鈴木ユリイカは1941年生まれ。翻訳家でもあり、絵本作家でもある詩人で、2021年、本書で第39回日本現代詩人賞を受賞している。
サイードから風が吹いてくると
わたしは空しい問いを発する なぜとか
知らなかったとか
わたしは風のようにすり抜けていきたい
銃弾の飛び交う間を 憎しみと憎しみの間を
爆弾の間を 悲鳴の間を 子どもたちの間を
母親と母親の間を 兵士たちと兵士たちの間を
女と男の間を 夜の間を 血の匂いのするキャンプの間を
崩れ穴が無数に開いた壁の間を
地球上のやさしい人々の耳から耳へ
燕のように 素速く飛び交い
殺すな 殺すな 殺すなと囁きながら
たとえ幼稚でも囁いてみたい
自爆する人の間を 殺し合いの間を
風のようにくぐり抜け
死ぬな 死ぬな 死ぬなと
(「サイードから風が吹いてくると」より抜粋)
本のタイトルにもなっている詩に登場する「サイード」とは、あの『オリエンタリズム』の著者として知られるエドワード・W・サイードのことだ。
この詩はサイードの自伝的著作『遠い場所の記憶』(2001年 みすず書房刊)を受けて詠まれたもののようだ。
「六十年」という詩の冒頭で詩人は自らに問う。
わたしは 何にも知らずに生きてきた
何も知らずに恋をし 何も知らずに
野の花やヒマラヤスギや枇杷の木のように揺れ
何も知らずに子どもを産み 何も知らずに
喜んだり 悲しんだりしてきた
でも 本当に何にも知らなかったのか?
(「六十年」より抜粋)
収録作品には、ヒロシマのことを詠んだものも多い。
だから私は、てっきり、詩人が広島にゆかりのあるのだろうと思い込んでいた。
だが、そうではなかった。
わたしはこの世で生まれて見たものを書かなければならない。たとえ映像の中だけのものでも、たとえ触ることができなくても、このふたつの目が見たものは忘れることができない。 (「春」より)
そうか、そういうことなのか。
私もまた、詩人の声を聞き、詩人が詩で描きだしたものを目の当たりにして、あれこれと思い、あの日の、そして今このときの、戦禍の中にいる人々のことを思って声を上げたい。