かもめもかも

かもめのつぶやきメモ

『スローターハウス5』

 

人生について知るべきことは、すべてフョードル・ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』の中にある、と彼はいうのだった。そしてこうつけ加えた。「だけどもう、それだけじゃ足りないんだ」

先日読んだ『世界文学を読みほどく』の中で、池澤夏樹氏が紹介していたこの言葉。
なんでもアメリカの作家のかなり有名な作品からの引用だというのだが、名前を聞いてもタイトルをみても、どんな作風なのかさっぱり解らない。
調べてみるとどうやらSFで、しかも戦争の話らしい。
SFは苦手だけれど、第2次世界大戦を扱った作品ならなんとかなるだろうと手に取ってみた。


主人公ビリー・ピルグリムは”けいれん的時間旅行者”。
時の流れから解放された彼は何の脈絡もなく、時空をあちこちと飛び回る。
検眼医として働きなかなかの地位も財産もある男性のはずなのだが、大富豪の娘と結婚し幸せな初夜を迎えたかと思えば、数ページを隔ててドイツ軍の捕虜となっていたり、飛行機の墜落事故に遭遇したと思ったら、異星人のUFOに拉致されて、彼らの星の動物園に収容されていたりする。
そうビリーは、時の流れに関係なく、人生のある瞬間をけいれん的にジャンプしていくのだ。


ビリー本人にも、いつ移動が起きるのか、次はどこに行くのかは解らない。
けれども自分がいつどんな風に死ぬかといった実際に起こることは、既に体験しているのだから、解っているのだという。
そこには合理的な説明などあるはずもなく、読み始めた当初はただただ、めまぐるしく変わる場面について行くのに必死になっていたはずの私は、次第にのめり込み、驚愕し、うめき声を上げる。


物語は著者自身が体験したドレスデン無差別爆撃のことを書いた小説だという。
1945年2月、連合軍の爆撃によって135,000人もの死者が出たとされている空爆だ。
著者はドイツ軍の捕虜としてその場に居合わせ、生き残ったひとりなのだそうだ。
著者はいう。「大量殺戮を語る理性的な言葉など何ひとつない」と。
この本には、本来クライマックスとなるはずのドレスデン爆撃シーンは描かれていない。
トラルファマドール星人にさらわれたり、過去と未来へとを始終行き来したりする男の滑稽な物語があるだけだ。
けれどもそうした次にどこへ飛んでいくか解らない断片的に語られるエピソードの中に、悲惨な状況を言葉で並べ立てるよりも鮮明に、読者は戦争の悲惨さを、むごさを、狂気を読み取らずにはいられない。


ドストエフスキーは『カラマーゾフの兄弟』の中で、徹底的に人間を描いた。
だからだろうか。
物語を読めば、読者は思わず、誰かに肩入れをしたり、誰かを嫌悪したりせずにはいられなくなる。


ヴォネガットのこの物語には「性格らしい性格を持つ人々はほとんど現われない」。
だから読者である私も、誰にも好感を持つことのないままページをめくり続ける。
読みながら、泣くこともなければ、声を上げて笑うこともない。
それでもいつの間にか「戦争」について、深く考えずに入られない。
こんな描き方もあるのだと驚かされた。すごいな。
           (2013年04月06日 本が好き!投稿