北海道に生まれて育った偶然を「運命」と読んでいいのかどうか、わからないまま東京に移り住んで長い時間が過ぎた
という著者が、三人称を用いて語るのは、北の大地で育った子ども時代、ジャズに魅せられた青春時代、アフリカに寄せる想い、詩のこと、クッツェーのこと、アディーチェのこと。
この本は間違いなく、翻訳家であり、詩人であるくぼたのぞみさんのエッセイ集なのだが、読み心地はまるで一篇の長編小説のよう。
浮かんでくるのは北の大地をいきいきと駆け回るするどい観察眼をもつ女の子と、戦後の新開地の農村にあって、周囲の男尊女卑の風潮に抗って、家庭内では息子も娘も平等に育てると固く決意して信念を貫いた母の姿。
J・M・クッツェーの『少年時代』の最初の章に、少年の母親が「この家の囚人になんかならない」「わたしは自由になる」といって自転車を手に入れる話が出てくる。田舎町に引っ越した一家には自動車はなかった。あれは一九四八年ころのアフリカ大陸南端の話だった。この作品を読むと、当時、自転車に乗れるとは「移動の自由」を手に入れることでもあったとわかる。
カリブ海に浮かぶグアドループという島で裕福な黒人家庭に育って作家になったマリーズ・コンデも、少女時代に自転車を手に入れたときに喜びを書いている。回想記『心は泣いたり笑ったり』に、それは十五歳のときとあったから一九五〇年前後のことだろう。
東アジアの列島北端の旧植民地で、少女の母親が自転車に乗りはじめたのはそれより少しあとになるだろうか。それでも、アメリカ仕込みのキリスト教的開拓精神に富んだ母親が、さっそうと自転車に乗りはじめたのは、看護婦として再び働くようになるずっと前で、周囲の農家の女性たちよりずいぶん早かった。
(「怪我はもっぱら自転車が」)
そしてまた、七歳の時に自転車を手に入れた少女にとっても自転車は、単なる移動手段というだけでなく“遠隔の地に「閉じこめられないこと」を体感するシンボル”になっていくのだ。
母から娘へ、人から人へ、著者から読者へと、確実に引き継がれていくもの。
ただ引き継がれていくだけでなく、引き継がれる度に補強され補完されていくものが確かにある。
そのことを思うと、こみ上げてくる郷愁とともに、安心にも似たあたたかな気持ちが心に広がっていく。