かもめもかも

かもめのつぶやきメモ

『私が本からもらったもの 翻訳者の読書論』

 

光文社古典新訳文庫」の創刊編集長の駒井稔氏を聞き手に、8人の翻訳者が本にまつわる数々の思い出を語った「WATERRAS BOOK FES」の「翻訳者×駒井稔による台本のないラジオ」。

面白そうな企画だとは思いつつも、若い頃耳の病気をしたせいか、どうも耳で聞くのが苦手なもので視聴を諦めた企画が、書籍化されるときいて楽しみにしていた。

本書には8つの対談の他に、ロシア文学貝澤哉氏による「最も原始的なタイムマシン、あるいは書物の危険な匂い」とフランス文学の永田千奈氏による「本箱の家」の2つのエッセイも収録されている。

一気に読むのは勿体ないので、毎晩一話ずつ、ゆっくり読み進めることにしたものの、どれもこれも面白くて、気分が高揚してなかなか寝付けないという、思わぬ副作用も。

初っぱなから、ドイツ文学の鈴木芳子氏が、12歳の時に読んだ『アンナ・カレーニナ』のアンナ「愛の種類も心の数だけある」というセリフに、途方もない衝撃を受けたという話に衝撃を受ける!?

ナボコフの 『絶望』などでお世話になってきたロシア文学貝澤哉氏の、ソビエト時代モスクワで闇屋から本を買って警察に捕まった話には思わずニヤリ。
いやもちろん笑い事ではないのだけれど、私がロシア沼に片足を突っ込んだ若い頃には、そんな国、そんな時代が確かにあったのだ。
思えば遠くにきたものだ…という気がする一方で、今のウクライナ情勢を見ていると、当時は意外なほどあっさり崩壊したようにみえたあの大国は、四半世紀以上経た今でもまだ、いろいろな影を落としているのだなあとも。

大好きな 『凧』(ロマンガリ)の翻訳者、フランス文学の永田千奈氏の思い出の本たちには、なんだか妙に郷愁を誘われる!と思ったら、そうか、同年代なんだと妙に納得。

英米文学の木村政則氏は、ミュリエルスパークの 『あなたの自伝、お書きします』の訳者さんだ。
(木村)イギリスの小説って非常に細かいことを書いていて、結局読み終わってみたら何があったかも分からない。非常に日常的な中で何か自分の心にちょっと漣が立つようなことを書いているだけなんですよね。
(駒井)でもそれがすごい長さで、その密度が高い。英国の小説ってそういう意味ではだいぶアメリカと違いますよね。
(木村)そうそう。こんなこというとあれですけど、アメリカ的なものって話が大きくなるじゃないですか。
(駒井)大胆にひろがりますよね。
(木村)そう。そういうところよりも、イギリスの本当に日常的な、些末なことをこまごまと書いていってというのが、読んでいてただただ楽しかったんです。
   (p106)
それまで音楽や映画に惹かれてアメリカの英語に触れてきた木村氏が、イギリス文学に惹かれた理由に思わず、共感ボタンを連打したくなる。

同じく英米文学の土屋京子氏の場合は、高校二年でアメリカに留学されたそう。
1970年代のアメリカの高校生活のようすに思わず目を見張る。

いつもプルーストを通じて大変お世話になっているフランス文学の高遠弘美氏のお話は、これまた毎度のことながら、フランス文学に留まらず、日本の古典や近代文学の話も興味深い。
あの美しい日本語はこういう読書体験に裏打ちされているのだと、改めて感じ入る。

ドイツ文学の酒寄進一氏の話もいつもながらの面白さだが、クラウスゴルドンが自らの半生を書いた作品?さらには19世紀のドイツを舞台にした3部作も!?
ああもう、お願いします。どうかぜひ訳してください!読ませてください!と思わず手を合わせる。

トリは日本古典文学の現代語訳などでも知られる詩人で作家の蜂飼耳氏。
夏目漱石宮澤賢治フラナリー・オコナー、そういう本が積み重なって、こういう詩人は生まれるのか。

はてさて、肝心の皆さんが「本からもらったもの」はというと……。
ネタばらしになるので、ここでは具体的に紹介はしないが、この質問の受け止め方からして、なかなかに個性的で興味深くも。

ところで、鈴木氏、酒寄氏とドイツ文学がご専門のお二人が揃ってあげておられる『牡猫ムルの人生観』。これはやはり読んでおきたい。
ぜひとも光文社古典新訳文庫あたりで、新訳を出してほしいものだ。

この本が、光文社ではなく書肆侃侃房から出たというのもまた興味深いところ。

2022年4月、創業20周年を迎えた書肆侃侃房。
一つの出版社が、年を追うごとに、ぐんぐん大きく広く、より深く成長していく様を読者として実感できるのもまたうれしい。