かもめもかも

かもめのつぶやきメモ

『話し足りなかった日』

 

本書は映像作家で小説家でエッセイストでフェミニストで先生でジュンイチのママで漫画家でミュージシャンのイ・ラン(이랑)のエッセイ集だ。
(ちなみにジュンイチは猫で、この本にはジュンイチのことを綴ったエッセイも何本か収録されている。)

イ・ランは本名だ。
漢字で書くとすももの李(イ)、早瀬の瀧(ラン)で、英語ではLang Leeと書く。
でも海外の友だちはハングルの発音通りE-Ranと呼ぶのだという。
音楽活動をはじめてから知り合った人たちは、本名だとは思わずに、芸名として「さん」も「様」もなく、一人の時もバンド活動の時も「イラン」と呼び捨てにされることが多かったそうだ。
そうこうするうちに、「イ・ラン」という名前は消費されつづけ、名前が消費されすぎると、その意味は退色していくのではないかとイ・ラン本人が気になり始める。
それで新しい名前を名乗ろうと思いたち、親しい友だちに「今日から私のことを○○って呼んで」などと提案してみたりもするのだが、それもやはりうまくはいかない。
結局、周囲に「ラン」と呼んでもらうことで少し落ち着きを取り戻す。
「イ・ラン」と「ラン」、仕事をするときの自分と、一人の人間としての自分を意識するようにしたら、少し楽になったのだというのだ。(「機能する名前」)


韓国大衆音楽大賞授賞式でトロフィーをオークションにかけた話から始まって、あれこれと仕事をして生活費をいかにかせぐか、住むところやシェアオフィス、身近な人たちの話、#MeToo運動をきっかけにあらためて自分自身と向き合おうとする姿、自らが受けた性暴力、友人との別れ、カウンセリングのこと、コロナ禍での活動…等々、そんなことまで、ぶっちゃけていいのかと思うぐらいひたすら語る。

見た感じクールでかっこいいアーティストというイメージなのに、どうでもよさそうなことから、そんな風に打ち明けてしまってもいいのかと思うような深刻な問題まで、ものすごくぐだぐだ悩んでいるその胸の内をこれでもか!というぐらい率直に書き連ねる。
そんな濃厚なあれこれをこれだけ読めば、読んでいるこちらの方もダメージを受けそうなものなのに、圧倒されるだけでなく、なんだか開き直って生きる元気までもらえる気がしてきてしまう不思議。

私は自分のことを愛せる人だ。
私は自分自身を諦めずに、何があっても自分を育てていく人だ。
私はそうやって生きている人として、生活してゆくつもりだ。


ずっと前にカウンセラーの先生と一緒に書いたメモを机の引き出しに入れておいて、何度も開けては読んでみるのだというイ・ラン。

自らに向かい合いあう中で生み出す歌やエッセイや物語で、多くの人を励ますアートストだ。