かもめもかも

かもめのつぶやきメモ

『ぼくたちに翼があったころ』

 

アンジェイ・ワイダ監督の『コルチャック先生』(原題:Korczak)を観たことはあるだろうか?
あるいは戯曲『コルチャックと子どもたち』の舞台を?

もしいずれも観たことがなかったとしても、コルチャック先生の名前なら、どこかで耳にしたことがあるのでは?

ヤヌシュ・コルチャック(Janusz Korczak)は、ユダヤポーランド人。

小児科医で児童文学作家で教育者であり、ユダヤ人の孤児たちのための孤児院の院長をつとめ、著作と実践の両面から、子どもの権利を全面に打ち出した児童教育に取り組んだ人物。

自らは助かるチャンスがあったにもかかわらず、200名もの子どもたちと共に、トレブリンカ収容所に向かった人。

このヘブライ語で書かれたYA小説、副題に「コルチャック先生と107人の子どもたち」とあったので、この本にはきっとそういういきさつが書いてあるのだろうと思っていた。

ところが、ところがである。


足の速さだけは誰にも負けない自信があったヤネクは、貧しいながらも姉と二人、肩を寄せ合ってくらしてきたが、とうとう「かけこみ所」と呼ばれる孤児院に入所することに。

ところがそこでの虐待が原因で、足の骨を折り、さらにはそれを悪化させて、足を引きずるようになってしまう。

なんとかそこを抜け出して家に帰り着くも、結局はまた別の孤児院へ。

ヤネクはそこに入りたくなくて、足を痛めつけられたのは、盗みの現場を押さえられたからだとぶちまける。
「孤児たちの家」と呼ばれるその孤児院の院長の顔は、見る見るうちに赤くなり、「そういう連中は、牢獄に入れるべきだ!」と叫んだのだった。

なぜ?なぜ、子どもたちの体と心をそこなうことばかりしている連中が、子ども相手の仕事をしているのか!?

あっけにとられるヤネクと姉さんを前に、院長先生は彼らのやっていることは、犯罪だ!体罰を支持した者は、盗みをはたらく大人や子どもたちよりも、ずっと卑怯だと憤る。

それが物語の語り手である「ぼく」ことヤネクと、コルチャック先生との初めての出会いだった。

新人の世話係、もめ事を裁くこどもたちの法廷、発行される家の新聞、子どもたち自身によって運営されている「家」での生活が、好奇心旺盛で納得いくまで知りたがる新入りヤネクの目を通して、いきいきと描かれる。
そこにはハラハラもどきどきも、楽しみも悲しみもせつなさも幸せもたっぷり。

世間でよく知られているその最期ではなく、「孤児たちの家」でのかがやくような日々について描きたいと願った作者は、様々な資料にあたるだけでなく、存命中のかつての「家」の子どもたちにもインタビューをして、物語を書き上げたのだという。

だがしかしもちろんのこと、暖かい「家」も、次第に色濃くなる困難な時代のあれこれとは無縁でいられるはずもなかった。

物語は1939年5月にピリオドを打たれる。
ドイツがポーランドに侵攻するのは、その4ヶ月後だ。