かもめもかも

かもめのつぶやきメモ

『壊れた魂』

 

フランス語で書かれ、フランスで出版されて文学賞に輝いた小説を、著者自らが日本語に翻訳した作品だと聞いて興味を持って読んでみた。

冒頭、フランス語辞典からの引用で、フランス語で魂を意味する“âme(アム)”が、弦楽器の表板と裏板をつなぐために楽器本体の内部にたてられている木製の棒“魂柱”を意味する音楽用語でもあることが紹介されている。

物語の始まりは、1938年11月の東京。
文化会館の集会室で日本人男性と、女性1人男性2人の中国人という取り合わせのアマチュア弦楽四重奏団は、シューベルト弦楽四重奏曲「ロザムンデ」に挑戦していた。
部屋にはもう1人、日本人男性の11歳になる息子がいて、夢中になって本を読んでいた。

突然、シューベルトの調べが複数の男たちの物々しい声と雑然たる靴音に遮られる。
日本人男性は瞬時に、子どもの元に駆け寄り、その子を洋箪笥の中に押し込む。

少年は洋箪笥の中で息を殺しながら、鍵穴から部屋の様子をうかがう。
父が殴られ、父が大切にしているヴァイオリンが重い軍靴で踏みつけられ、破壊されるのを。
そしてそれが、少年が父親を見た最期になった。

やがて少年は、フランスで弦楽器職人となり、父親の楽器の再生に生涯を費やす。

ああそうか。
これはきっとヴァイオリンの“魂柱”と、人の“魂”の両方の再生をめざす物語に違いないと合点して読み進める。

これはまさに音楽小説。
ピアニッシモ、クレッシェンド、フォルテッシモ。
物語もまた、ヴァイオリンのメロディに共鳴するように展開していく。

一瞬のうちにヴァイオリンを破壊したような力で服従を強いる軍国主義と、音楽が、とりわけ弦楽四重奏曲にみられるような協奏的な音楽が象徴するような、共鳴しあう人々の心のありようの見事な対比。

そしてまたあの日、少年が夢中になって読んでいた吉野源三郎君たちはどう生きるか』が、投げかける様々な問い。
少年にとってその本は、父の形見であり、彼はその本を繰り返し読むことで、父と対話を続けながら、成長していくのだ。

音楽と物語が合わさって見事に紡ぐハーモニー。
音楽も小説も、時間や空間の隔たりをやすやすと飛び越えて、人と人の心を通わせることができるものなのだと、改めて感じ入る。