
けれども、この本を手にとって冒頭の数ページを読んだら、
この作家は……とか、韓国文学は……とか、
いまどきの世界文学は……などという概念はどこか遠くに吹っ飛んで
ひたすら物語の中を漂うことになってしまった。
女が教壇に立ってチョークの粉にまみれた手で黒板を指さしていたとき、
「あれ」はきた。
彼女は今、話すことができない。
そのため、彼女は仕事を中断し、古典ギリシャ語の教室に通い始める。
彼女が通うギリシャ語教室の講師の男は、
遺伝性の病で徐々に視力を失いつつある。
思春期をドイツで過ごした彼は、
周囲の反対を押し切って誰も頼る人のいない母国に帰ってきた。
なぜギリシャ語なのか。
彼女にも彼にもそれぞれに理由があるにはあるのだが…。
折々に哲学的なテーゼを織り交ぜながら
けれども決して小難しくはなく、むしろ詩的で
街の喧騒も教室のざわめきも
どこか遠くにあるかのようにおもえるほどの静けさの中で
それぞれの内へ内へと向かっていく筆は
明るい要素は全くないにもかかわらず、
うっとりするほど美しい。
読みながらずっと「中動態」についてぼんやりと考えていた。
能動的でも受動的でもないありかたについて。
読み終えた後も考え続けている。
歴史と言葉の変遷の中で消えていった「中動態」のそのあとについて。
彼女と彼のその後について。
(2018年03月16日 本が好き!投稿)